90.魔力は制御が必要です。
「そ、そんなの、知らないです。私、きぞくとか、知らないですっ」
「知らないではすまないのだ。リナ、君は己の立場の危うさをきちんと自覚するべきだ。そもそも、どうしてここに来てしまったのか……ここには、君の魔力を感じ取れる者がいるというのに」
エルさんは責めるように言うけど、私が今回この学校にきたのは、美味しい料理を食べてほしいと思ったからで、魔力のことなんか考えていないし! だいたい、私、ここで魔力なんて使ってないよっ? 何もしていないのに、私の魔力のことが他の人にわかるっていうの?
「リナ」
私を呼ぶエルさんの声は低くて、少し怖い。
(エルさん、どうしてこんなに怖いこと言うのっ?)
魔力が多いって言われても、私には何の実感もない。それこそ、術語を知らないから自由にいろんな魔術を使えるわけじゃないし、そもそも、魔力って目に見えるものじゃないから。
でも、エルさんの厳しい眼差しは、事態の深刻さをまざまざと想像させて、私は……私も父さんも、ただお互いを守るように抱き合うしかなかった。
「幼子を、そんなに脅かすものじゃないわ、エーベルハルド様」
そんな空気を一変させたのは、笑みを含んだベアトリス先生の声だった。
エルさんはハッとしたように僅かに目を瞬かせ、次に深く息を吐く。まるで感情を乱したことを恥じるかのように一度顔を伏せ、また顔を上げた時はいつもの無表情に戻っていた。
「リナ、確かに今私が言ったことはあくまで可能性で、このまま君が貴族に見つからず過ごす可能性もあるだろう。でも、私やベアトリス先生、それに……もう一人、厄介な貴族に君の存在は知られてしまっている。そうなれば、あらゆる可能性を考えることも必要と思う」
エルさんやベアトリス先生が、私に悪いことをするっていうこと? ……ううん、そんなこと考えられない。少なくともエルさんは、私にとってはヒーローみたいな存在だもん。私のピンチの時は、いつだって助けに来てくれて、お守りだってくれて……。ベアトリス先生だって、エルさんが信用しているからここに呼んだんでしょう?
「私、エルさんのこと、好きです。だから、エルさんのこと、しんよーしてます」
「リナ……」
「まあ、それはリナの片恋? それとも、エーベルハルド様も……」
「先生」
なぜか、らしくもなくエルさんがベアトリス先生の言葉を途中で止めてしまい、何を言おうとしているのかはわからなかった。でも、それで明らかにこの場の雰囲気が柔らかくなって、ベアトリス先生は笑いながら私の頭を撫でてくれた。
「夜の闇の色を持つあなたには、きっとすべての加護を包み込む力があるのでしょうね。でも、まだ幼いあなたが制御するのは難しいわ」
私の力……。今の、まだ幼い私がコントロールするのは難しいんなら、私はどうしたらいいの?
「しかたがありません。ここまで関わった私が面倒を見るべきでしょう」
溜め息混じりに言ったエルさんの声は、思ったよりも力強かった。
彼は目を丸くする私を見、次に父さんへ視線を向ける。
「ジャック、其方がどれだけリナを腕の中に隠そうとしても、リナの魔力は容易に其方の腕を打ち破るほどに大きい。それならば、その力をどう制御するか、貴族の目から隠すのかを考えなければならない」
それは、まるで決定事項だというかのように重く響く。
「……父さん?」
すると、父さんは私を抱きしめたままその場に片膝をついた。立ったままでは父さんの方が縦も横もエルさんより大きいけど、こうして跪くと父さんはエルさんを見上げる格好になる。
私だったら大人にこんなことをされたらオロオロするだろうけど、エルさんはまったく動揺することなく父さんを見下ろしていた。
「……どうすれば、いいんですか? どうすれば、私は娘を手放さずにすみますか」
「貴族院にいる間、私はリナに魔力の制御を教える。制御できなければ、またいつあのような威圧を掛けるかわからないからな」
え? いあつ? 良くわからないことに首を傾げると、エルさんが呆れたように言う。
「髪飾りを奪った者に向けただろう?」
「リナ? 何のことだ?」
その場にいなかった父さんが聞いてきたけど、私はあの時のことを思い出して一人納得していた。
あの時は身体の中の熱がグルグルと回って、私自身が苦しかったけど……あれって、いあつ……あ、威圧か、それだったんだ。でも、無意識だったから、どうしてああなったのか全然わからないんだけど。
私が説明しようとすると、その前にエルさんが淡々と事実だけを父さんに教えた。貴族のお嬢様相手に私がしでかしたと知った父さんは蒼褪めていたけど、その理由を知ると口をへの字にして黙り込んだ。
「……ごめんなさい、父さん」
「……今度から、何かあったらちゃんと言うんだぞ? 何も知らないままで、いきなり教えられたら心臓が止まりそうになる」
もちろん、この世界で一番私を愛してくれている父さんに好きで隠し事なんてしたくない。
私がコクコクと頷くと、父さんは大きな手でクシャっと髪を撫でてくれる。髪がクシャクシャになっちゃったよ。
「……」
一連の私たちの様子を見ていたエルさんが、なぜか乱れた私の髪を軽く撫でる。父さんとエルさんの視線が絡まった気がしたけど……気のせい?
