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枕小僧でございましゅ  作者: 弍口 いく
3/3

後編 生まれ変わって生き直したかったのよ

 ホテルの部屋に戻ったすみれは、パジャマに着替え、脱いだ服に着いた血を洗い流していた。

珠蓮じゅれんくん……」

 気が付くと涙が頬を伝っていた。


 この2年、1日も忘れたことはなかった。

 ずっと会いたいと思っていた。

 その再会が、こんなショッキングな形で訪れるとは想像だにしていなかった。


「明日になれば、元気な姿の彼に会えるのね」

 時計を見ると、午前2時を回っていた。

「もう今日だわ」


 酷い1日だった。

 ベッドに入ったものの、気持ちが高ぶりなかなか寝付けない。

 無理に目を閉じても眠気は来ない。それどころか、胸元が重苦しい気がしてきた。


 う……金縛り? 

 この感じは昨夜と同じ?


 目を開けた菫の視界に飛び込んだのは、予想通り枕小僧まくらこぞうの顔だった。


 菫が飛び起きた弾みで、枕小僧は吹っ飛び、壁際に転がった。

「酷いでしゅ~~また吹っ飛ばすなんて」

 昨夜と同じ、壁を背に三転倒立しているような格好だった枕小僧は、ピョンと回転して立ち上がった。


「なにしに来たのよ、さっきはさっさと逃げたくせに」

「それは……すみましぇんでした、恐ろしい大妖怪がお揃いでしたので、つい……、でも緊急事態なんでしゅ、芹様が大変なんでしゅ、お助けください!」


「あたしが行っても力になれないわよ、重賢じゅうけん和尚さんに頼まなきゃ」

羅刹姫らせつひめ様はあなたをお望みなんでしゅよ」

「羅刹姫様?」

 枕小僧は戸惑っている菫の手を強引に掴んだ。

「えっ?」

 次の瞬間、菫の目の前からホテルの部屋の風景が消えた。



   *   *   *



 菫は横断歩道の真ん中に立っていた。

 月も出ていない真夜中、周囲に人影はない。

 信号は青、自分は渡ろうとしているんだろうか?

 そう思った時、眩い光に襲われた。


 急ブレーキの音が響く。

 迫るヘッドライト。

 ぶつかる!


