140.怒れるコウヤ! 若葉家の庭にて
「アキラが病院送りにされただと……!?」
事態をアキラの両親から聞きつけておっとり刀で駆け付けたコウヤだったが、肝心のアキラの姿は若葉家になく。ミオの口から今宵何があったか仔細を聞き出し、アキラが現在治療を受けている最中であることを知ったのが今だった。
衝撃に染まるコウヤの問いに頷きつつ、ミオが言った。
「甘井っていう生活保全官が医者を手配してくれたんだ。どこの病院に向かったのかは教えてくれなかったけどね」
それは用心のため。エミルのこと、引いたように見せかけてアキラが一人になったタイミングで闇討ちを仕掛けてこないとも限らない。というアンミツの想定にはミオも頷けたことだし、他の生活保全官と合流しつつ一刻も早くアキラの容態を診る。それを最優先に考えるのは実に正しいと思えた。故に漏洩の可能性を少しでも低くすること、そして頭数を極力減らして静かな移動を心掛けること──これは九蓮華家の執事の尾行があった場合に撒きやすいようにする意味もある──のふたつに同意し、ついていきたい気持ちをぐっと堪えて全てアンミツに任せてきたのだ。
「アキラの両親宛てに連絡があったけど、命に別状はないってさ。だけど衰弱が激しいから、戻ってくるのは明日になるみたい」
バシン! と若葉家の庭に渇いた音が響く。それはコウヤが自身の掌に拳を打ち付けた音だった。
「ふざけやがって。九蓮華エミルだぁ? 上等じゃねえか。ドミネ高家だろうがDAの先輩だろうがアキラをそんな目に遭わせて無事で済むと思うなよ、くそったれ……!」
燃え滾る闘志と剥き出しになった歯。コウヤはまさしく怒髪天を衝くといった様子で怒りを隠そうともしないが、それに対してミオは眉をひそめた。戦意を昂らせるのはドミネイターとして悪いことではないが、しかし冷静さを欠いてはいけない──特に九蓮華エミルを相手取ろうというのなら余計に。その忠告をすべきだろうと彼は考えた。
「ちょっと、二人の仲を思えばそれだけ怒る気持ちもわかるけどさ。でももう少し落ち着いた方がいいよコウヤ。何せエミルは圧勝したんだ。パパとのファイト以来初めてドミネイト召喚が叶ったほど乗りに乗っていた、つまりは『爆発力』を最大に発揮したアキラを相手にね」
エミルは引き分けなどと口にしたが、他ならぬアキラがそれを認めていないように、観戦していたミオから見てもあの勝負はどう判定しても『エミルの勝利』。それ以外にジャッジの付けようなどなかった。
何より勝負の内容が問題だ。エミルのライフコアも残り一個という生徒際まで減らされており、ファイトの形勢としては互角の名勝負にも思える……が、それは数字だけで結果を見た場合の錯誤に他ならない。エミルはあえてアキラのアタックを誘い、ライフが減らされるのを楽しんでいた。コア、残りひとつ。あのひとつは仮にアキラが何をどう頑張っても届かなかった「決定的なひとつ」であろうとミオは疑わない。
ファイトの流れ全てを完璧に操ったエミルの手腕あってこその演出されたギリギリの戦い。ドミネユニットであるアルセリアを呼び出してもアキラはそれを打ち破ることができなかった──最後の最後までエミルの掌上にいた。これは確かなことで、現に最後の場面。エミルがトドメの一撃を放とうという際の互いのアドバンテージ差を思えばより確定的であった。
アキラのユニットは全滅状態、かつ手札もゼロ枚。クイックチェックのチャンスも残されていない。対してエミルはまだ能力の全容を明かしていないエターナルを従えるばかりか、手札も五枚と豊富にあった。あの状況だけでも二人の形勢が「互角だった」などとは口が裂けても言えやしない。
元プロドミネイターである己が父すら破ってみせたアキラの爆発力。それすらも破ってみせた……否、物の数ともしなかった九蓮華エミルとは。
「何が言いてぇんだよ、ミオ。アタシじゃ敵わないとでも?」
