第8話 師匠はポンコツ
困り果てたアロンソの行きつく先は決まっていた。
この地はいついかなる時も月が浮かんでいる。およそ変化というものを感じさせない静けさに満ちていた。
「お世話になります、師匠」
悠久を思わせる夜空の下、アロンソは再会した師に一礼した。
「ま、まことに来よったのか……」
ホクシンが大口を開けて固まっていた。
「……ご迷惑でしたか?」
「いや……そんなことはないぞ! ちょうどヒマを持て余しておったでな! 歓迎しよう、我が弟子よ! ……ところで、その出で立ちはいかな心算あってのことか? なにやら巨大な背嚢を背負っておるが」
アロンソは自分の世界から持ち込んだ荷物を床に下ろし、中に収めたものを開示していく。与太郎のままでは具合が悪い。恩返しもすべきだったし、ちょうどよかった。
掃除用具一式、各種食材、調理器具類など――眼前へと広げられた複数の物体に、ホクシンが面食らう。
「なんぞコレ……?」
「師匠、貴方に救われたことは望外の幸運であり、貴方の教えは今も胸に深く刻んでおります。貴方が仁徳の厚い御仁であることは疑いようがありません――が、いささか大雑把にすぎる」
この前、一緒に生活していた頃から気になっていた。ホクシンは超絶の戦闘力の持ち主だが、それ以外がポンコツでしかない。
「これからは弟子として衣食住の管理をさせていただきます!」
アロンソは堂々たる宣言を発した。
「お、おう……」
気圧されるホクシンに有無を言わせず、寝室に引っ張っていった。
アロンソはその内装を確かめて嘆息する。依然として汚部屋のままだった。
「まずはこの寝室です。あたりの物品を片付けましょう」
とたんホクシンがギョッと目をむく。
「は!? お、お主! いきなりなにを……ここの品々は拙者が東奔西走してかき集めた逸品ぞろい! それを捨てよとホザくのか!? 人の心とかないのか!?」
「なにも破棄しろとは申しません。しかるべく整理整頓をいたしましょう」
「ええい、差し出口を! これらを愛するがゆえ、手元に置いておきたいのだ!」
ホクシンが頑迷に反論した。愛玩物をまわりに敷き詰めなければ眠れないとダダをこねる幼子のような有りさま。
「どこに何が置かれているか、ご自身でも覚えてらっしゃらないのでは?」
「い、いやそれは……」
「逆に、粗末に扱っているとお考えになりませんか?」
「ぐぎぎ……反論が思い浮かばぬ!」
「さあ、掃除の時間です――よろしいですね?」
アロンソの剣幕に耐えかね、ホクシンがコクリと頷く。
「師匠にも手伝っていただきます」
「ん、ぐぇ!? お主がやってくれるのでは!?」
「当然でしょう。俺はいつまでもここに逗留できません。不在の間、だれが雑事をこなすのですか? ――師匠には規則正しい生活習慣を身につけていただきます」
「う、うぐ……弟子の分際で生意気な!」
「なにか仰いましたか?」
「いやいやいや、なんでもない! なんでもないぞ!」
かくして作業を始めたわけだが、これがもう前途多難だった。
「おお、ここにあったのか! 『碧眼のシャル』……ラノベ界の至宝よ! どれ、ひさかたぶりにあの感動を味わ――」
「師匠、集中してくださいね?」
「わ、わかっておる!」
掃除を放り出して読書に耽ろうとするのを阻止した。なにかと理由をつけて脇道にそれようとするのを強引に引き戻す。
完全に師弟関係が逆転していた。
たまった垢を落とすように、室内に散らばるホクシンの私物群を廊下へと一時的に移動させ、床を掃いて清めていく。
「の、のう、愛弟子よ……これは取っておいてもよかろ?」
「どう見てもゴミでしょう。捨ててください」
「っ……!? お主っていつもそうよな……! 拙者のことなんだと思っておるっ!?」
「何に使うんですか、そんなモノ」
「い、いいいつか使い道が出てくるやもしれぬ!」
「モノグサはいつも同じようなことを口にしますね。いいですか――」
「あーあー! 分かった! 捨てればよいのであろ!」
食堂の調理場へ移動した時には、ホクシンの頬が心なしか痩せこけていた。
「――さて、次は食生活の改善です。レーションとかいう味気のない固形食品ばかりではいけません」
「わざわざ料理せんでも……食い物なんぞただの栄養補給の手段にすぎぬではないか」
ホクシンが性懲りもなく反発の姿勢を見せる。
アロンソはひと睨みで黙らせて指導を続けた。
「なんて危なっかしい手つき……刃物はこう握ってください」
「う、うむ! こう、か……?」
「まあ、及第点です。剣さばきはあれほど達者でらっしゃるのになぜ……」
「し、仕方なかろ! なにぶん初めてのことゆえ!」
手間取りながら作り上げた成果を口にした時、ホクシンの目が輝いた。健啖家のようでバクバクと腹に収めてしまう。
「生ものはレイゾウコなる氷室に入れましょう。それでしばらくは保ちます。腐る前にかならず使用してくださいね?」
「心得た! 料理を味わうことが、かように刺激的な体験であったとは! やはり、やると知るとでは違うの!」
一連の作業を完遂して寝室に戻るや、ホクシンがはしたなく寝台の上に倒れ込む。
「はあはあ……疲れたぞ」
「それは俺のセリフですよ」
つい先ほどまでとは見違えた様相。アロンソは満足げに汗をぬぐう。
「……悪くないの」
ホクシンがだらしなく横になって頬づえをつきながらポツリと言った。
「拙者には不要と断じていたモノ。不相応だと遠ざけていたモノが、かくも胸に染み入る感慨をもたらしてくれるとは……」
室内を見回していき――最後にアロンソを目に映した。
「よくやってくれた。褒めてつかわす!」
正直、途中で何回かサジを投げたくなった。しかしこの笑顔を拝めただけで甲斐があった。アロンソはそう感じて微笑み返した。