「ふふ」
側で、ベアトリス先生がどうしてか楽しそうに笑っている。その少し後ろで、シュルさんも笑いを堪えたような顔をしているけど……ん?
私は父さんとエルさんの顔を交互に見た。
「リナ、味見」
「は~い」
私はリアムに差し出された小さな皿に口を付けた。しっかり旨味が引き出されたスープはとても美味しい。
「おいしー!」
「……そうか」
微かに唇の端を上げるリアム。もっと素直に喜びを表現していいと思うんだけど、ツンデレさんにはハードルが高いのかな。
(このままでも十分美味しいんだけど……)
今日のスープはオニオンスープだ。具材が一つだけなのに大丈夫なのかってリアムは心配そうだったけど、味見して目が光っていた。あ、ここでは玉ネギはオニオンって言わないんだけど、私の好みで名づけてしまった。
成長著しいスープ係は、今ではブイヨン作りを完璧にできる。コンソメスープも作れるけど手間がかかるし、ブイヨンスープの方が応用が利くみたいで、常時作っているのはこっちだ。
今日もブイヨンスープに調味料を足してオニオンスープができたけど、これにもう一工夫したらもっと美味しいよね。
なので、その欲求を満たすべく、私はジャスパーを見上げる。
「ジャスパーさん、パンとチーズ、ください。パンはかたくてもいいです」
「パンとチーズ? 昼食が足りなかった?」
ジャスパーはウインクするけど、ふくよかな頬っぺたに邪魔されてるよ……。
笑いながらも私が言ったものを用意してくれたジャスパーに礼を言い、私はリアムに器にスープを入れてくれるよう頼んだ。私が何をしようとしているのかまったくわからないだろうけど、スープ作りを根底から覆した私たち一行への信頼度は大きいみたいで、ちゃんと言う通りにしてくれる。
(スープに切ったパンをのせて……)
少しスープが見えるくらいにパンをのせると、ジャスパーがあっと声を上げる。続けてチーズをのせると、リアムが「おいっ」て手を出そうとした。せっかく美味しくできたスープに何をするんだと思ったんだろうけど、これ、すごく美味しいから。
(試食だし、わざわざオーブンを用意してもらうのも申し訳ないな)
「お兄ちゃん、これやいて」
「え?」
私が何をやろうとしているのか興味津々で覗き込んできていたケインにお願いしても、何をしていいのかすぐにはわからなかったみたい。それで、チーズに焦げ目がつくくらいに焼いてみてって言ったら、考えながらも火の加護を使ってくれた。
ケインが作り出す火は、火加減で言えば中くらいかな。小さなころよりも随分火力は強くなっている。
じわじわとチーズが焼けていって、良い香りが漂ってくる。始めは眉間の皺を深くしていたリアムも、今では身を乗り出して器の中を覗いていた。
(私の加護……魔力も、こんなふうにちゃんと調整できるのかな)
私は焼けるチーズを見つめながら、今朝のエルさんの言葉を思い出していた。
「私が教育する」
そう言って、エルさんは私に……っていうより、父さんに説明した。
私たちがこの学校にいる間、もう7日くらいしかないけど、その間にできるだけ魔力の制御の仕方を教えてくれること。
この期間に私が覚えたらいいけど、できなかった場合は、エルさんが定期的に下町に来て教えてくれること。
それができるようになったら、私の中の魔力量を測るために、季節毎に下町にエルさんがくること。
……わかってます。これって、私にとってはすごく助かるけど、エルさんにとっては何の利益もないことだよ。父さんも、してもらうばかりじゃ後が怖いからって指導料を払いたいみたいなことを言ったけど、エルさん、お金には困っていないんだって……。
でも、やっぱりそれじゃ申し訳ないってことになって、でも、エルさんは自分と関わったから貴族とも関わることになってしまったからと言って。
結局決まったのは、エルさんが望む時、うちで新メニューをご馳走するってこと。
そんなことって思うけど、シュルさんがかなり後押しをしてきた。珍しいもの、目新しいものに興味があるエルさんは、きっと私が考えるものを喜ぶだろうって。
してもらうこととの釣り合いが取れないって思うんだけど、エルさんもそれでいいって言っちゃったので、決まったからには頑張って新メニューを考えるつもり。あ、そのための連絡手段も私たちがここにいる間に考えるんだって。
エルさん、頑張ってって……応援するしかない。




