第9話 天眼
ホクシンに引っ張ってこられた敷地内の中庭区画。場を彩るため花壇が脇に配置されていた。しかし植えられた花々はすでに枯れ落ちている。
代わりに雑草が生えだし、花壇のフチをまたいでほうぼうに伸びていた。人間たちがいなくなろうとも消え去ることのない自然の生命力をつよく感じさせる。
「そも、【神器】とは担い手の意思に呼応して具現化される武装のみを指すのではない。担い手を高める、あらゆる付随要素を指す。有形無形を問わずな」
「つまり俺の眼こそが俺の【神器】だと?」
ホクシンがしかりと頷く。
告げられた内容があまりにも唐突すぎて、うまく腑に落ちてくれない。
「【神器】の影響で特異な能力を身体の一部に宿すようになった【申し子】は実在します。しかし身体の一部そのものが【神器】と化したケースは聞いたことがありません!」
「ほう、そうか。ならばお主が前例第一号になるの」
「こともなげに仰いますね……」
「ありえないことをぜんぶ排除してしまえば、あとに残ったものが、どんなにありそうもないことであっても、真実にほかならぬぞ? ……よもや、このセリフを実際に使える日がこようとは!」
ホクシンが妙に嬉しそうにしていた。笑顔を引っ込めて話を続ける。
「あらゆる物事には原因と結果がある。たとえば、お主が誰かに殴られたとしよう。殴られれば負傷する。負傷すれば痛みが生まれる。痛むからこそ怒りを抱く……そうした連綿たる因果の流れを視覚化せしめるのが【天眼】。現実の色形を捉えるのみならず、三世十方を見通す力よ。お主の危機察知能力はその片鱗にすぎぬ」
「……そう、でしたか」
「なんだ、キツネにつままれたような顔をして。稀有な適性ぞ? もっと喜ぶものかと」
「いえ、そのですね。正直、実感が湧かないというか……」
「それも無理からぬことか……論より証拠、今からお主の点穴を衝いて蒙を啓く。いささか刺激的ゆえ心せよ」
直後、ホクシンの姿が霞のようにかき消える。アロンソの至近まで迫り、鳩尾めがけて指を突き込んだ。
「え、はぐゥ――!」
アロンソはくずおれる。
「おおげさな。別に痛くはなかろ?」
「い、痛いにきまって――ない!?」
ホクシンの指がふかぶかと貫通しているはずなのに痛覚も触覚も反応しない。体内を探るようにうごめいているせいで気色悪いが。
「捉えた」
ホクシンがアロンソの体内にある『何か』を指に引っかけて弦のようにはじいた。
途端、アロンソは自らの内側にささやかな振動が発生するのを感じ取った。振動が波及して奥へ奥へと進んでいく。やがて最奥と思われる部位に辿り着いた。
ホクシンが指を引き抜く。
不可思議なことに、アロンソのみぞおちには傷も出血もなかった。いったい、なんの真似か問い詰めようとした時、
「――来るぞ、身構えよ!」
アロンソの視界が赤く染まった。
「……っ!?」
引きつるようにノドが鳴る。いつの間にか周囲に赤い糸がいくつもいくつも。たれさがり、ぶらさがり、しだれかかり――何かとなにかとナニかを繋いでいる。
いや違う。これらは最初からそばにあったのだ。今まで見ようとしてこなかっただけで。ホクシンの語ったことが言葉ではなく本能で理解できた。
物質は極小の粒と粒がくっついて形をなしていることを。
目に見えない風が確かに雲を押し流していることを。
おびただしいまでの朱、赤、紅。世界がこれほど鮮やかで痛いことを知らなかった――。
「そこまで!」
ホクシンがアロンソのまぶたを強引に閉じた。
アロンソは安堵の吐息を吐く。暗闇がこれほど心地よいとは。
「慣れぬうちはくれぐれも用心せよ。入り込む膨大な情報を処理しきれず廃人になりかねん。すべてを見ようとするな。捉えるべき箇所にのみ絞り込め」
アロンソは名残惜しみつつ目を開く。正常な景色に戻っていた。いまだ赤い線形がうっすら透けているものの、意識しなければ顕在化しなさそうだ。
「理解できたかの?」
ホクシンに重々しい頷きを返す。
「明徹の域に至らば万物万象を読み解きうる。あやうい力だが、お主にとって無二の利剣となるだろうて。故郷に帰還することも可能となる」
「……へ?」
不意に提示された希望。現金なことだが、アロンソは胸の高鳴りを抑えられなかった。
「で、ですが……先ほどは、もうここから出られないと!」
「現状では無理だと言ったのよ。お主はなんらかの因果に導かれてこの地に降り立った。ならば逆に辿ればよい。この揺らぎの狭隘とお主のいるべき場所を繋ぐ因果を狙いすまして探り当てれば、な」
鉛の棒のようだった身体に力が戻ってくる。
「そこでだ! お主、拙者の教えを受ける気はないか? 【天眼】を持つ先達として効率よく導いてやろうぞ」
ホクシンの勧めはまさしく渡りに船だった。
「それだけではない。お主には拙者のとっておきをくれてやろうではないか。拙者の頭には古今東西の武術の要諦が搭載されておる。それらを下地に確立された『剣舞術』――【天眼】との併用を軸にした剣技を学びたくはないか?」
「重ね重ねのご厚意、感謝にたえません。願ってもないことですが……縁もゆかりもない俺なんかのために、どうしてそこまでしてくださるのでしょうか?」
そこが疑問だった。ホクシンは親身に接してくれている。異常なほど。
ホクシンが照れくさそうに鼻をかく。
「いやな、嬉しかったのよ。戦うことしか能のない人形風情にも人の役に立てることがあると気付けてな。こうして世話を焼くのはその礼も兼ねておる」
そのはかなげな横顔に視線を吸い寄せられてしまう。アロンソは夜盗蛾のようにホクシンの下へ――おこがましく踏み入ろうとする足を必死にこらえる。
まだホクシンの人となりも背景も、なにもかもを知らないから。打ち明けてもらえるような成果を見せることができていないから。
「……ホクシン様はお優しいのですね」
代わりに、そんな愚にもつかない所感を述べていた。
「よせよせ、居たたまれなくなるわ。ただ優柔不断で甘ったれなだけよ。そんなことより……ようやく笑顔になったの。いまにも自害しそうな憔悴ぶりだったのでさすがに焦ったぞ」
「失礼、お見苦しいところを。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます、『師匠』!」
「……ん、ちと待て。お主、今なんと?」
「今後は敬意をこめて『師匠』と呼ばせていただこうかと。お気に障り――」
「いや違う、そうではない! 『師匠』という響きは、なんというか……いい! いいの! これがエモエモのエモというやつか! よかろう! お主を弟子と認める! 拙者の修行は過酷ぞ? 途中で投げ出すなど許さぬからな! 腹をくくるがいい!」