 しかし、衝撃はなく、菫は歩道にいた。

「えっ?」

 いつの間にか枕小僧が横にいた。


 枕小僧の視線の先は、さっき菫が立っていた横断歩道だった。

 白っぽいセダンが停まっていた。

 ドアが開き、中年の男女が降りてきた。

 顔面蒼白でこちらへ向かってくる。


 しかし、菫を見てはいなかった。

 彼らの視線は菫の足元。

 見下ろすと、


せりさん!」

 頭から血を流している柏倉かしくら芹が横たわっていた。

 まだ意識はあるようで、救いを求める瞳が菫を見上げていた。

 唇はなにか言いたげに、微かに動いたが声にはならない。


 一方、中年の男女は、興奮しながら叫んでいるようだったが、なにを言っているのかわからなかった。

「早く救急車を!」

 菫の叫びは中年の男女に聞こえていないようで、こちらを見向きもしなかった。

「なんで……?」

 枕小僧はそんな菫の手をギュッと握った。


 中年の男女は二人がかりで芹の体を持ち上げると、トランクに放り込んだ。

「どうするつもりなの!」

 とても病院に連れていくとは思えない。

 菫はトランクを開けようとしたが、その手は車体を通り抜け、触れることすら出来なかった。


 車は発進した。


「これは芹様の悪夢です」

 枕小僧がボソッと言った。


 いつの間にか菫と枕小僧は山の中にいた。

 車道から逸れたなだらかな斜面。

 中年の男女が、掘った穴に芹の体を転がして入れたところだった。


「夢?」

「そうでしゅ、繰り返し見る、死の瞬間の夢でしゅ」

「死の瞬間、じゃあ」

「本当に起きたことでしゅ」


 穴に落とされた芹はまだ生きている。

 恐怖と絶望に見開いた目が物語っていた。


「まだ生きてるわ!」

 菫は二人を止めようと、シャベルを持つにしがみつこうとしたが、やはり通り抜けて触れることが出来ない。


 二人は容赦なく、芹の上に土をかけ始めた。

 もう閉じてしまった芹の目尻から、涙が一筋零れ落ちた。


 ほどなく、その顔も土に埋もれた。



   *   *   *



「わずかに開いていた口の中に土が入ってきてね、あの……土の味、今も舌に残っているのよ」

 芹は恨めしそうに顔を歪めた。


 菫は枕小僧と共に芹の部屋に現れていた。

 壁一面の本棚、ノートパソコンが置いてある机上は雑然としている。テレビ、オーディオ、ソファーとベッド、生活感がある普通の部屋だった。

 幽霊もちゃんと自分の部屋で生活してるんだ、と菫は不思議な感じがした。


「この5年、あたしはあの夢ばかり見る、苦しくて目を覚ますの」

 幽霊も夢を見るんだ、いや、眠るんだ、と菫は違和感を覚えたが口にはしなかった。


 それよりも、

「あんな酷い殺され方をしたんですか?」

 菫は胸が痛んだ。


「犯人たちは?」

「捕まる訳ないわ、あたしの死体はまだ発見されてないんだから」

「そんな!」


「身寄りがなかったあたしは行方不明になっても誰にも捜されなかったのよ、柏倉芹という存在が消えても、誰にも気づかれなかった」

「そんなことって」

「あなたにはわかないわよね、愛してくれる両親がいて、たくさんの友達がいて、いつも誰かがあなたを気に留めているんですもの」

 芹は寂しそうに目を伏せた。


「考えたこともなかったでしょ、誰にも気にかけてもらえない人間がいるなんて、あたしは幽霊になって初めて、自分を気にかけてくれる存在に出会ったの、それが羅刹姫だった」


「彼女はね、あたしの為に犯人を捜してくれたの、小さな会社を経営している夫婦でね、子供もいて、年老いた両親の面倒も見ていたわ、だから逮捕される訳にはいかなかったのかと思った。もし、自分たちがしたことを悔いて、毎夜、悪夢にうなされるほど心を痛めていたのなら、許してあげようと思っていた。……でも、違った」


「彼らは悪夢など見てましぇんでした」

「何事もなかったように、普通に、幸せに暮らしていたのよ、あたしを殺したことなんかきれいさっぱり忘れ去って」

「信じられないわ! 人間を生き埋めにしておいて、罪悪感も心の痛みもないなんて」

「そう言う人間もいるのよ」

 そう言った芹の顔は氷像のようだった。


「法では裁けない、だから羅刹姫が罰を与えてくれたのよ、生きたまま手足を切り取って、あたしを埋めた渓谷にかかる橋から吊るしてくれた、清流に血が滴って死んでゆくのを川岸から見てたわ」

