94.食堂のみんなとお別れです。
私がいつまで経っても手を出さないでいると、リアムの眉がハの字になってしまった。別に嫌で受け取らないわけじゃないので、私は慌てて麻袋を受け取る。
(お……もっ)
持てないわけじゃないけど、私にとっては結構な重さの袋。いったい何が入っているのか、見てもいいかと尋ねてみた。
「お前にやったものだ、好きに見ろ」
……はい、好きに見させてもらいます。
袋を地面に下ろし、縛ってある紐を解こうとしたけど……。
「……俺がしてやる」
「ありがと」
モタモタしている私を見かねたのか、リアムが早々に手を出してくる。それに礼を言ってお願いし、固く結ばれた紐を解いてもらって中を覗き込むと、そこには意外なものが入れられていた。
(これって……)
胡椒、ハチミツ、砂糖。そして、油に、酒。大量ではないけど、かなりいろんな種類の調味料が雑多に入れられていた。王都の市場でも手に入る物もあるけど、この油と酒は別の領地から入ったらしい珍しい物で、父さんがしきりにその味を確かめていた物だ。
胡椒もハチミツも貴族院で使う物は上等で、平民の私の家で使う物とはレベルが違う。
これを、くれるっていうのだろうか?
「リアムさん、これ」
「俺が勝手に持ち出したものじゃない。ちゃんと料理長が許可をくれたものだ」
今回、グランベルさんには貴族院からそれなりの報酬があり、たぶん、父さんはグランベルさんから報酬をもらうと思う。その上、こんなにも貴重な調味料を貰うなんて、ちょっと貰い過ぎだと思うんだけど。
「でも、これ」
「俺たちみんなで、お前やケインにも何か礼をしたいと思ったんだ。ケインは今頃ジャスパーから肉を貰っているはずだ。あいつには肉が一番だろうし、お前にはいろんな調味料が良いと思った。……いつも味見をしていただろう」
うわ、見られてたんだ……。だって、ここで使う食材はもちろん、調味料のすべてが上等なもので、この先滅多に口にできないと思ったらついつい味見も多くなってしまってた。
ケインの方が食欲旺盛なので目立ってないと思い込んでいたけど、見ている人は見ているんだね……。
「俺たちは明日も朝から仕込みがあるし、お前たちの見送りはできない。今夜、一応別れの食事会をすると料理長は言っていたけど、その前に餞別として先に渡しておきたかった」
ケインはともかく、私なんて本当に手伝い程度のことしかできなかったのに、ここまで感謝されるなんて思ってもみなかった。
「……ありがと、リアムさん。すごくうれしいですっ」
貴重なものを分けてもらったことももちろんだけど、それを分け与えても良いって言われるほど私を認めてもらえたのがすごく嬉しい。
私は思わずリアムに抱きつく。年齢差ももちろん、リアムはひょろっと縦に長いので、抱きつけるのは腰辺りになっちゃったけど。
「うわっ、お、おいっ」
頭上で焦った声が聞こえ、同時に身体を離そうとしているのか肩に手が置かれるのがわかる。でも、私はしがみつくように抱きついたままリアムに言った。
「大好き!」
「……ば、馬鹿かっ」
ちょっと、失礼じゃない?
自分だけじゃないってリアムに言われ、私は厨房に戻ると料理人の1人1人に礼を言って回った。
私の言葉にみんな嬉しそうに、照れくさそうに、話しかけてくれるのが面白かった。15日間、あっという間で、あんまり話せない人もいたけど、少なくとも私を、私たちを歓迎してくれたというのが伝わってすごく嬉しい。
「りょーりちょー」
最後に、料理長、デリックの前に行った。私が何をしようとしているのかはわかっているようで、僅かに片眉を上げて何だと問いかけてきた。
正直に言えば、私はあんまり料理長と関わっていない。新しいものを貪欲に取り入れる料理長は父さんにつきっきりだったから。でも、私は父さんから毎日話を聞いていたので、結構料理長のことを身近に感じているのだ。
「せんべつ、ありがとうございましたっ」
頭を下げて言うと、料理長はふっと笑う。
「餞別とは、難しい言葉を知っているな」
「えっと……へへ」
あんまり考えていなかった。笑ってごまかす私に、料理長は視線を合わせるように身を屈める。
「子供なのに、よく頑張った」
「りょーりちょー……」
「新しいメニューを思い浮かんだらまた教えてくれ」
本気なのか、それとも冗談なのか。平民の私たちがまたここに来れる可能性は限りなく低いのに……。でも、私はとりあえず、はいっと頷いておいた。
その日の夕食が終わると、ホールの一角で食事会が始まった。今回の料理は父さんたちが教えたもので、全部ここの料理人が作っている。最後の最後で、料理の出来の試験をするみたいで、料理長を始めみんな緊張した面持ちだった。
私としては、最後にみんなで食べる食事だから、楽しくワイワイ食べたいんだけど。
「よし、みんな揃ったな」
