154.コウヤのいない若葉家、新たな訪問者
「うーん……何も言わずに出ていくなんて、なんか変だな」
と、昨夜はいつもより就寝時間が遅かったにもかかわらずミオ共々早くに目が覚めたアキラは、母の作ってくれた朝ごはんを食べながらふとそんなことを言った。それに顔を上げて反応したのは、同じ食卓につくミオとロコル。ちなみにアキラの父は唐突に仕事が入ったようでつい先ほど家を出ており、母もそれに合わせて既に朝食を済ませた後だ。子供たちだけでの食事の場となればもっと賑やかになってもおかしくないものだが、しかし三人とも物を食べている最中には騒ぐことをしないタイプであるため、ここまでは黙食も同然の静けさだった──その静謐な朝の空気感を破ってまで発せられたアキラの疑問。それにミオは肩をすくめて応じた。
「そんなに変かな? 思い立ったら即行動って、ボクには如何にもコウヤらしく思えるけど」
使っているデッキと同じく猪突猛進な性格の彼女であるからして、父親との修行を再開するためにいきなり出発したとて何もおかしくはない。というか、アキラの無事を確かめてからも十日以上滞在していたのが少しやり過ぎなくらいだろう……いや、ミオとて起こった事が事なだけに、そしてアキラと親友同士だと公言するコウヤなだけに、すぐに傍を離れる気になれなかったのは当然だとも思うけれど。
しかしだからといって彼女が夏休みの残り日数を丸々若葉家で過ごすことはないと考えていたし、実際にコウヤはこうして自宅へ帰っている。確かにアキラへの挨拶もなしに出ていったのはやや唐突にも感じるが、しかし夜更かし明けでいつ起きるかわからない自分たちに対して「だったらそのまま眠らせておくか」と気を使ったのだとすればそこまで奇妙なことでもない。
「メールでの書き置きだけで済ませるなんて、コウヤならやりそうなことじゃん。それに同じ部屋で寝てたロコルにはちゃんと伝えてたんでしょ?」
「──そうっす。自分もセンパイたちより早く目が覚めて、そのとき丁度紅上センパイも起きてたみたいで……言ってたっすね、『もう出ていく』って」
「ほらね」
やっぱりコウヤっぽいじゃないか、とミオは言う。彼女のことをよく知るアキラの両親だってこの行動をちっとも変に思っていないのだ。ミオが同じ真似をしていきなり若葉家からいなくなれば大騒ぎになっただろうが、しかしコウヤならば「コウヤちゃんらしいな」で済まされる。つまりアキラだけなのだ、このことに違和感を覚えてしきりに首を傾げているのは。ミオがここまで言ってもそれは変わらず。
「そうなんだけどさ。俺も何か根拠があって言ってるわけじゃないんだけど……でもなんだか、妙に心配なんだ。ドミホにかけてもぜんぜん出ないしさ」
「それは帰って早速修行を再開しているからでしょ? コウヤのお父さんにも電話して、そう説明されたじゃん」
同じく父を師匠として修行という名のドミネファイト地獄を味わってきた経験のあるミオからすれば、連絡がつかないのはむしろ当然だと言えた。鍛える側としてドミホに限らず弟子が持つ連絡機器の没収は修行の開始前にまずやっておくべきことだ。弟子の集中を乱す要因の排除。自分がそうされていたようにコウヤも同じ状況にいるはずなので、電話になんて出られるわけもない。ミオとしてはそうとしか思えないのだが。
「気になったのはコウヤのお父さんの態度なんだよな。いつもとちょっと違うというか……どこかそっけない感じがして、すぐに電話を切られた。あの人らしくない感じだ」
コウヤの父はアキラに対してとても優しい。アキラの退院時にもドミホ越しに明るい言葉をかけてくれた、その直後のこととしては少々疑問が残る。それくらい先ほどの彼の態度はおかしかった──まるで隠し事でもしていて、それが発覚しないようにとすぐに会話を打ち切ったような不自然さがあった。
