118.九蓮華エミルの誓い
カード狩りの死神。投げかけられたそのワードに、エミルはどこか鷹揚に頷いた。
「ええ、それに関しては聞き覚えくらいありますよ。昨今世間を騒がせている全国的な都市伝説でしょう?」
日本各所、あらゆる都市に前触れなく現れてはそこのドミネイターへ見境なくアンティファイト──マナー違反とされている『賭け試合』を有無を言わさずに仕掛け、そしてカードを巻き上げるという通り魔めいた存在。それがカード狩りの死神と呼ばれる何者かである。
エミルが言ったように死神はまさしく都市伝説のように噂が流布されているが、しかし被害者の数と証言からアンティファイトを挑む怪しい人物が実在していることは確かで、無論ドミネ界隈ではそんな不届き者を捕縛せんと一部が捜索に乗り出しているところなのだが……彼らの奮迅も虚しく現在に至るまで目ぼしい成果は出ていないのが正直なところだった。
ドミネイターが守るべき絶対のルールを定めるIDRの日本支部、そこの実働部隊が主となっている死神捕縛(または討伐)作戦。日本のドミネ界の重鎮であるドミネイションズ・アカデミアは要請があればいつでもそれに協力する姿勢を見せており、既に両者間での情報共有はある程度済んでいる──それによって見えてきた事実がひとつ。
それを告げるべく、三学年の学部主任。外見的な特徴が一切ない、中肉中背かつさっぱりとした顔立ちの彼は手元のボードに目をやった。そこにはとある資料がある。
「エミル君は外出申請がとても多いですね」
「おや? 話が飛んでいませんか、先生」
「いいえ飛んでいません。僕はカード狩りの死神について話をしています──エミル君。君の外出日と死神の出現日は一致している。偶然と片付けるには少々無理のある精度で、です」
一年間のデータだ。死神が初めてその存在を認知された事件から直近の事件までの、約一年間の出没データ。それとエミルがDAを出た日は奇妙なまでに重なる。それも一日や半日だけの休みなら死神の活動も短く、長期の休みであればその分活動時間も範囲も広くなるという『あからさま』なまでの符合が見受けられる。
この事実はまだここにいる数名しか知らない秘されたもの。とはいえ、DA内や周辺では一度も死神が確認されていないことからIDRが両者の間に何かしらの関連があるのではないか、と疑いを持つのは自然なことだと言えた。勿論それは死神が明らかにIDRの捜索から逃れるように動いているのと同じく、天下のDAに対しても同じように用心し『触れない』という賢明にして当然の選択をしただけとも考えられはするが。
だがIDR実働部隊隊長は長年の悪質ドミネイター検挙の経験からほぼ勘にも等しい推理でそこの繋がりを確信し、しかしてDAの生徒や教師をいきなり犯人扱いで捜査に乗り込むわけにもいかないので──これはDAの名の重みというよりは学園長個人の威光が大きい──データを送ると共にそれとなく内部精査を打診をしたというのがエミルを呼び出すに至った発端、その原因のひとつであった。
「なるほど。つまり先生方はこう仰りたいのですね──私こそが件のカード狩りの死神その人。この一年間、各地でアンティファイトを繰り返し人のカードを奪っていたのが九蓮華エミルである、と。なんの証拠もなく、たかだか休日の日付の一致。それだけのことでそう決めつけていらっしゃるわけだ」
「偶然で済ますには無理があると言ったはずだぞエミル!」
そこで声を上げたのは、特徴の無い三年主任の彼とは正反対に特徴のあり過ぎる二学年の学部主任。今日もピチピチの白Tでこれでもかと服の下の筋肉をアピールしている男、権林ゴンザレスだった。
自他ともに「DA一熱い男」と認められている彼は呼び名に相応しく全身からエネルギーを迸らせており、今はその熱量の全てがエミルただ一人へと向けられているわけだが。けれど普通の生徒であればただそれだけで勘弁してくれと願うような暑苦しさのある彼と向かい合って尚、エミルの笑みは涼しげなままで。
「証拠にならない、と私も言ったはずですよ。確証がない。絶対的な物的証拠というものがね。本当にただの偶然ではないと証明する手段がそちらにあるのですか?」
「ぬう、それは……」
ない。これもまたあからさまなことに、トーナメントの付近から死神の出没例はぱったりと更新されなくなった。それはいよいよエミルの異常性に教師たちが気付き、また集まった死神の情報から結びつけるともなく彼と結びついた前後のこと。単純にトーナメントにかかり切りになっていたが故……そうとも取れるし、そろそろ自分に疑いの目が向けられる頃だと正確に読み取っていたからこその抜かりない自重。そういう風にも見えた。
「確かに証明の手段はない。一足遅かった、と言ったところか。お前にそう居直られてしまってはどうしようもない」
エミルに負けず劣らず感情を窺わせない平坦な口調でムラクモが言った。その言葉に少年は「ひどい言われようだ」と悲しむようにしつつ、けれど表情はむしろ楽しそうに。
「どうしてそうも私を責めるのですか?」
「お前の歯止めが年々利かなくなっているからだ」
ムラクモは思い出す──過去のエミルのことを。
一年目は普通の生徒だった。二年目から頭角を現し始めた。三年目には学年トップの称号を欲しいままにしていた。四年目には対戦相手を再起不能に陥らせるまでになっていた。そして、五年目。
彼は自身の持つ才能を悪い方向へ輝かせることに一切の躊躇を持たなくなり、また、未だ推定の段階ではあるが見ず知らずの人間にまでその毒牙を向けている。どんどん抑制が利かなくなっている──この先を思えば教師らが憂うのは、むしろ在学中よりもエミルが卒業してしまった後のことだ。
「ただ勝つだけでは満足できない。そう言ってしまえるお前は、ならファイト自体すべきじゃない。勝利を目指すドミネイターの根本に相反しているからにはな」
「おかしなことだ。私が何を思い、何を目指してファイトするのか。それこそ他人に『とやかく言われるべきではない』──そうではありませんか? ……実際、具体的な手の出しようがない。だからこその呼び出しであり、まるで圧迫面接のようなこの場を用意したんですよね」
「…………」
口を閉ざしたムラクモに、くすくすと。まったく忍んでいない忍び笑いを漏らしながらエミルは自分の前に立つ教師一同。そしてその奥で腰かけている学園長を見渡して言った。
「こんなことのために学園長の貴重な時間まで奪ってしまって、恐縮です。そこまでしていただいたからには私も先生方にそれなりの誠意で応えないといけないでしょうね。たとえ故も知らぬ一方的な容疑をかけられている身だとしても、善良な一生徒としては当然にそうすぺきでしょう」
誓います、と彼は言う。正々堂々と、なんの衒いも臆面もなく。
「栄えある『九蓮華』の家名に誓って、カード狩りの死神と私はなんの関係もないことを。そしてわざと対戦相手の心を折るようなファイトはもうしないことをお約束いたします」
そう言い切った彼は一度腰を曲げて深々と頭を下げ、すぐに顔を上げる。それから改めて自分の宣言がしかと教師陣に届いたことを確認して、満足そうに踵を返した。
「というわけでお話はもうお終いですよね? 私もそろそろ夏休みを楽しもうと思います。ので、これで失礼させていただきますね」
軽快な言葉と足取りで、許可も待たずに学園長室を後にせんとするエミル。それを止める声は上がらず、彼が出ていった扉はすぐに閉ざされた──それから室内に吐かれた非常に重たいため息は、ひょっとしたら六人の学年主任たち全員分のものだったかもしれない。




