138.ロコルの秘密
新たな闖入者。その存在に真っ先に反応を示したのは名を呼ばれたエミルではなく、アキラだった。ダメージにより覚束ない視力で、けれど彼は確かにそこにいるのが誰であるかを認識した。
「ろ、こる……?」
「そうっす、センパイ。ご存知あなたのロコルっす」
久々の再会。電話こそ毎日のようにしていたものの、直接名を呼ばれたのは数ヵ月ぶりということもあってかロコルはとても嬉しそうに笑って。だがその笑みをすぐに消して、キッとエミルの方へ顔を向けた。その普段の彼女からは想像もつかないような険しい表情にアキラはひどく驚き、そしてエミルは可笑しそうにした。
「おやおや──ロコル。驚いたな、執事を使ってもまるで足取りの掴めなかったお前とまさかこんなところで顔を合わせるなんて……なんだ、ひょっとして。お前もアキラ君に目を付けていたのかい」
血は争えないな、などと楽しげに言う彼にロコルは嫌そうに舌を出した。
「べー、だ。センパイから目を離せなかったのはその通りっすけど一緒にはしないでほしいっす。玩具を欲しがってるだけのエミルとは違うっす!」
「玩具か。まだそんなことを言っているのかい? それは悲しい誤解だと何度も説明したはずだよ。……まあ、お前は私だけでなく九蓮華家の誰の言葉にも耳を貸さずに家を飛び出したくらいだ。今更何を言っても無駄なんだろうね」
如何にも胸を痛めていますというようなポーズを取るエミルにロコルはふんと鼻を鳴らすが、今の会話には周囲にとって聞き逃せない重大な部分があった。そこにリアクションを取ったのはアンミツだ。
「九蓮華家から飛び出した……? ということは、あなたも」
「ええ、そうっすよ──九蓮華ロコル。それが自分の名前っす。そこにいるエミルは、五つ上の自分の兄っす」
兄と妹! 言われてみれば白と桃色混じりの髪に深く青みがかった黒い瞳を持つエミルと、桃色のふかふかとした髪に真っ青に近い瞳をしたロコルとはそれなり以上の共通点があった。顔立ちはそっくりというほどではないがどちらも整っていることは間違いなく、仮に仲睦まじく道を歩いていればすれ違った十人中十人が彼らを兄妹だろうと、疑いなくそう見做すであろう程度にはよく似通っている。
「く、九蓮華の人間が二人も。それもどっちもアキラを狙って……?」
「む。だから自分は違うって言ってるっすよ、坊や」
「ぼ、坊やだって!?」
ちびっ子扱いされることを何より嫌うミオが九蓮華への委縮も忘れて「むかっ」とするが、今はそれどころではないと努めて気を静め、口を閉ざした。そんな彼には目もくれずロコルはただひたすらに、エミルに対しての警戒を絶やさずにいる。そのとても兄に向けるものとは思えない視線を浴びて、しかしエミルは実に心地よさそうに。
「ふ……そうともロコル、お前は違う。私とはまた別の意味での九蓮華の異端。あくまで九蓮華を利用せんとする私と異なり、お前はなんともあっさりと家を捨てたね。そこを私は好ましく思う」
「エミルから好かれたってなんにも嬉しくないっすよ。むしろ侮辱に等しいっす」
「ひどい言い様だ。だけど許そう、廃れるばかりの九蓮華においてお前は私の次に才能に恵まれた傑物。私の妹を名乗るに相応しい存在なのだから」
だが、とエミルは続けた。
「だとしても私の邪魔はするな。特にファイトの妨げはロコル、お前といえども笑って許してやれるものではない。心して答えてくれ妹よ──お前は何をしにここへ来た?」
凄むエミル。その迫力は、彼が従えているエターナルが放つプレッシャーと相まって尋常ではない。それを直接向けられているわけではないアンミツやミオですら重力が増したかと錯覚するほどの濃密な殺気の中で、されどロコルは自然体のまま。如何にも「イヤそうな顔」をして兄へ応じた。