 それはメイクの鈴原から聞いた話だった。

 胡散臭い話だったが実話だったのだ。


「きっと周囲も捜索するだろうから、あたしの死体も発見されるかと期待したんだけど、見つけてくれなかった」


 その時、菫は違和感に気付いた。

 芹の印象が、さっき会った時とずいぶん違っている気がする。

 浄霊してほしいと懇願した時の、同情を誘う、守ってあげたくなるような憂いに満ちた表情は消え失せ、威圧的な顔つきで吊り上がった眼は人を見下していた。


「芹さん?」

 菫は確認するように呼び掛けた。

 そんな菫に向けた刺すような視線に、菫はギョッとした。


「まさか」

 重賢の言葉が脳裏に浮かんだ。長い間、幽霊のままとどまっていると悪霊化する、と……。


「芹が悪霊になるのを止められるのよ、あなたなら」

 そう言いながらドア口に立っていたのは、瀬川由羅と名乗ったマネージャーだった。 怪しい笑みを浮かべ、体をくねらせながら入室した。


「羅刹姫様」

 枕小僧が震える唇で漏らした。

「ご苦労だったわね枕小僧」

 枕小僧は床に額を擦りつけるようにひれ伏していた。

 その首に透明の糸が何本も巻き付いていることに、菫は初めて気づいた。


「見えるのね、あたしの糸が」

 羅刹姫はそう言いながら、目の前で拳を握った。

 そこに握られている糸は、いつの間にか、菫の首にも巻き付いていた。


 羅刹姫の糸が、菫の首をジワジワと締め付けていた。

 苦しそうに顔を歪めながら、それでも菫は羅刹姫を睨みつけた。


「素敵な顔よ、痛みと苦しみ、でもまだあきらめていないのね、そんなふうに敵意を向けられるの、嫌いじゃないし」

 真っ赤な口紅の間から覗かせた舌が左右に移動する。

 この上なく下品で、意地汚さがにじみ出ている。


「あなたのように霊力が強い人間を捜していたのよ」

「な……なんで?」

「柏倉芹を生き返らせるためよ、あたしのようにね」

 羅刹姫の瞳が冷たく煌めいた。

「死んだ人間を生き返らせるなんて、出来る訳ない!」


「あたしも元は人間だったのよ、惨めに死んだけど、この世に残した未練が強くて成仏できなかったのよ。そして妖怪を取り込んで新たな体を手に入れた。芹も同じようにすれば妖怪として蘇る。でも、彼女には足りないのよ、霊力が」