「敵う敵わないの話はしてないよ。そんなの戦ってみないとわからない、と今のボクならそう思うから。ただあの人は確実に一筋縄でいく相手じゃあないってことが言いたいんだ。頭に血が上ったまま挑んでもろくなことにはならない……それこそそんな無謀に挑むなら、コウヤは敵いっこないだろうね」
「はっ。心配してくれてありがとよ。だが杞憂だぜ、アタシはカッカしててもファイトの腕は鈍らない。むしろ切れ味が増すタイプでな」
そこでコウヤはミオから視線を移した──ここまで黙って聞き役に徹していたロコルへ、彼女は獰猛に言った。
「悪いがロコル。お前の兄貴はアタシのドラゴンの餌食になる。たった今そう決まった──何か文句はあるか?」
「ないっす。でも……」
「でも、なんだ」
「こんなこと言いたくないっすけど、たぶん紅上センパイじゃ無理っす」
「……ほぉう」
びきり、とコウヤの額に出ている血管がより色濃く浮き彫りとなった。誰が見ても明らかなほどの激憤を募らせながら、コウヤは一つ年下の後輩少女の前に立つ。
「アタシにゃ何が無理だって?」
「紅上センパイじゃ、自分の兄を──九蓮華エミルを倒せない。そう言ったっす」
「……お前も上等じゃねえか。『今のアタシ』も知らねえでよくぞそんな予想ができたもんだ。なんだったらまずお前に味わわせてやろうか? 新しくなったアタシのデッキの切れ味ってやつをよ」
「こら! ストップストップ、アキラん家で険悪ムードになんてならないでよね。一番アキラのことで心を傷めているのはアキラのお父さんとお母さんなんだよ!?」
ボクたちが余計な心配かけられないでしょ、とミオは窘めるというよりも叱るようにして二人へそう言った。この中で最年少の彼にここまでの正論を告げられてしまえば、いくら怒り一色に染まっているコウヤであっても多少は血気が下がる。すまん、とバツが悪そうに詰め寄ったことを謝った彼女にロコルは「気にしなくていいっす」と本人こそが何も気にしていない様子で応じた。
「紅上センパイの言う通り自分のはあくまで予想でしかないっす。今の紅上センパイどころか、今のエミルの実力だって正確には測れていないんすから予想にしたって無茶苦茶ではあるっす──だけど、そうであっても。それでも自分の予想が外れるとは思えないんすよ。そう思わせてくれないだけのモノが、自分の兄にはあるっす」
どこまでも神妙に。コウヤの知るいつでもどこでも底抜けに明るく笑ってばかりのロコルとはまったく異なる表情でそう語る彼女だった。それを受けて、コウヤにも少しづつアキラがどんなドミネイターに負けたのか理解でき始めた。
「そこまでなのか、エミルって奴の強さは」
「強いよ。恐ろしいほどに強い。そしてそれ以上に、恐ろしいほどに『恐ろしい』。変な言い方になるけどこれ以外にあの人を表す言葉がボクには出てこないんだ」
「恐ろしいほどに強くて、恐ろしいほどに恐ろしい……」
そりゃいったいどんな物の怪をつかまえての表現なのかと問いたくなるコウヤだったが、頭を振る。ひとまずその寸評を飲み込み、まず自分のすべきことは──アキラの無事の帰還を祈ることと、それからもうひとつ。
「だがお前たちからなんと言われようとアタシは戦うぜ。報復ってだけじゃあなく、アキラを守るためにもな」
「それって、つまり」
「ああ。話を聞いた限りじゃそいつ、この先もアキラにちょっかいをかけてくるのが分かりきってるからな──待ち構えるのは性に合わねえ。こっちから仕掛けて、負かして、誓わせるんだよ。もう二度とアキラに妙なことできねえようにな」
それ以上にアキラを守る最良の方法はないだろ? と同意を求める彼女に、ミオは難しい顔で呻り。ロコルは静かに瞼を下ろして、それから言った。
「確かにそうっすね。本気のファイトで打ち負かされる。それ以外でエミルが止まることは、きっとないんすから」




