162.秘密の地下室、修練と試練の間!
「ここ、ですか?」
何も訊かずにムラクモの後をついて歩き、辿り着いた先は職員室だった。いったいどこへ向かうのかと気になっていたアキラにとってそこは馴染みがないという意味では意外だったし、教師であるムラクモの立場で考えればまったくもって意外ではなかった──ただここで何をするつもりなのか。そればかりが彼には疑問だった。
「職員室に入るのは初めてか?」
「はい」
「そうか」
短く言葉を交わしながら先行して入室したムラクモは、慣れた様子でそこに誰もいないことを確かめた。休学期間の、日が昇ったばかりの時間だ。いくら教師に夏休みがないと言ってもこんな朝早くから職員室に詰めている者はいない──とも言い切れないのが教職の恐ろしいところなのだが、今回は無人である。アキラにも入室を促してムラクモは言う。
「手っ取り早くて助かるな。そして若葉、目的地はここではなくこの奥にある」
「この奥……?」
職員室の奥とは。よくわからない言葉に首を傾げつつ『奥』らしきスペースを探すアキラだったが、該当するような箇所は見つからない。所属する教師の数が数なだけに職員室はとても広いが、特に仕切りもなくて実に開放的な空間である。ますます疑問に満ちた顔付きになるアキラを他所に、ムラクモはずんずんと先へ進んでいく。
「こっちだ」
「こっち……って、そこはただの壁ですよね?」
「壁だが『ただの』じゃあないな。仕掛けがあるんだ」
「──あっ」
アキラは思わず声を上げた。ムラクモが職員室と隣室を隔てる壁へ手を当ててぐっと押し込んだかと思えば、何もなかったはずのそこへすっと枠線が浮かび上がり、その形通りに壁の一部が上がって新たな空間が顔を見せたのだ。アキラが恐る恐るその中を覗いてみれば、そこには下へ続く階段があった。
「職員室にはDA唯一の『地下』がある。知らなかったろう」
「は、はい。いま初めて聞きました」
「当然だな。ここを知る者は生徒にはほとんどいない。そもそも俺を含めた六人の学年主任にしか使用が許されていない上、使う機会も滅多にないからな」
部屋と部屋の間に隠された下り階段。秘密の地下──いよいよもってムラクモがどこで何をしようとしているのかわからなくなってきたアキラだが、やはりずんずんと階段を降り始めた彼に大人しくついていくしかない。背後で仕掛け扉が自動で閉まったのを確認しつつ、足元だけにあるぼんやりとした灯りを頼りにアキラはムラクモの背中を追いかけた。すると、割とすぐに階段の終わりが訪れて。
「ここは修練と試練の間。通称だが、我々教師はそう呼んでいる」
防空壕。最初に思い浮かんだのはそういうワードだった。実際にそれを目にしたことがあるわけではないので本当にただの連想でしかないが、しかし質素かつ堅牢に作られている様子のそのドーム状の地下施設はまさしく避難のための場所のようで──そして同時に、誰かを逃さないための場所にも思えた。
「!」
仕掛け扉がそうだったように、アキラの後ろで階段に通じている部分が独りでに閉じた。唯一の出口がなくなり、地下に閉じ込められた。そう理解したところにムラクモが「安心しろ」と平坦な口調で言った。
「何も本当に閉じ切ったわけじゃない。酸素は途切れないし食事だって取れる、なんなら風呂もトイレも完備だ。柔らかなベッドだってな。けっこう快適だろう?」
「ちっとも安心できませんよムラクモ先生──長く閉じ込める気満々。そうとしか聞こえないんですが」
「ここにどれだけ滞在するかは、俺ではなく若葉。お前次第だよ」
ここは修練と試練の間なんだからな。そう繰り返したムラクモは、アキラと一定の距離を設けて向かい合うように立った。その立ち位置にアキラはすぐにピンとくる。彼我の距離感は、何度となく経験してきた間合い。ファイト盤を用いた正式なファイトを行なうための間合いである。
