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114.決着と新たに始まるもの

 ミオの手が触れた瞬間に泉は身体を震わせた。それはあたかも親からの叱責に怯える子供のようだった……まるで父が抱いている恐怖そのものに触れたみたいだと、ミオは思う。だからその上から小さな身体で彼を優しくつつみこんだ。


「大丈夫、大丈夫だよパパ。ボクはパパに怒ってなんていないよ」


「ど……どうしてだ、ミオ。私がお前にしてきた仕打ちはとても許されるようなものじゃないというのに。いくら親子だろうと──いや、親子だからこそ。お前の愛情に私は同じだけのものを返してやれなかった。むしろそれを利用していた」


「ボクだってそうだよ。縛り付けられている間ならパパと一緒にいられる。そう思ってたし、それでいいと思ってた。ボクが下手に逆らったりしてパパの思うようにいかなくなれば……パパはどこか遠いところに行ってしまいそうで、とても怖かったんだ」


 そんなことになったらどうすればいい? と。間近に父の顔を見つめながら、ミオは悲しみを吐露する。


「ボクにはパパしかいないのに」


「……!」


「だから謝らないで。ボクのパパを、やめようとしないでよ」


「そんなわけには……いかないだろう。犯した罪には罰が必要なんだ。お前への教育という名の虐待じみた特訓も、DA教師という立場の私的利用もそうだ。私の罪は重い」


 そこで泉は東雲兄弟へと目を向けた。特に彼と縁の深い兄サイジにはその視線の意味がすぐにわかったようだった。


「君たちにも申し訳ないことをした。ミオの手駒にしようとしたこと。謝って許されることではないが、ここに謝罪させてほしい」


 かつての自分と同じく決定的な挫折を経験した生徒を励ますでも発破をかけるでもなく、渡りに船であると息子の出世街道プロデュースのため悪用したこと。彼らの未来を捻じ曲げてでも将来的に作るつもりであったミオの派閥に組み込まんとした泉の企みは、人が聞けば顔を顰めるような類いの悪しき行為だ。間違っても前途ある子供に対して教師のすることではない──それを自覚して頭を下げる泉に、頭を下げられている側は複雑な感情が窺える苦笑で返した。


「俺としては、何も謝ってほしいとは思いませんけれどね。俺も弟も自分の意思で決めたことです……先生に誑かされたわけではない。この結果だってなるようになったのだと、そう納得するだけですよ」


 そしてそう悪い結末でもないのだろうと思う。物理的にも、そして心の距離でも。サイジが見る限り明確に離れていた父と子がこうしてしっかりと向かい合っていること。一度は身を委ねた泉の計画が白紙に還ってしまったらしい点については残念と言えば残念だが、それもむべなるかな。収まる所に収まったのだと信じたい。


「強いて言わせてもらうなら、どうかこれからは息子さんとよく向き合って親子仲良く過ごしてもらいたいものですね。付き合わされた身としてはそこが元の木阿弥となっては本当に馬鹿らしいので」


「……だから、そんなわけにはいかないんだ。私がこれ以上ミオと共にいるわけには……」


「責任を放棄するってことですか」


「!」


 鋭く切り込まれたアキラの言葉。自分の目を覚まさせた少年の指摘に、泉は黙るしかなかった。彼が見つめる先でアキラは「はあ」と重々しく息を吐く。そこには隠そうともしていない呆れの気持ちがあった。


「あまり都合のいいことばかり言わないでください、泉先生」


「都合のいいこと……? どういう意味だ、なあなあで許される方がずっと私にとって都合がいいはずじゃないか」


「自分で決めた罰に従って、それで断罪された気分になるのはやめろって言ってるんです」


「……!」


「そうじゃないでしょう、あなたのすべきことは。本当にミオに対して罪の意識があるなら、あなたがしなくちゃならないのは……これまでを取り戻すこと。父親らしくしてやれなかった分、もっともっとミオを大切にしてやることじゃないんですか。ここでミオから離れるのは放り出すのと一緒で、あなたよりもミオが苦しむ行為だ。俺たちにとってはその時点で論外なんですよ。楽な逃げ道に行こうとするのはやめてください」


「楽な、逃げ道……」


 アキラの容赦のない語り口が、かえって泉にはよかった。ぐちゃぐちゃになっている思考をまとめる気付けのように、彼は少しだけ鮮明になった視界で改めて目の前の息子を見つめる。


