116.透明な少年
アキラがミオを我が家へと誘った同日同刻。ドミネイションズ・アカデミアの学園長室にて、一人の少年が「ふわぁ」となんとも気の抜けたあくびを漏らした。
そこは学園長室であるからして、少年は客人であり、彼を招いた側である部屋の主──即ち学園長も在室中。好々爺然とした雰囲気そのままに学園長は、DAのトップを前にも平常を崩さないその少年に「ふむふむ」と何か納得したように頷いている。それは紛れもなく少年に対する感心であった──何せ彼の前にいるのは自分だけではなく、他にも六人。それぞれの学年で学部主任を務める教師陣が少年と相対するように立っているのだ。
少年もまた自らが招かれたのではなく「呼び出された」のだと理解しているだろうに、なのにこの態度。まさにこれから重要な話を始めようという時にも興味なしとばかりに堂々とあくびをする彼には、もはや肝が太いどころではない豪胆さがある。
彼の名は九蓮華エミル。白と桃色の美しいグラデーションを持つ珍しい髪色に、これまた目を引く部分によって明度の異なる青みがかった黒の瞳。顔立ちの造形美と相まって、どこからどう見ても容姿端麗な美貌の少年であった。
「九蓮華。呼び出しの理由はわかっているな?」
「…………」
「おい、九蓮華。こちらを見ろ」
「ん……ああ、すみませんムラクモ先生。何か言いましたか? ぼうっとしていて聞き逃してしまいました」
臆面もなくそう言ってのける彼は謝罪こそ口にしているもののそこに申し訳なさなどは一ミリも見受けられない。むしろ口元に浮かぶ薄い笑みはハッキリと挑発的ですらあった。が、しかしながら彼の言動に挑発の意はない。恐ろしいことにこの他人を見下したような──否、見下してすらいない「なんとも思っていない」ような態度。それが九蓮華エミルという少年の素であった。
一学年主任として過去に彼のことも見ているムラクモは、そしてここにいる六学年主任以外の全員はエミルのことをよく知っているし、理解している。その本質、その本性を。聞く気があるようには見えない彼の態度を注意したところで暖簾に腕押し。時間の無駄は合理的でないとムラクモは判断し、ひとまずエミルのおざなりな謝罪をスルーした。
「お前のやってきたことについて改めて話そう」
「私がやってきたこと、ですか」
「ああ。これまではまだDAの暗黙のルール、ファイトによる自然淘汰の範疇だったんだ……お前との真剣勝負を機に学園を去る生徒が極端に多いことは、まだしもな」
大昔のように。まさしく血で血を洗うような競争があった頃とは異なり、現代のドミネイションズ各種教育機関は整備されている。良くも悪くも一握りの強者にして狂人が育った古きは終わり、今は幅広く才能を開花させるのが倫理的にも効率的にも良しとされる新しき時代となった。
世界への挑戦だけがドミネイターとしての道だったその当時は脱落=死。その表現が大袈裟でないくらいに当時は誰しもが文字通り必死で戦っていた──それが現代にまで続いていないのは偏に学園長が主導して行った改革によるもの。社会の多様化と合わさって今では必ずしもプロとして世界で競うのみがドミネイターの道ではなくなっており、DA教師もまたドミネイションズに携わる職の代表的一例。世間に広くそう認識される程度には競争の在り方が変化した。
しかしそれでも。やはりドミネイターに求められる第一がドミネファイトへの適性であり強さであることに変わりはない。そればかりはどれだけ時代が変わろうと不変である──故に淘汰は必ず起こる。いや、必ず起こさなければならないのだ。
競い合わせて戦い合わせなければ上に昇る者は現れず、そうすると下へ落ちていく者、脱落者というものもどうしても出てくる。DAに入学したからと言って全ての生徒に道が開けるわけではなく、おおよそ半数は残りの半数のための贄となる。つまり彼らは才能を持つ原石たちの実力を高めるための当て馬にして研磨剤であると、そんな意地の悪い言い方をすることもできる──その例え方の品の無さはともかくとして、けれど決して否定できるものではないとムラクモであれば認めるだろう。彼だけでなくDAで生徒たちの蹴落とし合いを目の当たりにしている教師であれば誰だってこの現実を否定できないはずだ。
