141.馬鹿らしい笑い話
ロコルはどこか遠くを見つめるようにして振り返る。
「エミルは……自分の兄は、生まれたその時から『違っていた』。本人がそう言っていました。両親や他の兄弟姉妹とは決定的に違う、九蓮華の異端こそが己であると──そういう自覚を抱いて生まれてきたんだって。自分にそう言ったんす」
猫被り。ドミネイションズ・アカデミアで下級生の内は実力を表に出さず、その無邪気な残虐性も隠し通して教師陣の目を欺いていたように。九蓮華での彼は家訓や掟に忠実な、現当主が求める逸材そのもの。そう見えるよう、そうとしか思えぬように偽っていた彼だ。異常な才能を持ちながらそれを秘匿できること。それもまたエミルという人間の異常性を高める要因のひとつだと言えた──そんな彼が何故、五つ下の妹であるロコルにだけは隠すべき秘密を打ち明けたのか。
「自分も隠していたつもりなんすけどね。でもエミルにはあの洞察力があるっすから、自分程度の猫の被り方じゃちっとも通用なんかしなかったんすよ。エミルのファイトを見てた泉センパイなら、自分の言ってることわかるっすよね?」
若葉家でコウヤを待っている間にミオの呼称を「坊や」から「泉センパイ」に改めたのは、無論のこと初対面である彼と一悶着の末に決められたのだが、とにかく呼び方で敬意を示してくれたエミルに倣ってミオも先ほどの子供扱いの無礼については許している。ただ、アキラやコウヤに向けてのセンパイと自分へ向けてのセンパイには若干響きの違いがある気がしないでもない……というのは穿ち過ぎなのかな、と少し気にしながらもそれは話とまったく関係のない部分なので努めて流し、ミオは言う。
「うん、わかる。ボクもコントロールタイプのデッキを好むドミネイターとして対戦相手の一挙一動に目を凝らすことはよくする。そうやって少しでも多くの情報を得るのは大切だってパパから教わったし……だからこれでも観察眼にはそこそこ自信があるんだ。でも、そんなボクからしてもあの人のそれには太刀打ちできない。とてもじゃないけど真似のできないレベルの、途轍もない洞察力だった」
まさしくとロコルは深い同意を以って頷く。真似などできるはずもない、あの何もかも見通す『目』もまたエミルの異常性を示すひとつである。その力が彼のファイトをより圧倒的なものへ昇華していることは疑いようもなく、ライフコアをギリギリまで削らせるという演出を可能とするのも尋常ならざる眼力あってこそだろう。
「一ターンのプレイからアキラのデッキの傾向を見抜いた。だけじゃなく、墓地へ落ちたりコストコアへ変換されたカードの種類まで判別したんだったか? ……確かにすげー推察力があるし、単純に動体視力も半端じゃなさそうだ。だけどそれって本当にその場で見抜いたことなのか? ミオは事前情報ゼロでやってきたに違いないって確信してるみてーだけどよ。それだけじゃエミルがアキラを前もって調べてこなかったか──つまりはデッキタイプや使用カードの情報をまったく知らなかったかどうかは、エミル本人にしかわからないじゃねえか」
事前情報ありきの看破ではない保証はどこにもない。そう主張するコウヤに、そういった意見が飛び出すと予め承知していたかのようなスムーズさでロコルが言葉を返した。
「当然の疑問っすね。そしてその疑問を解消する術を自分らは持たないっす……だけどこれだけは言っとくっすよ。エミルとファイトすれば紅上センパイの疑問は否が応でも晴れるし、その時にはもう手遅れになっていると」
「……そーかい。そんだけの強敵だってことだな」
甘い認識の一欠片だけでも致命的となりかねない。エミルと戦う気でいるならどこまでもシビアに彼のことを、彼の力を認めなければならない。そうでないと戦う前から負けているも同然であり、そもそも勝負の土俵にも立てないのだ──ロコルが言わんとしているのはそういうことだとコウヤにも理解できた。