疑り深いんだなぁ、とミオは少しばかり呆れて。
「だからさ。コウヤの修行を見てるのはそのお父さんなわけじゃん? そりゃ監督中にかかってきた電話なんてささっと終わらせるに決まってるでしょ。長話なんてするはずないよ、そんなことしたら結局弟子の集中を切らすことになっちゃうんだから」
パパだってボクを鍛えている最中にはそれだけにかかり切りだったよ、と付け加える彼だったが。しかし妄執に取りつかれていた時期の泉モトハルが課した修行内容を一般的な基準に用いていいものかは怪しい。無論アキラだって、師匠としてコウヤに接しているときのコウヤ父が普段の自分が知る彼とはまったく異なるだろうということくらいは想像もつくが……しかしやはり変だ。いくら考えても、どれだけミオに理路整然と反論されても、どうしても胸に何かがつかえるような感覚が拭えない。
何故こんなにも不安な気持ちになっているのか自分でもわからないアキラだったが、わからないからこそ決断をした。
とにかくコウヤの様子を一目確かめよう、と。
「わっ、どうしたのいきなり。そんながっついて食べたら喉を詰まらせるよ?」
「んぐ……早く食べ終えてちょっとコウヤの家まで行ってみようと思ってさ」
「えー、それこそ修行妨害じゃん。嫌がられるんじゃない?」
「コウヤのお父さんならそれくらいで怒らないと思う。ていうか怒られてもいい。この胸騒ぎを落ち着かせないと居ても立ってもいられないよ」
杞憂であればそれでいいのだ。その事実さえ確かめられたならアキラは安心することができる。そうなれば、コウヤに対抗して今日から本格的に始めんと予定しているドミネファイトの自主練にも身が入るというものだ。夏休み明けのどこかのタイミングで必ず九蓮華エミルにリベンジすると誓っているアキラなので、ここでしっかりと更なるファイトの実力を身に付けたいところだった。
気もそぞろにドミネイションズに触れたところで望む結果は得られないし、何より協力を申し出てくれているミオやロコルにも悪い。緊急の仕事が入らなければ父とも久しぶりにファイトするはずだったのでそこだけが残念だ──が、休みが終わるまでにはそういった時間も取れることだろう。なので、今はまずコウヤに会いに行くこと。それが最優先だとアキラは箸を置いた。
「ごちそうさまでした!」
「……あの、センパイ」
「ん? 何、ロコル」
食べ終えて、早速出かけようとしたところにかかるロコルの声。「えっと」と言って何故か黙ってしまった彼女の態度は、まるでそれ以上口を開くのを躊躇うような、迷っているような。ロコルにしては歯切れの悪い仕草にどうしたことかとアキラとミオは顔を見合わせて。
ピンポーン、とそのタイミングでチャイムが鳴った。それは若葉家への来客を示す音だ。
──ひょっとしてコウヤだろうか? 噂をすれば影とも言う。まさに話題に出ていた彼女が忘れ物でもして戻ってきたのではないかと考えたアキラは、洗い物を中断して出ようとしていた母を「俺が行くよ」と制し、足早に玄関へと向かった。ドアスコープも覗かずに玄関扉を開けたアキラは、チャイムを鳴らした人物を確かめてひどく驚いた。
「ムラクモ先生! それに、泉先生まで!?」
そこに立っていたのは担当教員の一人であるムラクモと、現在はDAを離れどこかの秘境の地(?)にいるはずの泉モトハル。思いもよらないセットの来訪に目をぱちくりとさせるアキラに、泉はミオによく似た人好きのする笑顔を見せた。
「やあ、若葉君。元気そうで何よりだよ」
「押しかける形になって済まないが、入らせてもらっていいか。少しお前と話がしたい」
「あ、はい……どうぞ」
何がなんだかわからないままに、しかし拒否する由もないアキラはとりあえず二人を家へと招き入れたのだった。




