117.アカデミアの優等生とは
「東雲サイジと九蓮華エミルの激闘。押しつ押されつを繰り返したあの決勝戦は名ファイトとして観戦していた生徒たちに記憶されている──だが真実はそうではない。そのことを我々教師と、東雲サイジだけが知っている。それ故に彼の心は折れてしまった」
「どういうことでしょう」
「どういうことでしょう? お前がそうさせたのではないか、エミル。最初から最後まで。サイジの頭を抑えつけつつも終始手加減しお前は待ったのだ。彼が全てを懸けて攻勢に打って出るその瞬間、つまりは東雲サイジの全力が発揮されるその時をだ」
「ふむ……そうでしたっけ。そう言われてもファイト内容を覚えていない私としてはまったくピンとこないのですが、しかし仮にそれが真実だとして。相手の全力を引き出すのが悪いことなのですか?」
「やり方が論外だ。そも、友人同士の掛け値なしのファイトでもなければ指導ファイトでもない、ましてやトーナメント決勝という重大な勝負において『手を抜く』行為そのものが無作法。どのような理由があっても相手を傷付けるものだというのに、よりにもよってお前は……手を抜きつつも相手をより苦しませることばかりに注力していた。歯磨き粉のチューブから最後の一欠片までを絞り尽くすように。サイジをやり込め続けた挙句、彼の最後の抵抗もあえて正面から受けて、その上で叩き潰した。一切の容赦なく、これでもかと力の差を見せつけるように」
真実を知らぬ者からすればエミルとサイジの最後の攻防は、名ファイトの決着に相応しい見応えのあるものと映っただろう。だがサイジからすればそれはとんだ的外れの大誤解。彼は狙い澄ましたつもりの逆転の一手すらもエミルによって導かれた流れであり、それを軽々と越えられたことで彼我の力量差がどれほどのものか──「計り知れない」という事実を推し量ってしまっただけに、重く深い絶望を味わった。味わわされたのだ、エミルによって。
勝負ではなかった。勝つ気でいた己ばかりが滑稽であったと堂々と上がった決勝の舞台で知ったサイジは、その敗北を機にプロへの志願を取り下げた。現在四年生のトップドミネイターとして名を馳せながらも少しも驕らない彼を絵に描いた優等生と周囲の者は言うが、その評もまたただの勘違いであることをサイジ本人と彼の苦悩を知る弟のタイガだけが知っている。
──しかし本人の意向がどうであれ、教師から見れば弟も含め東雲サイジが有す才能は本物であり、将来有望な生徒の一人である。それを抜け殻にしてしまったエミルに対して思うところは当然にあった、が。
七人の教育者からの、決して優しくはない視線を一身に浴びながら。そっとエミルは微笑んだ。
「そうですか、東雲何某くんは折れてしまったと。私との一戦が原因でそうなってしまったというのならとても心苦しいことですね……けれど、だからなんなんです? 相手を屈服させること。勝負である以上ドミネファイトの本質とは畢竟そこにあり、敗北者が二度と立ち上がれなくなるのなんてそう珍しくもない。私のプレイングがそれを助長させたとしても、しかしどう戦うかは私の自由。東雲くんがそうであったように、そこに外野の方からとやかく言われるのはおかしなことのように思えるのですが」
「では、あの結果は偶然の産物。お前自身あくまでも心を折ることが目的ではなかったと言うのだな?」
「いいえ?」
「──なんだと?」
「いえ、当時の自分が何を思って戦っていたかを覚えていない以上確かなことは言えないのですが、しかし私が私であるのならきっと『そのつもり』で戦っていたのだと思いますよ。だってつまらないじゃないですか──ただ勝つだけなんて、ねえ?」
「……お前というやつは」
五学年学部主任の彼は額に手をやって、実に頭が痛そうに眉根に皺を寄せた。しかし教師にそんな態度を取らせておきながらもエミルの佇まいに変化はない。それもそうだろう、『外野にとやかく言われるのはおかしい』。礼を失した口調はともかくとしてエミルの主張はDAという学校内においては至極正論である。
ふたつの学年を競わせる合同トーナメントという大会の趣向がそうであるように、DAとは言わば蠱毒のツボ。時には実力差があって当然の組み合わせで戦わせてでも生徒同士を過激に錬磨させるのが教育方針であるからには、ある意味では九蓮華エミルのファイトはその体現であり、彼こそが優等生であり模範生だと称すことすらできる。
とはいえ限度がある。対戦相手の心を折った。そこまでであれば要注意の生徒として名が伝達はされど、だからとて教師が直に何をするわけでもない。実際にこれまではエミルに対して過度な干渉をしてこなかった──それとなく彼がもたらす被害を軽減させようと授業内容に工夫を凝らす必要はあったが、繰り返すが「これまでは」それで充分だったのだ。しかしながら今年の五・六年生合同トーナメントにてエミルは対戦相手のみならずそれ以外まで再起不能にした。彼と直接ファイトした者は勿論、それをただ観ただけで生徒らの心は砕かれてしまったのだ。
本物の才能。それが邪を隠さずに披露されるというのは、そんな相手へライバルとして立ち向かわねばならない生徒たちにとって耐え難いだけの重圧となる。戦えないのも無理はなく、であるなら背を向けて逃げ去るしかない。彼と来年に首位争いをしなければならない同学年は当然として、先に卒業したとてすぐにプロの世界に彼がやってくることを思えば六年生もその道に進めない。結果として彼以外の上級生は全滅となり、来年度の六学年はたった一人だけということになった。
それを受けて、六学年の学部主任。この場における唯一の女性である彼女は薄く息を吐いた。
「私なりに懸命に説得したのだけれど。誰一人として残るとは言ってくれなかったわ──『去る者追わず』。そこにも自主性の尊重を持ち込むのはひとえに折れてしまった生徒の保護の名目もある。強制的に残留させる手段をあえて用意していない以上、辞めると固く決意してしまった子を引き留めることは叶わない。端的に言って私のケアではまったく力不足だったのだわ……忸怩たる結果だけれどね」
あるいはそれ以上にエミルによって付けられた傷が、あまりに深すぎた。そういうことなのだろうと彼女もわかっている。五年生も含めてここにいる短髪の男性教師と共に彼らの傷を埋めんと努力し、されどどれだけ努力してもその全てがまるで成果を見せなかったとなれば否が応でも察してしまう。
九蓮華エミルという生徒の異様と、彼が持つ飛び抜けた天賦の才を。
「ご愁傷様です……と、私が言うのは違うのでしょうね」
「なんの慰めにもならないものねえ。むしろ煽られている気分。あなたにそんな気があろうとなかろうと……でもね、九蓮華くん。来年には私が受け持つ唯一の生徒になりそうな九蓮華くん。あなたに対して私たちが『とやかく言いたいこと』はトーナメントの件だけではないのよ」
「そうですか。他にもまだ何か?」
生徒の呼び出し。それも学園長室への有無を言わさぬ召喚というのは尋常のことではない。学びの自主性、自己責任を全面に押し出すDAは授業外のことであれば生徒間のトラブルにおいても出来得る限り学校側からの干渉は避ける。それだけに滅多なことでは『呼び出し』という措置も取られない、というのをエミルもまた存じている。よって用件が他にもあることを想定できていたのか、はたまた本気で何故呼び出されたかを理解できていないのか。どちらにせよまるで動じない泰然自若の振る舞いはエミルの異質さをより際立たせている。
いっそ朗らかなまでに警戒も恐怖もない彼に対し、口を開いたのは三学年の学年主任であった。
「エミル君。『カード狩りの死神』……そう呼ばれる存在について、ご存知ですね?」




