第10話 アロンソの過去
当然のことだが、事件というのは突発的に起こるものだ。
「あ、アイツら……魔巣窟に無断で忍び込みやがったのか!?」
自分の世界に帰ってから数日。アロンソが引き受けた雑用――書類整理をこなしながら物思いに耽っている時、部屋の外からにごった叫びが聞こえてきた。
アロンソはごく自然と廊下に出る。
廊下にたむろする一年生の間で騒ぎが起こっていた。
アロンソは話を聞きやすそうな一年生――おさげ髪の少女とそばかす少女に呼びかける。詳しくワケを尋ねると、どうもサンチャの元仲間たちがやらかしたらしい。
最近、評価のふるわない彼らは焦れていた。そこで汚名返上のため、許可なく危険なダンジョンに侵入、なんとしても戦果を上げようとしている。
二、三年生は合同で野外演習に出ている。戦える教官に随伴しており、連れ戻す、ないし救助に向かえる人材はいない。
そういう監視の薄い状況だからこそ、彼らも暴挙に出たのだろう。
アロンソは迷わず校舎を抜け出して市外への道を進んでいく。
「――パイセン!」
途中でその背を呼び止められた。
サンチャが街角から姿を見せる。よほど急いできたのだろう。額や首筋に珠のような汗が浮いていた。
「……アイツらから聞いた。あのバカどもを助けに行くつもりなん!?」
アロンソは振り返って首肯する。
「なんで!? あんなヤツらどうなっても自業自得だし! パイセンにカンケーないじゃん!」
「それでも、だ。やれることがあるのに、やらないのは――」
サンチャがアロンソの口を強引にふさいだ。抱きついて、みずからの唇を重ねることで。
「ぷはっ……ね、パイセン。ウチと一緒に堕ちてくんない?」
ゆっくりと顔を離し、呆然としたアロンソにささやきかけた。
「ガンバんなくったっていいジャン。報われる保証なんてないんだし」
直接、本人の口から過去の経緯を、抱いた思いを聞かされた今となってはいつものようにふざけているわけではないとハッキリ分かる。
好きでもない男にこんな真似をするとは……かなり追い詰められているようだ。それでも――
「すまない」
アロンソはなるべく手荒にならないよう、しかし毅然とサンチャを引きはがした。
サンチャが愕然と大口を開ける。いったん俯いて肩を震わせてから一転、烈火のような視線を飛ばしてきた。
「パイセンもウチを責めんの!? 逃げたクズだって陰で笑ってたの!?」
傷ついた少女が被害妄想を膨張させ、さらに自身を傷つけようとする。
「断じて違う! 俺はお前が思うような大した人間じゃない!」
この数日アロンソはサンチャにどんな言葉を投げかけるべきか悩んでいた。悪癖だと自覚していても、どうしても構えてしまうのだ。
いざ本番を迎えてなお、気に利いた言葉ひとつも浮かんでこない。だから開き直った。不格好でもいい。みじめな己の過去を素直に明かすことにした。
「どうか聞いてほしい。面白くもない愚かな小僧の話を――」
★ ★ ★
幼い頃のアロンソは「英雄になる!」が口癖だった。
「己は万夫不当の騎士である!」とかなんとか、てきとうなことを周囲に吹かしていた。退屈で窮屈な屋敷内を飛び出して未知の世界に飛び込みたがった。当時の家臣たちの心痛を思うと申し訳なくなる。
しかも夢見がちというか妄想癖というか。「騎士には守るべき姫君が必要だ」と、家族ぐるみの付き合いだったドルシネアを巻き込んでいたのだからタチが悪い。よくゴッコ遊びに付き合ってくれたものだと感謝しかない。
そんな大バカ者のお目付け役だったのはロシナンテという家臣だった。貧相な男だった。いつも媚びへつらうような笑みを浮かべていて頼りない印象だった。
「坊ちゃまはホント楽しそうに冒険なさる」
ロシナンテが辛抱強く冒険という名の、ただの外遊びに付き合ってくれた。アロンソが馬代わりに四つん這いの背へとまたがり、風車を巨大な怪物に見立てて突撃させようとした時は「カンベンしてくだせえ!」と懇願されたが。
「強さを求めていくとね、いろいろ不純物が混ざってくるモンなんでさあ。権力、カネ、女、見栄、建前……ガキの時分にゃどうでもよかったそれらが全身に絡みついて離れてくれなくなっちまう」
ロシナンテがそんな風に語っていた。
「だからこそ、あっしみたいなモンにゃ覿面に効くんですわ、ケヒヒ」
思い返せば、危なっかしい幼児から目を離さないように苦心してくれていた。
当時のアロンソはロシナンテの配慮を斟酌することも、その言動の意味を吟味することもなかったけれど。
そして無知の報いを受けるときが訪れた。
「――さあ、キサマはどうだ? オレに『さよなら』を教えてくれるのか? 見せてくれよ、キサマの愛と勇気を!」
外出の最中、ケタ外れに強大な魔族と遭遇してしまった。
本物の脅威を目の当たりにしたアロンソは性根の浅い地金をさらした。おびえるドルシネアを庇うことすらできなかった。
泣き叫ぶアロンソたちを守ったのはロシナンテだった。彼は当時のアロンソが決めつけていたような情けない人物ではなかったのだ。
【魔侯】を相手に一歩も引かず【神器】を振るった。アロンソのようなメッキではない。真なる英雄の風格がロシナンテの背に宿っていた。
「未来の英雄サマを守って死ぬ。あっしみたいなクズにしちゃ上等な末路だ。文句なんか言ったらバチが当たらあ」
それでも上級魔族を斃せなかった。いくども致命傷を負いながらも、そのたび立ち上がるソイツに、ロシナンテの命が散らされていった。
「坊ちゃま、お達者で! 夢を叶えるお姿を地獄から見守ってますぜ!」
あとに残されたのは、巻き込まれたあわれな少女と彼女に「嘘つき!」と罵倒された愚物――。