113.その父、その息子
「ミオ……見ていたのか」
ファイトスペースの外で観戦していたムラクモやチハルと共に、ミオがそこに立っていた。敗北するところを見られていたと知って泉は少し唇を噛んだ。……ミオと同じように、一斉にファイトを始めたメンバーがそこには一通り揃っていた。東雲兄弟も、彼らと戦ったクロノにコウヤ、そしてミオの対戦相手であったはずのオウラも。一同の顔付きを眺め、泉はここで行われた勝負の趨勢を悟った。
「そうか。完敗か、私たちは」
そこで彼は教師としての、そして父親としての自分を思い出した──だがその口元に浮かぶ小さな笑みにははっきりとした自嘲の色があり。それを見て何を思ったか、ミオが「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にした。
「……何を謝る?」
「だって。ボク、また負けちゃったから。パパにあれだけ『必ず勝て』って言われたのに、なのに」
「──私も負けた。必ず勝てる勝負などない……それだけのことだ。それだけのことを思い出すのに、随分とかかってしまったが」
まるで迷子のように不安そうな表情で尚も謝罪し続けようとする息子を見ていられず、泉は彼の言葉を遮って首を振った。本当に、なんとも時間をかけてしまった。どんな挫折も味わうことなく頂点に立つ。自分にはできなかったそれを、ミオならできると。彼の才能を知った瞬間から長く夢を見ていた──ミオも巻き込んでの、最悪の悪夢を。
我が子の才に目が眩んでいた。自らの才の無さに打ちのめされた直後であったために、余計に我を忘れた。なんとも情けない話だと、一人のドミネイターだった頃を思い出した今ならそう思える。アキラという少年とのファイトが、久方ぶりに純粋な闘志を抱かせてくれた戦いが、彼を夢から覚めさせた。
だから。
「私をパパとは呼ぶな。……お前にそう呼んでもらえる資格が、私にはない」
「……!」
何度となく。親子の情など教育には要らぬと、徹底した師弟関係を築くために注意してきたその呼び方。甘えたがりの頃からそれを許さず、泉はミオを息子というよりも自分を超えるドミネイターになる素材としてしか見てこなかった……そのことを彼は今、初めて悔いている。故にこうしていつもの指摘を、いつもとは正反対の意味を込めてミオに告げる。
「私は父親失格だ。教育者としても、無論に。お前がそんなにも辛そうに怯えた顔をしていることに、今の今までとんと気付けなかったのだから」
ミオは良き息子だった。辛く厳しく当たる父を恨まず、懸命にその期待に応えんとする。まさに天がくれた宝物のような存在。心ではそう感じていながらも、しかし『夢』を忘れられなかった彼の思考はそれを塗り潰し、非願成就の道具とすることを選んだ。──報いを受けねばならぬ。泉は心からそう思った。
「私は馬鹿だ。己の弱さも、愛する人を失った悲しみも。全てをお前にぶつけてしまった。お前の強さに私の方が甘えていたんだ。そうすることでしか前を向くことができなかった……母のいない寂しさだけでなく、父が父足り得ない苦しみまで押し付けて。それでも勝ち進むお前に、勝利以外の一切から目を逸らしていた。その結果がこれだ」
十三歳の子供に糾弾され、挙句に負かされて。ミオに見たものと同じだけの圧倒的な才覚に横っ面をはたかれてようやく我に返った。これまでの自身の非道に目を向けることができるようになった。……情けない以外の言葉が見つからない。世界で一番惨めな生き物が己であると、泉は断言することができた。
「こんな父の下に生まれてきてしまったお前は──」
「言わないで!!」
今度は息子に父が言葉を遮られ、驚いて口を閉ざす。泉が思わず肩を揺らしてしまうほど、それだけ制止するその声には並々ならぬ想いが込められていた。
ミオは泣いていた。
「言わないでよ……そんなこと、言わないでパパ。ボクは、パパがパパでよかったって。パパの息子でよかったって……そう思ってるんだから」
「……どうしてだ。私はお前にずっと、父親らしいことなんてひとつもしてやれてない。それどころかお前の苦しみの元凶がこの私じゃないか──なのに、どうして」
それは本気の困惑だった。大の大人としては非常に頼りない様子で、泣きじゃくる息子に負けず劣らず迷子を連想させるような泉の狼狽ぶりに、嗚咽で喋ることが叶わないミオに代わりその隣に立つムラクモが口を開いた。
「本当にわかりませんか? 何故ミオがあなたを捨てずに一緒にやってきたのか」
「ムラクモ先生……それはいったい、どういう」
「彼は天才だ。それは担当の一人として俺も認めるところですし、何より素晴らしいのはその才能がドミネイションズのみに偏っていないこと。勉学を始めとしてミオの利発さはファイト以外にも遺憾なく発揮されている……そんな彼ならば、誰に教えられずともできたはずなんです。現状からの脱却。あなたの手から逃れることは、そう難しくなかった──取れる手段なんていくらでもあった」
「……!」
「それこそDAに訴えれば我々が動く。本人からの談判さえあれば、『家庭の事情』などと幕を引くことなくこちらからも積極的に手を出せた。言わずもがな学園長の影響力は甚大です。あの人が一言物申せばその一時間後にはあなたとミオは引き離されている。……それがわからないミオではないでしょうに、しかし彼はそうしなかった。機会があろうとも周囲に助けを求めるのを頑なに避け、あなたと共にいることを都度に選び続けた。その理由はたったひとつでしょう」
とん、と。いつでも不愛想で無作法な彼にしては優しげな、配慮の込められた仕草でミオの頭に手を置いて。視線だけは泉から逸らさずにムラクモは続けた。
「彼だけなんですよ。あなたのことを『父』として。『師』として認めて、そして愛していたのは。この子だけなんです」
「────」
絶句。思いもよらぬ理由の正体──それが愛であると打ち明けられた泉の胸中は、今度こそ困惑一色で染まった。見ようによっては間抜けにも思える彼の唖然とした顔。しかしそれを見て笑う者はこの場に一人もいなかった。
「……他ならぬミオがあなたを父親と認めて『庇っている』。それでは俺たちも手の付けようがない。彼はそれも計算付くで、あなたの非道に付き合っていた。そうする以外にはなかったんですよ、あなたと離れないためには」
「私を、ミオが庇っていた……? 何故、そんなことを。私から離れた方がミオにとっては余程よかっただろうに」
「父親が一人息子にそれを言いますか? 彼からしても泉先生、あなただけが父親で。唯一の家族なんですよ」
「家族……」
「血の繋がりとは不思議なもの。目には見えず、時には糸切れよりもか細く頼りなくありながら……しかし確かにそこに存在し、時にはこの世の何よりも強く固い繋がりにもなる。……父と絶縁関係にある俺だから言わせてもらいますが、大切になさった方がいい。親子の縁というのは失い難くも得難く、あって当然のものではないのですから」
「…………」
言われて、泉は息子を見る。涙をぐしぐしと拭って、ようやく落ち着いたらしい彼は父からの視線に真っ直ぐ応えて見つめ返す。そこには確かに、以前の泉では感じられなかった──感じようともしなかった自分への愛情が込められていた。それはかつての妻の眼差しを思い出させる、心を内から温めてくれるような瞳。
「ッ……ミオ。すまない。本当にすまない……!」
それにすら目を背けていたのだと気付かされ、もはや立っていられなくなった泉が膝をついて深く頭を下げれば。そんな父を見て駆け出したミオが、蹲る彼をぎゅっと優しく抱きしめた。




