139.九蓮華の凋落、エミルの理想
「……相手になる、だって? ロコル。本気で言っているのかい。徹底して私の敵にならぬよう避けてきたお前が、今ここで本気になって私とファイトする、と?」
「自分はそれでもいいっす。センパイのためならそういうこともできる……で、エミル。お前の方はどうなんすか? 今ここで私と『殺し合うこと』を良しとするのか否かっす」
「…………」
じっと。感情の窺い知れない目で妹を見つめるエミルだったが、そこにある変化にアンミツとミオは気付いた。先ほどまでのまったく無感情、無機質極まりなかった色味なき瞳と違って今の彼には──たとえ種別までの判読は不可能であったとしても──確かにその内には感情らしきものがあった。
それが何を意味するものなのかは不明だが、しかしファイト中も一切の動揺を見せなかった彼が初めて多少なりとも「ペースを乱されている」。唯我独尊を地で行くエミルのマイペースを崩すことがどれだけの偉業かは既に理解が及んでおり、だから尚のことにミオとアンミツは確信する。
それを事も無げに成し遂げてしまうこのロコルという少女は間違いなく『九蓮華』の人間であり、そしてエミルの妹に違いないと。
短くない沈黙、後に。
「──歯応えのないドミネイターを処理するのにもいい加減飽きてきたところだ。それだけにお前の誘いは非常に魅力的だが……やめておこうロコル。私たちが血で血を洗うことほど不毛なことはない。何故ならお前もまた私の世界の住人に相応しい一人であり、そして堕落した九蓮華を再び昇華させるキーでもある。私としては彼もそうなってくれればと願わずにいられないが」
そこでちらりと、未だに自分を。自分だけを見据えたまま立ち尽くしているアキラに目をやってから、彼はふわりと微笑んだ。
「だがそれはもう少し先の話かな。ロコルもまだ十二歳だ、時間をかけて確かめてみるといい」
「だから。お前と一緒にするなって言ってるっす──センパイを守る理由はそんなものとは無縁っす。だいたいエミルだけっすよ、今の九蓮華をそこまで嫌っているのは」
なんとかならないんすかその革命主義、と心底うんざりした様子で兄の言動に物申すロコルへエミルは首を振って言った。
「嫌っているのではないよ。嘆いているのさ、私は。お前の言う通りドミネイションズに関りのある者なら九蓮華を崇める。誰しもが、だ。しかし九蓮華にそうも持て囃されるだけの価値が果たしてあるのか──いいやない。ないんだよエミル。今の九蓮華が日本のドミネ界隈にどれだけ寄与できている? 答えは絶無! 辛うじてそれができていたのは私たちの曽祖父の代までだ」
これを嘆かずしてなんとする、とエミルはロコルだけでなくこの場にいる全員に問いかけるように言う。九蓮華の凋落。誰からも指摘されず、自覚もなく。果実が腐るように内側からダメになっていく生家の実態を語る彼は、何かしらの執念のようなものを振り撒いていた。思いの丈を述べる。エミルは自身の本質を、根幹にある何かを惜しげもなく晒している──しかしそこに人間味らしい人間味などなく。
「過去に捕らわれている。九蓮華も、その名に踊らされる周囲も。悪しき風習だ、私は心から嫌悪する。現代の九蓮華とはもはやかつての栄光という貯蓄に縋り貪る餓鬼も同然、堕落を象徴する名だ。『化けの皮』が剥がれるのも時間の問題。貯蓄すらなくし路頭に迷ったその時、一層に腐敗した九蓮華の醜さが世に露呈する──我らが名の未来がそれでいいのか、と。お前にだけはそう何度も問いかけたはずなのだがな」
「全然いいっすよ。喜ばしいっす」
「──何?」
「返事するのもアホらしくて無視してたっすけど。自分の答えは『オールオッケー』っす。そもそも一個の名前がいつまでも力を持ってるなんて健全じゃないんすよ。他の高家だってそう……旧ドミネ貴族なんて必要ないくらいに日本のドミネ界は発展した。次のステージに入ったんだって。そう思えば喜びこそすれ嘆くことなんて何もないっす。言葉にこそしなくても、自分はそれを態度で示してきたつもっりすけどね」