「羅刹姫は生まれつき霊力を持ってたけど、それがないあたしの魂は、このままだとただの悪霊となるだけ、だからあなたの霊力を取り込まなければならないのよ」

 芹の形相も羅刹姫同様、毒婦のように変貌していた。


「そんな……、あなたは浄霊してほしいって言ってたのに」

「一時の気の迷いよ。思い出したの、生前のあたしはイイ事なんか一つもなかった。だからもっと生きて、もっと好きな小説を書いて、幸せになりたいのよ」


「菫様を犠牲になさるんでしゅか?」

 枕小僧は悲しそうに芹を見上げた。

 芹はそんな枕小僧を一瞥し、不適に微笑んだ。

「アンタもよ、あたしの肉体となるのよ」


「ひえ~~っ、わたしもでしゅか?」

「そうすればアンタの妖力で、あたしは他人の夢を盗み放題、もっとイイ小説を書き続けられるわ」

 高らかに笑う芹の顔は狂気に侵されていた。


「羅刹姫、早く!」

 頷いた羅刹姫は糸を握った手に力を込めた。


 細い糸が菫の首に食い込み、皮膚が切れる。

 一筋の血が滲んだ。



   *   *   *



「いない……」

 菫の部屋に戻った那由他なゆたは、もぬけの殻となっている室内を見渡した。

 ベッドを触って確認する。

「寝た跡はないな」


「この臭い」

 いつの間にか現れた白哉びゃくやが、鼻を上にあげて室内の空気を嗅いだ。

「枕小僧や」

「ついて来たんか」

「珠蓮がな、お前が余計なこと言わへんか心配していたし、ほら、鬼は移動に時間かかるやろ、僕は体を収縮してひとっ飛び」

「ふん、あたしが一番早いけど」

 腰に手を当てふんぞり返る那由他。


「そんなことより、菫ちゃん、また夢の中に引きずり込まれたんやったら、厄介やで、誰の夢かわからんし」

「あの小妖怪、なんであの子に付き纏うんや?」


 白哉は床に視線を落とした。

 微かに光を放つ糸切れが落ちている。

「これは……」

 汚いモノを拾うように指先で摘まんで持ち上げた。

「羅刹姫の糸やな」


「枕小僧は羅刹姫の手下になってたしな」

「ほな、羅刹姫のとこへ連れていかれたんか?」

 白哉は糸を投げ捨てた。

「えらいこっちゃ、アイツ、菫ちゃんの魂を食う気やで、助けに行かな」

 慌てる白哉に対し、那由他は落ち着き払ってベッドに腰かけた。


「大丈夫や、秘密兵器持たせてあるし、蓮が行くまで大丈夫やろ」

「そう言えば珠蓮の奴、一人で羅刹姫のとこへ行くうてたな」

「菫ちゃんと蓮は縁があるんや」

 白哉も那由他の隣に腰かけ、吐息を漏らした。


「そっちの方も心配やな、妖怪と人間の恋愛なんか、絶対ハッピーエンドにならへんしな」

「そう言うアンタも、気になってるんやろ?」

「……確かに、放っとけへん子やな」



   *   *   *



 糸に傷つけられた皮膚から血が滲み、首筋から胸元へと伝わり落ちた。


 突然、パジャマの第一ボタンが弾け飛び、胸元に梵字のような文字がぼんやり浮かび上がった。

 と同時に、それが光を放った。


「なに!!」

 糸が千切れ飛んだ。

 光は広がり、菫の体が青白く発光したようになった。


「ひえ~~っ!」

 枕小僧も吹っ飛ばされた。

 壁にぶつかり、三転倒立しているような格好のまま目を回していた。


「お前は!」

 羅刹姫は素早く後方へジャンプ、光から距離を取った。

 しかし、避けられなかった芹は、全身に光を浴びて、目を見開いたままその場に倒れた。


「魔除けを仕込まれてたのか!」

 羅刹姫は悔しそうに吐き捨てた。


 菫に覚えはなかったが、だとしたら重賢だろう。

 菫は胸元を見下ろして頬を赤らめた、ちょうど胸の谷間に文字が浮かび上がっている。なんでこんなところに……いつの間に……。


 羅刹姫はドア口まで退却しながら唇を噛んだ。この光の前では、自分の糸は役に立たない。

「でもね」

 すぐに妖艶な笑みが戻った。


 糸が彼女の手に包丁を運んできた。

「実態のある物はアンタの体を傷つけられる」

 羅刹姫は包丁を振りかざした。

「近づかなくても、この距離からなら外さないわ」


 彼女の手から放たれた包丁は真っ直ぐ菫の胸元へ。

 避けられない!

