146.エミル選ぶ贄
今にもエミルへ襲い掛からんとする雰囲気を見せたコウヤに対し、制止をかけたのは彼女の隣にいるクロノだ。
「待ちな紅上。てめえだけで盛り上がってねえで事情を話しやがれ。いったいこいつはなんなんだ?」
九蓮華という名が何を意味するかはクロノとて存じている。それは常識の一種だからだ。彼はアウトロー気質であるがまったく他人を拒絶しているわけではなく、無論不良というわけでもなく授業にだって毎回きちんと出席している。ファイトに対する強すぎる意欲を除けば模範的な生徒そのものであり、根が真面目だと窺える生活態度を送っている(なので割と教師陣からの覚えもいい)。
そして真面目な日本人ドミネイターの一人として、日本ドミネ界における重鎮のひとつ『九蓮華』の名となれば片時も頭から消えないのは当然である──こういった言い方をすると察しが悪かっただけとはいえ九蓮華と名乗られてもまるでピンと来ていなかったアキラがひどく常識外れのようだが、実際それはその通りであることを彼の友人ならば誰も否定しないだろう。
アキラの知識、常識は偏っている。あるいはそういった歪さこそが、平均的な成長を辿っていない何よりの証。彼に秘められた特別な才能を物語っているとも言えるのかもしれない……と、九蓮華と認識した瞬間から一層の警戒を見せたクロノとオウラの極々常識的な反応と比較することで自身と同類であろう少年を想いつつ、エミルは口を開いた。
「説明には及ばないよ。私は君たちの先輩であり、敵である。とだけ理解してくれれば充分だ。どうしても動機が知りたいのであれば、そうだな。『贄に選ばれた』のだと。そう思っておいてくれ」
「贄だぁ……?」
「その通り」
クロノの剣呑な問いかけにもそよ風の如く柔らかく、爽やかに。美しいかんばせに微笑みを絶やさぬままエミルは肯定した。
そう、贄が必要なのだ。何をするにも、何を欲すにも。
なんであれ行為には対価が要る──しかしそれを支払うべきは自分ではなく、他の誰か。九蓮華エミルのために捧げられる供物こそが九蓮華エミル以外の全て。少なくとも彼が価値を認めない限りは活用法などそれくらいしかなく。そして贄となれるだけでも有象無象にとっては多分に名誉あることだろうと彼は考えていた。それ故の招待状。
「私はアキラ君が欲しい。私が創る世界を彩るに相応しい人物と彼はなってくれる。『そのために』君たちは贄となるのだ。アキラ君が知らず嵌めている己の枷を打ち破るために、ね。喜んでくれていい、これは君たちもまた私が目指す未来への礎に加われるということなのだから」
「……とまあ、どうやらこういう奴らしいぜ」
確かに一から説明するのも馬鹿らしい。こちらを見下す、どころか同じ人間とすら見ていないようなエミルの物言いを前にそう感じたコウヤが嘆息混じりにそう言えば、彼女の両脇からは炎が燃え上がり。
「ハッ……なぁるほどな、紅上。てめえがそんだけキレてんのも納得だ。つまりこの男は人を苛つかせる天才だってわけだな……!」
「わたくしもよーく理解しましてよ。この方は何を置いてもはぶっ潰すべき狼藉者。そういうことでよろしいわね?」
若葉アキラと九蓮華エミルの間に何があったかは知らない。いったい二人の間にどういった繋がりがあるのか、どういった関係性なのか。それがまったく気にならないと言えば嘘になるだろうが、しかし二人はそこへの興味を捨て置いた。探る意味がない──というより意義がない。たとえ切っ掛けや動機がなんであれ、エミルがアキラをどうする気であれ。今ここで自分を舐め腐っているこの男を許せるはずもないのだからそんなことは些細もいいところである。