厳しい現実が横たわっていることは厳然たる事実。生徒同士がファイトして、片方が心を折られて学園を去る。それ自体はDAの日常風景に他ならないが──しかし。
「やりすぎだ、九蓮華」
「何がでしょう」
「今月初めに開催された五・六年生合同トーナメント。優勝したのはお前だそうだな。おめでとう」
なんの感情も乗せずに告げられた祝福の言葉にエミルもまた「ありがとうございます」と無感動に……というよりも色味なく答えた。そこに窺える心情はない。エミルがトーナメントの優勝に対してもまたなんとも思っていないことを知ってムラクモの眉はぴくりと動く。
「だが生憎と祝ってやろうという気にはなれない。何せ結果が惨憺に過ぎる……お前以外の全上級生が『自主退学』を申し出てきたからにはな」
「…………」
荒だててこそいないものの、明確な厳しさのあるムラクモの口調と言葉。それをたっぷりと時間をかけて、実にのんびりと意味を飲み込んでからエミルは言った。
「それが、何か?」
「……!」
「としか言えないですね、私としては。ムラクモ先生ご自身で言ったように淘汰はこの学校絶対のルール。生徒には競争の自由とそこから降りる権利が与えられている……私に負けてDAを去るというのなら、それもまた決断のひとつ。何も問題らしい問題もないのでは?」
「度が過ぎる、と言っているんだエミル」
と、そこで我慢できないとばかりに口を開いたのは五年生の主任である男性教師。髪を短く刈り込み、ジャージの上下を着込んでいるその姿からは活発で明るい印象を受ける。しかしその表情だけは重苦しい悲痛に歪んでいて。
「これまでもお前とファイトした生徒の大半がなんらかの不調を抱えてきた。その度合いが段々と酷くなっていくのを俺たちはずっと危惧していた──だがお前の才能は生徒の中でも跳び抜けている。大器が完成するまでの犠牲というものはどうしても出る、だから好きにさせてきたが……だが! いくらなんでも、ふたつの学年に渡って全滅なんてあってはならないことだぞ!」
「わかりません。私も、そして私以外の皆さんも。全力で戦った結果ではないですか。DAが望む通りにしのぎを削り、優劣を定めた。罪を犯したわけでもなし、まるで本気でファイトに臨むのが悪いことのように言われては戸惑ってしまいますよ」
「──うむ、一理ある。確かにエミル、お前はDAの校訓をその身で体現していると言っていい。ある意味での最もの模範生だろう」
ロングヘアを無造作に垂らした、どことなく芸術家気質を感じさせる神経質そうなその男性の同意に、短髪の教師は驚いたように何か言おうとして──すっと上げられた手に遮られる。彼はまだ言わんとしていることの途中であった。
「では、東雲サイジ。この名前に覚えはあるかと訊ねよう」
長髪の男性は四学年の学部主任である。つまり前年度にエミルを見ていたのが彼だ。当然にその時のトーナメントを管轄していたのも彼であり、そんな人物からの質問にエミルはこてりと首を傾げた。
「教員の方……ではないですよね。誰でしたっけ、それ」
「昨年の三・四年生合同トーナメントでお前と決勝争いをした生徒だ。現四年生。あのファイトは見ていた者たちの間で語り草となっている……そんな戦いを演じた相手のことを、まったく覚えていないのか?」
「ああ、あの時の……道理で聞き覚えがあったわけだ。ですがすみません、そのエピソード自体は覚えていても、東雲くんなる生徒については顔も使うカードもまったく記憶にないですね」
「やはりな。それこそが問題であり、エミル。お前の異常性の証明でもある」
「…………」
糾弾の響きを持って告げられたかつての担当教員の言葉に、やはりエミルは無色透明の顔付きで泰然と続きを促した。