 菫は腕で胸をかばうのが精一杯、大怪我は覚悟したが……。


 目の前に現れた背中が、包丁の切っ先を隠した。

 それは珠蓮の背中と菫は確信した。

 その手には包丁が握られていた。


「珠蓮くん!」

 菫は背中に手を伸ばそうとしたが、

「触るな!」

 振り向いた珠蓮の眼は、真っ赤に血走っていた。

 菫は鬼の片鱗に息を呑んだ。


「重賢の魔除けは、俺にも有効なんだ」

 そう言った珠蓮の面差しは哀切この上なく、菫は胸をわしづかみされたように痛んだ。

 菫は震える手で襟元を寄せて魔除けの文字を隠した。


 羅刹姫は珠蓮の出現に狼狽したものの、すぐ攻撃に備えた。

 掌から糸を繰り出し、枕小僧を捕らえて引き寄せた。


 珠蓮が包丁を投げ返す。

 それは糸に絡めとられた枕小僧が盾となって受け止めさせられた。


「ギャアッ!!」

 ポッコリお腹に包丁が命中。

 白目をむく枕小僧にかまわず、珠蓮は右手を鬼に変化させて突進する。

 羅刹姫は糸を操り、枕小僧をハンマー投げのように振り回して、接近を阻止しようとする。


 なされるままの枕小僧は、口から泡を吹いて目を回していた。

 羅刹姫は勢いに任せて、枕小僧を珠蓮にぶつける。


 珠蓮の行く手に枕小僧の顔。

 鋭い爪で真っ二つに引き裂くことも出来たが、珠蓮は払いのけるにとどめた。

 その後ろには羅刹姫がいるはず。

 珠蓮は今度こそ、刃と化した爪を振り下ろそうとしたが……。


 羅刹姫の姿はなかった。

「ちっ」

 唇を歪める珠蓮。


「枕小僧!」

 糸が切れて転がった枕小僧に、菫は駆け寄った。

 腹に包丁は刺さったまま、意識はないが呼吸はしている。

「酷い……」


「アイツに利用されたモノはこうなる」

 邪険に言い放つ珠蓮だったが、枕小僧の頬に菫の涙が落ちるのを見て、

「小妖怪ったって、そんな包丁一本では死なないよ」

「ほんとに?」

 菫は涙でいっぱいの瞳を上げた。


 珠蓮をまっすぐ見つめる表情は、安心しきっていた。

「よかった……、それから、ありがとう、助けに来てくれて」


 いいや、君がいるなんて知らなかった。それに記憶も消えていない。那由他の奴! と珠蓮は苛立ったが、菫の顔を見るとなにも言えなかった。


「ずっと会いたかったのよ、でも、捜しようがなくて」

「お前は妖怪なんかと関わっちゃダ……」


 珠蓮が言い終わる前に菫は彼の胸に飛び込んでいた。

 受け止めた珠蓮ではあったが、そのまま抱きしめたい衝動と葛藤した両手は行き場に迷っていた。


「やっと会えた」

 菫の涙がTシャツを濡らしているのがわかった。


 珠蓮はどうしたらいいかわからず思いあぐねて……途方暮れていると、

 ん?

 みぞおちの辺りに熱を感じた。

 それは、たちまち熱なんて生易しいモノではなくアイロンを当てられたような……。

 そうだ!!


 珠蓮は菫の胸元に魔除けの文字が書かれていることを思い出した。

 たまらず、菫の両肩を掴んで引き離した。

「えっ?」

 驚いて見上げた菫の目には、顔面蒼白、冷や汗を流す珠蓮の顔。

 