「覚えのあるヤーな気配がしたもんっすから、それを辿ってきてみれば。やっぱりその正体はエミルで、そしてやっぱりろくでもないことをしてるじゃないっすか。……別に自分は正義の使者じゃあないっすし、だとしてもエミルと関わり合いにはなりたくない。ここで襲われているのが見ず知らずの誰かであればきっと自分はそのままスルーして身を隠していたっす──でもセンパイが襲われているなら話は別。とてもじゃないけど看過はできないっすよ、エミル」
「……ほう。興味深いね、お前がそこまで入れ込むのは──いや、彼であればそれも納得か。だから面白いのは私たちが揃って同じ人物に惹かれたという点だろうな」
ただしそれも偶然ではない。エミルはそう考える。これは導かれし必然であると。覚醒に至る者が得るべき機運にして気運がもたらした然るべき物語に違いない──で、あるならば尚のこと。
「彼の心身に私の手で敗北を刻む。それを欠かすわけにはいかないな」
「何故っすか。勝負はもう決しているっていうのに、トドメを刺すのがそんなに大事っすか」
「おっと妹よ、お前の口から出た言葉とは思えないな。私の前から姿を消して数年、随分と下々に馴染んだと見える。だが誤魔化せはしない……お前にだってよくわかっているはず。反動だよ。折れた骨や千切れた筋肉が、より強靭さを得て補強される身体構造のように。敗れた経験から二度とそんな苦渋を味わうまいと奮起するのがドミネイターというもの。アキラ君がもう一段階『上』へ昇るために必要なことだとね」
それともなんだいロコル、とエミルは嘲笑うように言った。
「逃走の身も忘れて守ろうとするほど惚れておきながら、アキラ君のことを信じてあげられないのか? 彼を甘く見るのは感心しない……確かにそこらの有象無象であれば私の、エターナルの本気の一撃を食らえば再起不能は免れないだろう。準覚醒者同士のファイトとなれば命の危険すらあるくらいだ、お前が不安に思うのも当然のこと──だけど私はアキラ君を信じる。彼ならきっと、いや、必ずや! 命を取り留めた上で私へのリベンジを誓ってくれるとね」
「……!」
どこまでも自分本位。それでいてアキラへの信頼に嘘はない様子であることから、この時アンミツとミオは全身の肌が粟立った。あまりにも異様、あまりにも異質。ファイト中も、その前からも感じていたことではあるが。ここにきて彼の持つ異常性をより明らかに、より強く実感した──させられたことで真夏だというのに真冬の極寒よりも寒々しいものが二人を覆った。それと同じものを彼女だって感じているだろうに、けれどロコルだけは。
「それが言い分なら、甘く見てるのはお前の方っすよ」
「ふむ?」
「この状況でサレンダーを拒否するセンパイのそれは、エミルにも負けないだけの狂気っす。とんでもないドミネイションズ馬鹿が若葉アキラっていう人なんすよ──そこだけはエミル、お前にもセンパイは勝っているっす」
「…………、」
言われて、改めてエミルがアキラを見てみれば。一連のやり取りが耳に入っているのかどうかも定かではない不安定な立ち姿に、おぼろげな眼差し。限界いっぱい。それは見ての通りだが……しかしそれでも彼は降参することを良しとはせず。そして焦点も定まり切らぬ目ではあるが、今もしかとこちらを見据えていること。戦う者の瞳をしていることに、エミルは気が付いた。それは粛々とトドメを受け入れよういう目ではなく。
彼はあくまでも「諦めていない」のだと知った。
「わかったっすかエミル。トドメを刺そうが刺すまいが同じなんすよ。センパイはもうとっくにお前を自分が倒すべき相手として定めているっす。──それでもまだエターナルを暴れさせたいっていうのなら」
自分が相手になってやるっす。
そう言ってロコルは懐からデッキを取り出し、エミルへ見せつけるように腕を突き出した。