やっぱエミルには伝わらなかったっすか、とからからと笑うロコル。そんな彼女にエミルは目を細める。自分が知るかつての妹と、今のロコルとを比べて、随分と変わったものだと改めて思う。それは良い変化なのか悪い変化なのか……とそこで思考を打ち切り、どちらでも構わないと彼もまた笑う。
いずれにしろ「九蓮華らしさ」からの乖離。
それは彼が目指す理想からすれば歓迎すべきものであるのだから。
「流石。幼くして九蓮華をあっさりと捨てた家出娘の言うことは違うな。私にはない奔放さだ」
「そっちこそ、九蓮華を唾棄するくせにその力だけはちゃっかり利用する。そんなエミルらしい我儘な主張っす」
「そうとも私は我儘だ。我儘で何が悪い? 力ある者が『我』を通すこと。それはつまるところ『正義』なのだ。力なき者の主張のなんと脆く意味のないことか……それは悪として断罪されすらしない、まったくの無。存在しないも同じなのだから惨いことだろう。凝り固まった利権主義はその最たるもの──故に力には力で、我には我で通さねばならない。私は邁進する。何も諦めず何も捨てず、全ての理想を必ず叶え成し遂げてみせる。アキラ君のことも、諦めないよ」
「……!」
デッキを握るロコルの手に力がこもる。ここまで言ってもトドメを刺そうというのか──ならばその前に乱入し、強引にファイトを始めるまで。そのつもりで向けたロコルの鋭い眼差しにエミルは柔らかく答えた。
「だが、今日のところは引こう」
「……どういう風の吹き回しっすか。なんでも我を通すと宣ったばかりで」
「いや何。アキラ君に足りないものは見えたのだ、敗北をより深くまで刻み込むよりもまずそちらから手を付けても悪くないだろう。そう考えたまでのこと。無論、私は何も諦めない。彼が私の世界に相応しい住人となってくれるまで。叩いて叩いて打ちのめして、覚醒者へ至れる器へ育ててあげるつもりだとも」
「そんなのセンパイにとっちゃ余計なお世話でしかないっす」
「ふふ! 彼からすればお前のお節介も余計なものだったはずだがね。何せ彼はエターナル最後の一撃を受ける覚悟を持っていた──が、それはお預けだ」
ファイト盤に広げられたカードを片付け、懐に仕舞うエミル。当事者による中断。それによってファイトは終了となり、未だに攻撃態勢を保っていたエターナルも霞のように空気に溶けて消えていく。
「アキラ君のライフコアはまだひとつ残っている。私がアタックを命じれば確実に終わる勝負、それは絶対のこと。だとしても本当の最後までは何が起こるかわからないのがドミネファイトだ。エターナルを前にしても決して諦めなかった君の闘志に免じて、このファイトは『引き分け』だと覚えておくよアキラ君。……再戦要求はいついかなる時でも受け付ける。職員室を通した申請なんてなくても、ね」
「……エミル、先輩」
「なんだい?」
呼吸するのも辛そうな。エミルからかけられた言葉の半分も聞こえておらず、聞こえた部分すら脳が処理できていないであろう息も絶え絶えのアキラは、それでもファイトが終わったことだけはしかと認識できていたようで。
「引き分け、なんかじゃ……俺の、負け……だから……」
「だから、なんだい?」
「俺は必ず、あなたに……あなたを、倒──」
す、と言いかけて。そこで限界が来たのだろう。ファイトの終了によってそれまでどうにか保っていた意識、緊張の糸がぷっつりと切れてしまった。力なく地面に倒れようとする彼の身体をアンミツが慌てて支える。それを見てミオとロコルが気絶したアキラに駆け寄る中で、エミルだけは彼に背を向けてファイトスペースを後にする。その後ろ姿に未練はなく。
「言葉の続きはいずれ必ず聞こう。もっと必死に、もっと剥き出しになった君の口からね」
──そうしてエミルは夜の闇へと消えていった。