「あ……」

 菫も気付いて胸元の魔除けに手を当てた。

「ごめんなさい」

 慌てて珠蓮から離れたが、遅かった。


 珠蓮はヘナヘナと腰が抜けたように崩れ落ちた。



   *   *   *



「あらら、完全に伸びてるなぁ、そんなに接近したんか?」

 遅れて到着した那由他は、ダウンしている珠蓮に哀れみを向けながら、菫に意味ありげな視線を流した。


 白目をむいて口はポカンと開いたままの間抜け面で大の字になっている珠蓮に鬼の片鱗はなかった。

 そんな目に遭わせてしまった菫は顔向けできずに白々しく横を向いた。


 その時、

「ブアッハッ!」

 枕小僧がむせながら、上体を起こした。


「酷いでしゅ~~」

 そして涙目で腹に刺さった包丁に手をかけた。

「ダメよ、抜いたら血が!」

 菫の叫んだ時は既に抜かれていた。

「……いっぱい出るって聞いたんだけど」

「どうもない、コイツは妖怪なんやし」

 那由他は言うと同時に、枕小僧の首根っこを掴んだ。


「羅刹姫はどこや?」

「知りましぇん、わたしを捨てて逃げました、ほら糸も切れてましゅし」

 枕小僧は糸の残骸を首から外して見せた。


「けど、なんで羅刹姫の手先になったんや? 逃げようと思えばいつでも逃げられたやろ?」

 那由他が責めるような、呆れたような口調で尋ねた。


「あの方は妹の行方を知っているとおっしゃったのでしゅ、協力すれば教えてくだしゃると」

「騙されて利用されたって訳か」

「騙された?」

「アイツのやり口や」

「そんなぁ、1200年ぶりに会えると思ってたのにぃ~」

「1200年って……あなたいくつなの?」

 菫は目を丸くした。


 那由他は倒れている芹を見て、

「この幽霊も見捨てられたんか」

 芹はまだ倒れていた。ビー玉のような目を見開いたまま、蝋人形のようにフリーズしていた。

 菫は駆け寄って、顔を覗き込んだ。


「早く重賢さんのところへ連れて行って、浄霊してもらわなきゃ」

「その必要はないで、あんたのそれ」

 菫の胸元を指さす。

「幽霊のために書いたんやし」

「えっ?」


 菫が胸元を開けて、魔除けの文字を出すと、芹の体がビクンと動いた。

「芹さん!」

 目に輝きが戻った。

「あ、あたし……」

 周囲を見渡す表情は、初めて会った時のように、同情を誘う、守ってあげたくなるような可憐な美しさがあった。


「元に戻ったのね」

「なにが、起きたの?」

 芹は戸惑いながら首に巻き付いている糸の残骸をほどいた。

「あなたは羅刹姫に操られてたのよ」

「羅刹姫……」

 芹は寂しそうに目を伏せた。


「違うわ、覚えてる、さっき言ったこともあたしの本心」

「羅刹姫に言わされてたのよ」

「生前のあたしは不幸だった、だから彼女のように生まれ変わって、好きなように生き直してみたいと思っていたのも事実よ、そのためにあなたを犠牲にしようとした」


「あたしは無事だったわ、彼が助けてくれたし」

 まだダウンしたままの珠蓮に目をやり、菫は苦笑いした。


「あなたが浄霊してくれるの?」

「……あたしには、出来ない、あなたをこのまま消してしまうなんて」

「消すんじゃんないでしょ、成仏させてくれるんでしょ」

 芹は儚げに微笑んだ。


「ここに残っていても充たされない、虚しさがつのるだけ、心が荒んでいくのがわかるの、だからもう、この世にいるべきじゃないと感じる」

「妖怪になって生き永らえたいと思てたんちゃうんか?」

 那由他が意地悪く言った。

「しょせん、あたしには羅刹姫のような固い決意がなかったのよ」


「固い決意って?」

「彼女が妖怪になってまで生きているのは、なにか成し遂げたいことがあるようだったわ」

「確かに執念を感じるけどな」

「あたしはもう……安らかに眠りたい」

 菫に懇願する瞳はとても穏やかだった。


 菫は躊躇し、那由他に助言を求めた。

「魔除けの文字を彼女の額に」

 菫は胸元に浮かび上がる梵字を確認した。

 仄かに光を放っている。


 芹は吸い付けられるように、菫の胸元に顔を埋めた。

「温かい……」

 菫の胸で、芹は安心しきったように笑みを浮かべた。


 彼女の体が仄かな光に包まれた。

 光は小さくなり、菫は両手でそっと光の玉を包み込んだ。


 やがて菫の手の中で、光は消えていった。


 菫の掌に、涙の雫が落ちた。

 大粒の水滴がいくつも、芹の魂が消えた掌に落ちた。


「なんで泣いてんの?」

 目を真っ赤にして鼻を啜っている菫の顔を、那由他は不思議そうに覗き込んだ。

「芹はちゃんと成仏できたやん」


「彼女言ってた、生きている間、イイ事なんか一つもなかったって。そんな思いのまま本当に成仏できたのかしら?」

「さあな」

「人は誰でも幸せになる権利があるはずなのに、あんな惨い殺され方をして……」

「権利はあっても、それを行使できる人間ばっかりとちゃうしな」

 那由他は溜め息交じりに言った。


「そもそもスタートラインがちゃうやん、人は平等には生まれへんしな」

「妖怪もそうでしゅよ、わたしのように力のない小妖怪は、生まれた時から大妖怪の餌食にならないよう怯えて過ごさなければなりましぇん」

 枕小僧が口を挟んだ。


 その時、


「てめーぇ、なに泣かしてんだよ!」