その気持ちを酌めるだけにコウヤもあえて詳しい事情を話す必要はないだろうと判じ、結果として三人はろくな情報交換もないままにたった一人の倒すべき敵を見据えて意気を高まらせている。それは九蓮華エミルという異常性の塊と言っていい少年と相対するに最善の態勢であったが、されどもこのことはエミル側にとっても最善だった。手間が省けただけでなく、手っ取り早いことこの上ない。彼からすればコウヤたちが戦意を募らせるのは贄が自らその身を威勢よく捧げようとしているも同然であるからして、それを喜ばないはずがなかった。
「素晴らしい。流石はアキラ君の友人たちだね。彼と親しく、そして一年生の中でも特段の成績優良者。それが君たちの選抜理由だ──少しくらいは歯応えを期待してもいいかな?」
「嚙み切れるものなら噛み切ってみな、九蓮華先輩よ。その前に俺様の牙がてめえを食らい尽くすがな!」
コウヤとオウラよりも前に一歩進み出てデッキを構えるクロノ。なんの相談もなく一番手に躍り出た彼に対し、当然不満を持ったコウヤが「おい!」と呼びかけるが。
「黙ってろや紅上。なんと言われようと俺様は譲るつもりなんざねえぞ。どうしても最初に戦りてえってんなら……まずはてめえから倒してやってもいいんだぜ」
強い相手と戦いたい。その一心だけでDAに入学し、強敵とのファイトを嗅ぎ付けてはミオの一件にも首を突っ込んできたクロノだ。彼の行動原理はどこまでいっても純粋な戦闘欲。飢えた獣が獲物を探すのと同様に本能に刻まれたものだ。そんな彼が九蓮華エミルという最上の獲物を前に譲り合いの精神を見せるなどあり得るはずもない──だったら、とコウヤもまた激情に任せてデッキを取り出した。
「望み通りにやってやろうじゃねえかよ──あぐっ!?」
「おやめなさいお馬鹿さん」
スパン! と小気味いい音を立てるコウヤの頭。一瞬何が起こったのかと混乱するも、横にいる彼女に思い切り頭頂部をはたかれたのだとすぐに気付く。
「っ痛ぇな、思い切り叩きやがって! お前も喧嘩売ってんのか!」
「心外ね。状況を考えなさいと忠告してさしあげているのですわ。敵を目の前に無駄な諍いで疲労を溜めてどうしますの。愚者の振る舞いにも程がありましてよ」
「ぐ……だがアタシはどうしても自分の手で奴を」
「であるなら尚のこと、玄野センイチが敗北するのを悠々と待てばいい。あれだけ不愉快に宣っておきながらけだものにあっさりと負けるようであれば九蓮華エミルとは所詮その程度の男。頭に血を上らせる価値もないでしょう?」
そしてクロノの側が負けるようであれば、ファイトを通して明らかとなるエミルの扱うデッキタイプや陣営、その腕前が値千金の情報となる。どちらにせよ本気で彼に敗北させたいと願うのであれば後に控えて損はないだろうと、オウラはそう言っているのだ。
それは自信過剰のきらいはありつつも根底にはクレバーさがある彼女らしい物の考え方であり、だからこそコウヤとは相容れないものでもあったが。しかし言っていることは正論だと、怒りに駆られている頭であってもそこだけは判断がついた──中でも身内で削り合っている場合ではないという部分は、特に同意できた。
相手は振り幅を振り切ったアキラをも上回ってみせた男。負けるつもりなど毛頭ないが、しかし、ほんの僅かにも油断があっては命取りになるだろう。エミルとのファイトがそういったシビアな勝負になると予測もできているだけに、コウヤは。
「……わーったよ。ここはアタシが大人になって譲っておくぜ。クロノにゃそういうの無理だろうしな」
「はいお利巧さま。というわけですからどうぞお好きに散ってくださいな、玄野センイチ」
「ケッ。こいつを食らったらてめえらの番だと覚悟しとけよ」
戦うべきプレイヤーは決まった──そしてファイトが始まる。




