第8話 病院にて
少女の実力は圧倒的だった。魔族どもを鎧袖一触に切り伏せてのける。あらためてアロンソと向き合い、ホクシンと名乗った。
「危ないところを救っていただき、なんとお礼を申せばいいか……」
「なに、気にするな。ほんの片手間よ」
ホクシンが鷹揚に笑った。
「立ち話もなんだ。拙者の住処に案内しよう。そこでお主の事情を詳しく聞かせてくれ」
ここら一帯の謎について解明できると期待し、アロンソは首肯した。
★ ★ ★
ホクシンに連れ込まれた場所はなかば崩れた建造物だった。
「ここはもともと病院でな。発電所からの電力供給は途絶えて久しいが、さいわいにも非常用の発電機が生きておる」
「ハツデンショ? ハツデンキ? 法術祭具かなにかでしょうか?」
「……お主の元いた場所ではすでに失われているか。すまぬ、こちらの話だ」
比較的、損壊の少ない一室。天井の照明が内装をあらわにしていた。なめらかな質感の壁と床が白く清潔な印象を与える。
しかし無数の物品が雑多に置かれており、足の踏み場もない有り様だった。
アロンソは訓練校の保管庫よりもヒドい荒れっぷりに閉口してしまう。
「…………」
「すこし散らかっておるが、住めば都とはよく言ったもの」
ホクシンが抜き足差し足でゴミの山間を縫って奥に進んでいく。絶海の孤島のように浮かぶ寝台の上であぐらをかいた。ポンポンと隣を叩いて手招きする。
「ほれ、お主もここに座るといい」
アロンソは不承不承ホクシンに倣った。同じベッドの上で向かい合う。
「単刀直入にうかがいます。ホクシン様、ここはどこで貴方は何者なのでしょうか?」
「……ひとことでは答えられんな。この地はあらゆる時代、いかなる国々とも切り離された特異領土。拙者は元からその住人よ。お主のように迷い込んできた訳ではない」
イマイチ要領を得ない説明に、アロンソは眉をひそめる。
「天国や妖精郷のたぐいということでしょうか?」
「ま、その解釈でよかろ」
「つまり……俺はもう元の場所に戻れないと?」
「現状ではな」
その宣言をキッカケに、アロンソの張りつめた糸がプツリと切れた。頭を寝台にこすりつけんばかり肩を落とす。
「は、ははは……どうしようもなく情けないな、俺は……結局、何もできず何者にもなれず……ここで朽ち果てるのか。相応の末路かもしれないが」
「むっ! い、いかがした!?」
頭上からオロオロとした声が降ってきた。アロンソはおずおずと切り出す。
「お約束通り、俺の事情をお伝えします――」
ここに辿り着いた経緯について語っていく。転移の術式のこと。そこから伸びてきた赤い糸に無明の世界へ引きずりこまれたこと。
「俺は落ちこぼれでした――」
あまつさえ、聞かれてもいない身の上にまで言及していく。ハズレの【天職】を授かったこと。さして役に立たない能力のこと。
余計な内容が口からとめどなくこぼれていく。
なぜ知り合ったばかりの相手にこんな話をしているのだろう。いや、まったく無関係の第三者だからこそ。相手がサンチャやドルシネアであれば、こんな醜態は晒せない。
男として情けないかぎりだが、限界だったのだ。誰かに泣き言をもらしてしまいたかった。シーツの上に透明なシミが広がっていく。
ひとしきり吐き出し終えると落ち着いてきた。同時、罪悪感にさいなまれる。
いきなり愚痴に付き合わされ、さぞや迷惑だったろう。アロンソは目元をぬぐって顔を上げ、こわごわとホクシンの様子をうかがう。
「くっ、落ち込んだ男子をなぐさめるなぞ経験がない。知識ばかりを溜め込んだところで実践に結びつかぬことの好例か!」
ホクシンが顎を撫でさすりながら神妙に目を細めていた。その表情から真摯ないたわりを感じとれる。
アロンソは予想外の反応に目をむいた。胸中におだやかな温もりが生じ、波紋のように全身へと伝播していく。
ホクシンがわざとらしく咳払いをする。
「まあ、その……なんだ。お主にとっては訳の分からぬ別天地かもしれんが、拙者にとっては故郷。かように殺風景だとて、拙者はここではじまり、そして終わる。だから勝手に死なれては寝覚めが悪い――って、そうではなかろ!? 阿呆か、拙者は!?」
自分で自分に突っ込んで頭を抱えだした。
「ふ、あはっ!」
その一人芝居を堪能し、アロンソは吹き出した。
もういちど咳払いをひとつ、ホクシンが赤面しながら口を開く。
「赤の他人である拙者なぞが口出ししてよいことではないし、お主の心になんら響かぬやもしれんが……あえて言おう――元気を出せ!」
その不器用な激励がとても微笑ましかった。ほんの一時ばかり、アロンソは己の境遇も現状も忘れることができた。
「悪いが、気の利いた言葉を贈ってはやれぬ!」
「いえ、十分です。ご迷惑をおかけしました」
「……そもそも、お主が戦力になり得ないというのは見当外れよ」
「え?」
「【神器】を持たない? ――それを補ってあまりある芸能が、お主の持つ【眼】にはある。拙者と同じく、な」
本日は驚かされることばかり起きているが、その一言はきわめつけの衝撃だった。
アロンソはホクシンの瞳を食い入るように見つめる。その奥で数多の光点が発生と消滅を幾度となく繰り返していた。瞳の色こそ違えど、アロンソの瞳も同じ性質を有している。
それは【天職】と共に授かった身体的特徴だ。しかし何のご利益も感じないし、どんな効果があるのか誰も知らなかった。だから気にも留めていなかった。
「この【眼】に特定の呼称はないが……古い亡国の言葉になぞらえて【天眼】と名付けるのがよいか」