 意識を取り戻した珠蓮がいきなり叫んだ。

 那由他の前で大泣きしている菫を見て、すっかり勘違いし、那由他に掴みかかろうとした。

 が、那由他は難なく身軽にかわした。


「あたしちゃうで」

「そうよ珠蓮くん、あたしが勝手に泣いてただけよ」

「ほんま慌てもんやな」

「大丈夫か? 怪我でもしたのか?」

「大丈夫よ」

 そう言って珠蓮を見上げた菫の目から、また涙が溢れ出た。


「今度はアンタが泣かしたんやで」

「なんでだよ」

 珠蓮はオロオロした。


「あたしには心配してくれる人がいるんだなって思って……、芹さんにはいなかった」

「けど、アンタは彼女のためにいっぱい泣いてあげたやん」

 那由他はそう言いながら、幼子をあやすように菫の頭に手を当てた。

「ま、それもすぐ忘れてしまうけどな」

「そんなことないわよ」


「アンタはこれ以上、妖怪と関わったらアカンって、全部忘れて、普通の生活に戻るために記憶を消してくれてって蓮が言うし」

「なに言ってるの、記憶を消すって?」

 菫は珠蓮に驚きの目を向ける、珠蓮は悄然とした面持ちで顔をそむけた。


 那由他は菫の顔を両手で押さえて、強引に瞳を覗き込んだ。

「なにもかも忘れるんや」

 宝石の如く煌めく碧の瞳に囚われ、目を逸らせない菫は、だんだん瞼が重くなってきた。

 程なく目を閉じると同時に、ガクッと首をうなだれた。


「これでエエんやな、蓮」

「ああ」

 珠蓮は寂しそうに背を向けた。


 しかし、


「忘れるなんて、出来ないわ!」

 菫が顔を上げて叫んだ。


「えっ?」

 パッチリ目を開けた菫に那由他はビックリ、信じられないと言った表情で目を丸くした。

「なんでや? 記憶が消えてへん?」

 首をかしげる那由他の横に、突然、白哉が現れた。


「心配した通りやな」

「アンタぁ、今頃来て」

「秘密兵器は勘弁やし、終わるまで待ってたんや」

 白哉は後れ毛をかきあげながら菫の顔を覗き込んだ。


「厄介なことに、菫ちゃんの霊力は強力になったんや、那由他の術も効かへんほど」

「どう言うことだ?」

 珠蓮が心配そうに眉をひそめた。


「僕やお前みたいに力の強い妖怪と触れあったことで、眠っていた霊力が目覚めたんやな」

「なんてこった……」

「あたしの霊力?」

 意味がわからない菫は、キョトンとして珠蓮と白哉を見た。


「一度結ばれた縁は、簡単には解けへんってことやな」

 那由他が意地悪い笑みを浮かべた。



   *   *   *



 現在。


 穏やかな春の日差しが深緑に降り注ぐ美しい渓谷。

 日差しを反射して煌めく川面。

 岸辺に花束を抱えた菫が立っていた。


「あれ以来の腐れ縁って訳か」

 横にいる那由他が言った。

「腐れ縁って、まるで悪縁みたいな言い方しないでよ」


 あれから42年の歳月が流れていたが、那由他は銀色の髪に碧の瞳、愛嬌たっぷりもそのままの16、7歳に見える少女。

 一方の菫はすっかりすっかり歳を取り、御年58歳。だが女優と言う職業柄メンテナンスに抜かりなく、シミ、シワ一つない艶々の肌で、若見えと美貌を誇っている。


 菫は屈んで水辺に花束を置いた。

 両手を合わせて静かに目を閉じる。

「ごめんなさいね芹さん、あまり来れなくて」


 42年前、芹を浄霊した後、枕小僧も去り、山下監督をはじめスタッフの体調は戻ったので、撮影は再開されて映画は無事に完成した。

 そして大ヒットし、菫は一気にスターダムを駆け上がった。


 一方、柏倉芹は忽然と姿を消し、世間を騒がせた。

 芹の失踪はしばらくニュースになっていたが……やがて忘れられた。


 それからしばらくして、この河原で人間の白骨の一部が発見された。

 上流で起きた崖崩れによって流されて来たと思われ、捜索されたが、全身の発見には至らなかった。


 ニュースを見た菫は、直感で芹だと思ったが、結局、捜査の甲斐なく身元は判明しなかった。それが行方不明になっている柏倉芹だとは、誰も思いつかなかった。


「芹さん原作のあの映画がヒットしたお陰で、あたしは女優として大成できたわ、その後も充実した恵まれた人生を送っているわ、たったの18年で不運な人生を閉じた芹さんを思い出すと、あたしは幸せ過ぎて申し訳なくて……」


「幸せ? けっこう過酷な人生やと思うけどな、あれからも珠蓮や白哉にかかわって、何回も危ない目に遭うたやん」

「スリリングな日々を送れて、いまだに退屈しないわ」

 悪戯っぽく肩をすくめる菫。

「気持ちの持ちようって訳か」


「結局、芹さんの遺体は発見されないままね、今もどこかで眠っているのね」

「それはちゃうやろ、芹の魂は菫が成仏させたげたやん」

「そうだったわね、もう生まれ変わっているかしら」

 菫は青い空を見上げた。


 清流の中ほど、透き通った水の底、ゴツゴツした石の隙間に白くて丸いモノが沈んでいる。

 二つ開いた丸い穴から、小さな魚が顔をのぞかせた。


   おしまい


最後まで読んでいただきありがとうございます。

この物語は『金色の絨毯敷きつめられる頃』の外伝です。本編のほうも読んでいただけると嬉しいです。

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