 揺れる瞳。泣きはらし、こすり、赤くなった瞼と目元。不安の表れか白くなりかけている唇。ひどい表情だ。子供にこんな顔をさせているのが自分だと思うと余計に情けなく、消えてしまいたいくらいの気持ちになるが……それこそが「都合のいい考え」だとアキラに指摘されたからには、もはやそこには逃げられない。ムラクモの言う通り、ミオの気持ちを考え。サイジの言う通り、ミオと向き合っていかなければ。


 自分よりも妻によく似た顔立ち。泉はそっと涙の雫を拭ってやった。おっとりとしていた彼女とは反対の溌剌とした性格のミオだが、泉と二人きりのときにはその元気さも影を潜めていた。そうさせていたのは他ならぬ泉自身であり、最後に彼が自分の前で子供らしくはしゃいでいたのはいつか。それが思い出せないことが無性に悲しく、寂しかった。


「……ミオ」


「パパ」


「まだボクを、パパと呼んでくれるのか?」


「ずっと呼ぶよ。だってパパはパパだもん」


「そうか……そうだな。ボクはお前のパパだものな」


 そう言って、少しだけ笑って。今度は父の方から息子を抱き寄せて、そして大切そうにその両腕で抱きしめた。


「ボクは本当に、何も見えていなかった。今だってきっとそうだ。ボクがちゃんと父親をやれるようになるのはしばらく先のことになると思う……それでも待ってくれるか? 厚かましい願いではあるが。どうか不甲斐ないボクに、もう一度チャンスをくれミオ……!」


 泉は泣いていた。息子の涙を拭いてやった傍から、今度は自分が号泣しながら懸命に許しを請う。とても父親らしくはないその行為に、けれどミオはとても嬉しそうに。喜びと慈愛の笑顔でそんな彼に語りかけた。


「待つよ。いくらだって待つ。だからね、パパ。パパが自信を持ってボクのパパだって言えるようになったら。その時は、ボクと──」



◇◇◇



 それから一月あまりの時間が経ち、ドミネイションズ・アカデミアは夏休みに入っていた。全寮制かつ大量の職員が勤務していることで普段は賑わっている学食も帰省者の多いこの時期ばかりは閑散としている。どの時間帯でもそれなりに混雑している普段からは考えられないほどの静かな空間、その一席に、アキラとミオの姿があった。


 メロンソーダの上に乗ったアイスをぱくつきながらミオが言う。


「それじゃアキラが帰るのは一週間後?」


「そうなるね。その時にしか父さんも母さんも帰ってこないから」


 父の仕事内容に関しては『ドミネイションズ関連』という点以外は詳しく知らないアキラであるが、時期によってかなり多忙になるらしいとは承知している。国内外問わずの出張に追われることも多々あり、今回は欧州圏に出ている。そして普段は留守を任される母もアキラがいないことからそれに同行、若葉家は現在空っぽであった。


 本当ならアキラが帰ってくるDAの夏休み開始に合わせて父と母も日本に戻ってくる予定だったのだが、何やら仕事上のごたごたで帰還が延期となり、それに合わせてアキラももうしばらく寮で両親の帰宅を待つことになったのだ。


「まーお家で一人ぼっちよりもこっちにいた方が楽だよね。大抵のことは黒服さんたちがやってくれるし。でも、コウヤの誘いを断ったのはなんでさ? ご近所さんなら泊めてもらえばよかったじゃん」


「あーっと、それは……コウヤのお父さんもすごく忙しい人でさ。でもこの夏休みは久しぶりに一緒に過ごせるんだってコウヤも喜んでたんだよね。頻繁に連絡は取り合ってるみたいだけど、やっぱり直接顔を合わせることの代わりにはならないだろ? だから、せっかくの親子水入らずに俺が邪魔しちゃ悪いかなって」


「ふーん。意外とアキラってば気を使うタイプだよね……ガンガン行くときは怖いくらい行くくせに」


 などと言いながらミオはアイスの最後の一口を放り込んだ。名残惜しむように口内でそれを溶かしている彼を見て、アキラは神妙な調子で泉モトハルの件について切り出した。


「あの人のことは、残念だったね」



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