「まさか、ムラクモ先生」
「そのまさかだ。今からお前には俺とファイトをしてもらう。言うまでもなく『本気のファイト』だ……互いにな。つまりこの場所はそのための場所。なんらかの事情で教師が一切の手加減なく生徒とファイトせねばならなくなった時のための、専用施設というわけだ」
「……!」
そんな場所がDAにあったとは、とアキラは驚く。なるほど、それなら使用する機会が滅多にないことも、また学年主任という教師の中でも一際の責任者にしか許されていないというのにも納得がいく。それを裏付けるようにムラクモは。
「DAでは生徒が教師へ挑むことが許されている。ファイト申請が成立した場合、教師側も全力で生徒と戦うのが義務だとされているが……今のお前ならわかるだろう若葉。全力と本気は違う。通常、いくら挑戦を受け入れたと言っても教師が生徒とのファイトで本当の意味で本気になることはない──だが『ここでのファイト』であれば話は別だ」
あっていいはずがない、教師が本気で生徒を打ち負かさんとファイトに臨むこと。下手をすればその生徒の未来を潰しかねない危険な行為を、しかして率先して行うための秘密の場こそがこの地下空間である。教師陣においてもとりわけの責任者である学年主任にしか使用が許されていないのもむべなるかなと言ったところだろう。
ムラクモは懐からデッキを取り出し、アキラによく見えるように掲げてみせた。
「これが俺の『本気のデッキ』だ。お前はこいつを使う俺を打ち破らねばならない。そうでないと外に出ることは認めない──無論、九蓮華エミルに挑むことも許さない」
「……!」
アキラはムラクモと同じく現役DA教師である泉に勝利した経験がある。だが泉はプロドミネイターを引退した十年ほど前からまったく本気のファイトをしてきておらず、担当も実技ではなく専ら座学である。バリバリの実技担当にして現在もDAの教師らしくファイトの腕を磨くことに余念のないムラクモを前にしては、泉に勝った実績などなんの役にも立たないだろう。そう思わざるを得ないだけの気迫というものが今のムラクモからは放たれている──それは普段の彼には一切感じられないものであるだけに、余計に重くアキラの双肩にのし掛かってくるようだった。
挑まれたファイトからは逃げない。そういうドミネイターとしての理想を持つアキラなので、当然この挑戦だって受け入れる……と言いたいところだったが。現在は状況がその余裕を生んでくれない。さすがに物申したいこともあって口を開こうとした、そこへムラクモが片手を上げることで制した。
「まあ待て若葉。お前の気持ちも言いたいこともよくわかる。『こんなことをしている場合じゃない』、だろ? 一刻も早くエミルを打倒して紅上たちの目を覚まさせる。そのつもりだったのだろうし、それができるなら何よりだ。──だができんだろう、今のお前には」
きっぱりと。挑んでも再び負けるだけだと断言され、アキラはぐっと唇を噛んだ。そうはならない、と迷いなく言い返せないのが、言うなれば答えだった。
「九蓮華に負けて、負けるばかりではなくそのファイトを通して何かを得てもいるんだろうが──だが劇的に何かが変わったわけでもないだろう。聞けば退院後から今日までお前はまともにファイトもしていないようじゃないか。紅上らとのお遊びのファイトくらいか? たったそれだけの経験を糧に再戦しようというのは、無謀を通り越して単なる愚行だ。いくらドミネファイトが推量だけで推し量れるものではないと言っても、まったく勝機のない戦いに挑ませることは流石にできんぞ」
教師としても、一人のドミネイターとしてもな。
そう言って、ムラクモは出現したファイトボードへ自身のデッキを置いた。
「だから俺を糧に成長し、俺を倒して九蓮華へ挑め。ここを出られたならそれにうってつけの舞台も用意してやっていい──」