料理をすべて並べ終え、コップを持った様子を見た料理長が言った。
「今回は、同じ料理人として、とても勉強になったし、新しい発見もたくさんあった。ここに来てくれたジャックたちに感謝する」
ちょっとだけしんみりとした言葉の後、カップを掲げて食事が始まった。
最初の数日で帰ってしまったグランベルさんにとっては見たこともない料理もたくさんあるみたいで、すべてを食べる勢いでフォークが動いている。そればかりじゃない。いちいち、材料は何を使っているのとか、調味料は、料理方法はって、側で聞いているだけでもうるさ……細かいから、みんな少しずつ席を離しているのがちょっと面白い。
私は父さんとケインの間に座り、フルーツサンドを頬張っている。さすが貴族院の食材は新鮮で美味しくて、フルーツサンドも私の記憶にあったものよりもとても美味だ。
「どうだ?」
「もいひぃ」
お行儀悪く口の中に食べ物が入ったまま、それでも満面の笑みを浮かべて言う私に、これを作ったらしい見習いたちが嬉しそうにしていた。
サンドイッチは基本具材を挟むだけなので、見習いたちの担当になったみたい。材料の下ごしらえや片付け以外、自分でも料理を作れること自体が嬉しいみたいで、早く他の料理も作りたいと張り切っているらしい。
料理長も、そんな見習いたちを見て、いろいろ考えることがあるみたいだけど……今回のことが少しでも良い方に繋がればって思ってる。
(今日のスープも美味しい……)
リアムとジャスパーは、今はもうスープ担当として完璧だと思う。この短期間で、ブイヨンとコンソメスープはもちろん、私が考えつかない様々なスープを作っている。きっと、この先ももっといろんなスープができるんだろうな。新学期でやってきた貴族の学生たちが驚く顔が見てみたい。
ムフフと笑いながら食事を進めていると、グランベルさんから意外な話を聞いた。
「え、ダナムたちは残るんですか?」
父さんも驚いているけど、私もびっくりだ。
グランベルさんの話では、ダナム、フィッグ、カークの3人は私たちと一緒に帰るんじゃなくて、まだしばらく貴族院で働くらしい。どうやら、実際に生徒が戻ってきた時に混乱する可能性を考えて、当分はヘルプとして入るんだって。
貴重な戦力が戻らないというのに、グランベルさんがすごく良い笑顔ってことは……結構良い契約料が入るってことなのかも。
「ジャックもいていいんだぞ」
料理長が冗談じゃないくらい真面目な顔で言う。
「リナとケインも一緒にな」
「ケインは十分戦力だ」
「リナは俺たちの癒しだしな」
……なんか、私だけ料理と関係ない所で必要とされているみたいだけど……でも、そう言ってもらえるのは照れくさいけど嬉しい。
ただ、私たちはいくら契約金が高くてもOKはしない。
「残念ですが、家で妻が待っているので」
照れもせず、真面目に答える父さん。父さんの言う通り、15日も離れていると母さんが恋しくてたまらない。自分ではずいぶん成長したって思っていたけど、私、まだ5歳だもん。
「リナもか?」
料理長に顔を覗き込まれて、私もはいっと深く頷いた。
「母さん、待ってるから」
「……母親には勝てないか」
本気なのか、それとも冗談だったのかはわからないけど、みんなが笑ったから私たちも笑って、そこからは新しい料理の話になって、料理長と父さんが討論みたいなこともしたけど、なんだかすごく楽しい食事会だった。
(は~、今日でお風呂ともお別れかぁ)
私は湯船につかって、風呂好きのおじさんみたいにふ~と息をついた。
贅沢にお湯をたっぷり使ったお風呂なんて、きっとこの先入ることなんてできないだろう。今のこの時間が特別なんだってわかっているつもりでも、名残を惜しむのはしかたがない。
「あら」
いつものように1人貸し切りのお風呂を楽しんでいた私は、華やかな声に慌てて視線を向けた。
「あ……」
会うのは、3回目? そこにいたのは豊かな胸を惜しみなく晒したベアトリス先生だ。
「せんせー」
「ふふ、またここで会えるなんてね」
ベアトリス先生はにこやかに笑みながら近づいてくる。で、でも、先生、全然隠さない……。以前の記憶の中で本で読んだことがあるけど、貴族って人に世話されることに慣れているらしいから、裸を見られても恥ずかしくないのかもしれない。
でも、私の方が何だかいたたまれなくて、そっと視線を外してしまった。
「こ、こんばんは」
「この時間なら、あなたに会えるかもって思ったの」
「え?」
わざわざ私がお風呂に入るだろう時間に合わせてきたってこと?
ベアトリス先生が何を言おうとしているのか、私は警戒して身体を小さくする。ベアトリス先生は、私の魔力のことを知っているし、万が一他の誰かに話してしまったらって……思わなくもない。でも、あの場面でエルさんが助けを求めるくらいの人だから、きっといい人なんだって思うけど……。