「最大限に警戒してもなお足りないくらいっす。エミルを過小評価して惨敗した上の兄や姉たちの姿を何度も見てきた自分が言うんすから、それは間違いのないことだと思ってほしいっす」
ロコルの物心ついた頃の最古の記憶は、他の兄弟を蹂躙するエミルのファイトの様だ。それによってエミルは各世代から一人だけと定められている──言い換えれば唯一の次期当主候補となった証として──DAへの入学が認められ、華々しく送り出された。つまりエミルにはDAの入学試験を受ける前から既に激しい蹴落とし合いに勝利してきた実績があるのだ。それも難なく、余裕と遊び心すら持って彼は骨肉の競争を楽しみまでしていた。その時のエミルの笑みが脳裏に焼き付いて、ロコルは忘れたくても忘れられずにいる。
「九蓮華への不信。他の兄弟姉妹にはないそれを見抜いたエミルは、自分のこともまた異端だと称して喜び、色んなことを嬉々として話してくれたっすけど。当然共感なんてできなかったっすし、エミルの言う通りにするつもりなんて毛頭なかったっすから。形は違えど結局お人形にさせられるのは違いない。そう理解したから、自分は逃げたっす。九蓮華からもエミルからも。逃げて逃げて関係のない人間になりたかったっす──なりたかった、っすけど」
一人のドミネイターの誕生の場に居合わせて。彼の持つ輝きに──九蓮華家の者のそれとはまったく異なる美しさに魅せられて。そんな彼の行く末を誰よりも近くで、誰よりも傍で見届けたいと、そんな風に思うようになって……そしてその矢先にエミルと出くわした。この数年間、上手い具合に接触を断てていた彼とあっさりと再会することになってしまった。
それは紛れもなく若葉アキラがもたらした縁。
「奇縁も悪縁も縁の内。だからこれも運命、なんすかね。あるいはエミルの言う通り、あいつと同じ血が流れているが故のことなのか。エミルもセンパイを知ってしまった。自分と同じように、センパイに可能性を見出して、その将来に勝手な希望を持っている。とんだ笑い話っすよね」
そっくり兄妹じゃないっすか、と無理に笑うロコルの姿は痛ましいものだった。それだけアキラのことが心配で、彼がエミルの手によって病院送りにされた事実にこたえているのだろう。兄と妹、とはいえ他人は他人。ロコルはむしろ危ういところからアキラを救った立役者でもあることから、過度に責任を感じる必要などあるはずもないのだが。しかし彼女本人はそう考えていないようだった──過去の因縁に追いつかれた。それがアキラを傷付けたのだと、そこまで思い詰めている。
アキラがドミネファイトにのめり込み、実力を伸ばし、ドミネイト召喚にまで至ったこと。それらがロコルの時間を惜しまない手厚いサポートあってのものだというのは確かで、であるなら彼女がそこに責任を覚えるのもあながち筋違いとは言えないだけの道理や根拠が存在していることになる……のだが。
そんな悩みは実に馬鹿らしいことだと、コウヤはロコルの鬱屈を一笑に付す。
「おいおい。お前こそ自分の生まれに捕らわれ過ぎちゃいねーか? ロコルがアキラを支えたいと思ったこととエミルがアキラに目を付けたこと、そこにはなんの関係もねーっての。『先に唾を付けてんだから後からしゃしゃり出て我が物顔してんじゃねえ』……お前はただアホ兄貴に対してそう言ってやりゃいいんだよ。しょげる必要も後悔する必要もねえ。──アタシがさせねえよ、そんなこと」
「紅上、センパイ……」
「改めて宣言するぞお前たち。九蓮華エミルはこのアタシ、紅上コウヤがぶっ飛ばす。アキラの親友として、あいつに引っ付く悪い虫は全力で駆除させてもらうぜ!」




