184.ムラクモとエミル、それぞれの思惑
するりと。寂しげな声を出す弟に構わずその腕を離したエミルは、一歩だけカメオに近づいてから続けた。
「足止め? 私をここに食い止めてどうするというんです──よもや学園への登校を認めない、などとは言いませんよね? 生徒会長であるあなただろうと、たとえ教員であろうとも。私がなんの規則も破らず模範生である限りこのドミネイションズ・アカデミアから追い出すような真似は誰にもできない……無論、学び舎へ通うことを止めることだってできない」
死神の一件は推定無罪、生徒を大量に退学へ追いやったことも本人からすればただ「思い切りファイトをした」だけに過ぎない。彼のもたらす被害や疑惑は邪悪かつ甚大なものだが、しかし成績やDAの常識に則って見た場合、九蓮華エミルとは本人の自称通りの模範生に他ならず。そんな彼を万が一にも強引に退学へ持っていける者がいるとすればそれは、DAの総責任者にして最高権力者である学園長その人以外にはいない──そして学園長は決して強権を振り翳して一生徒を自身の庭から放り出すような真似をしない。そのことは学園の誰しもが理解していることである。
「もう一度お聞きしますよ、カメオ生徒会長。あなたはなんのために私の前に立ち塞がっているのです? 戦う意思なき弱者だろうと私は私を邪魔するものに容赦をしませんが」
そちらに抗戦の意思がなかろうと関係なく叩き潰す。そういう野蛮な行為に打って出るのも、こうして不当に拘束されている状況ならば致し方ないことだろう。模範生のままに目の前の生き残りを刈る機会が巡ってきたのだと思えば、立つ鳥跡を濁さず。その精神でもうすぐ卒業も見えてきた自分の学園でなすべき最後の大掃除に臨むのも悪くない──そう考えて、どろりと。例の重苦しく息苦しい戦意を放つエミル。
イオリのそれとは比較もできないほどの重圧に彼ら兄弟を取り囲む集団は目に見えて顔色を悪くさせ、そういったものを感じ取るドミネイター特有の感覚器官が参ってしまっているカメオですらも、つうと頬に汗を流す。
「……相変わらずそら恐ろしい殺気だ。牙を失った俺でもキツ過ぎるくらいだ、バリバリのドミネイターとしてそれを受けちゃたまったもんじゃない。だから物騒なオーラは引っ込めてくれよ、九蓮華後輩。こちらからももう一度言わせてもらうが、あくまで俺に戦う意思はない。なんと言っても──ほれ。デッキすら持ってきていないくらいだからな」
「…………」
学生服を広げて見せるカメオ。確かに、デッキの収容スペースがあるそこは空っぽ。それを見たエミルは、その次にアキラをして泉親子以上だと言わしめた優れた観察眼で彼の全身をつぶさに眺め、懐以外のどこにもデッキがないことを確信。と同時に、請われた通りに戦意を収めた。いくらドミネイターの牙が、心が折れていようと六年生で唯一の通学者。未だに生徒会長の役職に縋りついている者が、よもやDA生でありながらデッキのひとつも持ち歩いていないという事実にエミルはほとほと呆れ果てたのだ。
一応、学園を去らないだけの気骨はある先輩。そういう目線で言えば多少なりとも価値はあるかと思ったが、この時点でエミルの上桃原カメオへの興味は消え失せ、微塵も残らなかった。そしてそれはカメオにとって幸いなことだ。
今更になってエミルから興味を持たれたところでマイナスにしかならないのは言わずもがな、こうして不吉なオーラが引っ込められたことで後輩たちが息を吹き返している。あのまま重圧に晒され続けていたらなんの比喩でも冗談でもなく酸欠で大半が保健室送りになっていただろう。そういった事態を避けられただけでも『デッキを持たない』という恥を忍んでエミルの前に立った甲斐があったというもの。
「ま、ドロップアウト寸前の身としちゃデッキを置いてきたからって恥も糞もないんだが。だけどわかってくれたろう、俺の役割はただ単に──こうしてあの人の到着までお前と仲良くお喋りすることだったのさ」
「!」
言いながら横に退いたカメオ。その背後から姿を見せたのは、二人の教員だった。中でも、その内の一人は学年主任。学園長室に呼び出された際に同席していたこともあって顔を合わたことも記憶に新しい彼に、エミルはすっと目を細めた。
「ああ、ムラクモ先生。つまりはあなたが到着するまで、私をここから動かしたくなかったと。そういうことですか」
「その通りだ。──苦労をかけたな上桃原。おかげで助かった」
「いえいえ、俺は本当にただ後輩へ挨拶の声をかけただけですからね。礼なら協力してくれたこの子らへ言ってやってくださいよ。俺としちゃ、次年度からの生徒会役員はこの中から選んでほしいもんですね」
「無論、約束通りにそのつもりだよ。毎年編成には気を使うんだが、今回はある意味で楽ができそうだ」
冗談交じりにそう答えたのはムラクモの横に立つ泉だ。どうやらカメオから連絡を受けたムラクモと一緒になって駆け付けたらしい、と彼が役員の選定に携わっていることを思い出しながらエミルは……ゆるやかに首を振った。
「そういうお話は後で、私のいないところでいくらでもなさってください。ムラクモ先生。あなたが単に長期休暇明けに生徒の顔を見たくなっただけであるならば、私はもう行かせてもらいますが」
カメオが六年生唯一の通学生であるように、エミルは五年生唯一の通学生だ。夏休みを挟んでメンタルを回復させた生徒がいない限りは、だが……しかしあのトーナメントの直後に長い休みがあったからこそ尚のこと学園からは足が遠のくだろうとエミルは考えている。──その予想は半分正しく、半分間違っていた。
「そう急ぐなよ、九蓮華」
「おや、教師の言い草とは思えませんね。このままではここにいる全員、式に遅刻してしまいますよ?」
「だから気を急くなと言っているんだ。慌てなくとも俺は元から、お前を講堂へ連れていくためにこうしてカメオに一報入れてくれと頼んだんだ。VIP扱いってやつさ──何せお前はDAからしても特別と言っていい生徒、これくらいはさせてもらわないとな」
「学年主任ともあろうムラクモ先生が、一生徒を手ずから案内すると。そのために生徒会長や大勢の中級生を足にしてまで……確かに特別待遇だ。光栄に思いますよ」
しかしその真意はどこにあるのか。元からというならエミルだって元々、始業式に出席するため大講堂──DAで全校集会の類いが行われる際に使われる巨大なドーム型施設だ──へ向かおうとしていたのだ。その前に、新たな敵の登場に威嚇を続けている後ろのイオリを図書館に置いていくつもりでもあったが、まさか寄り道をさせないために張り込んでいたということもあるまい……。
「お前の言う通りそろそろ時間だ。共に講堂へ行こうじゃないか、九蓮華」
「……この人数で私を取り囲んだまま、ですか? これでは案内というより連行と言った方が適切ですね」
だがいいだろう。別にどんな企みがあったところで恐れるエミルではない。再び弟へ手を差し出し、その意図を察した彼がその手を握ってきたところで「さ、いいですよ」と先導を促す。お供を連れてピクニックにでも向かうかのようなその気安さ、爽やかな態度に、ムラクモを初め一同は揃ってエミルの持つ異質を味わったが、今更そこに言及する者はおらず。
「ちなみに、その小さいのは?」
「九蓮華イオリ、私の可愛い弟です。同行させても?」
「ああ、構わんよ。むしろ好都合だ」
そいつがお前の信奉者であるならな、という言葉をムラクモは内心だけに留めて歩き始めた。




