82.ご迷惑をおかけします。
突然聞こえてきた声に大いにビビってしまった私は、情けないけどすぐに振り向くことができなかった。いったいそこに誰がいるのか、想像はつかないんだけど……何だか嫌な予感はするんだよね。
だいたい、か弱い幼女にこんな威嚇を込めた声を掛けるもの? せめて、
「どこからきたの?」
「お父さんかお母さんは?」
って、優しく聞いてほしいんだけど……まぁ、学校に、それも貴族が通う全寮制の学校の中に、私みたいな幼女がいること自体不審に思われてもしかたがないとは……思うけど。
「子供を嚇すな、ロックウッド・フォン・シモンズ」
私が黙ってトラさんにしがみ付いていると、それを怖がっていると思ったらしいトラさんが私の背後に向かって声を掛けた。それにしても、トラさんって人の名前、フルネームで呼ぶ派なのかな。
「トラヴィス、その子供は何者だ」
「不審者じゃない」
「何者かと聞いている」
「それは命令か?」
「学生総代の私に言えないと?」
……これって、言い合い? どちらも声音は平たんで口調も冷静なんだけど、どこかトゲトゲした雰囲気を感じる。ただ、今学生総代って聞こえたけど……もしかして生徒会長みたいなもの?
どちらにせよ、トラさんが普通に会話していることと、学生総代ということから、私の背後にいるのがここの学生だというのは間違いないだろう。
私は思い切って顔を上げ、そろっと後ろを見てみた。
「……」
(この世界って……美形率高い……)
一番の感想がそうでもしかたがないと思う。
私の目に映ったのは、くすんだ金髪に緑の瞳の美青年だ。トラさんより一回り大柄な体は見るからに鍛えているのがわかるが、スマートに制服を着こなしている。美青年のエルさんや、騎士然としたシュルさん、クールなトラさんともちょっと違って……少し強面に感じるけど、粗削りな雰囲気は女の子にモテそうだ。
ただ、その胡乱な目つきはちょっとないと思う。私が本当にただの幼女だったら絶対に泣いてると思うもの。
私と目が合うと、目の前の青年の目が少し驚いたように見開かれた。
何を驚いているんだろうって首を傾げると、私が動いたことで青年は我に返ったようだ。
「……其方、何者だ?」
「あ、あの」
早く答えなくちゃって思えば思うほど、イレギュラーな出来事が続けてあったことに無意識に動揺しているのか、なかなか次の言葉が出てこない。
(は、早く言わないと、もっと疑われちゃうかもっ)
「わ、私、リナ、です」
「……」
「今、あの、あの」
「落ち着け」
気持ちが急く私を、トラさんが背中を軽く叩きながら宥めてくれる。あ、まだトラさんに抱き上げられたままだった。
「下ります」
人と話す時にこの態勢はやっぱり恥ずかしい。もう5歳なんだからちゃんとしないとって思うんだけど、トラさんは聞こえていないというように私を抱き上げたままだ。
「トラさん?」
「ロックウッド・フォン・シモンズの前に下ろすと危ない」
え?
「……どういう意味だ」
私が驚くのと同時に、不機嫌そうに青年……ロックさんが言う。地を這うような声って……こういう声を言うんじゃないかって思うほど、不機嫌さを隠さない声だ。
「私は今からこの子をエーベルハルド・フォン・ベルトナールのもとに連れて行かなければならない。其方と話をしている時間はないな」
「エーベルハルドのもとに? ……わざわざ連れて行かずとも、呼び出せばいいだろう」
呼び出すって、携帯電話……は、あるわけないか。だったら、どんな方法があるんだろうって首を傾げた私は、右手を軽く振ったロックさんの手に、いつの間にか光る棒が握られているのが見えた。あれって……そうだ、私の洗礼式の時、エルさんも持っていた棒、……なんだっけ……く……あっ、クヌート! 確かそんなふうに言っていたはず。
久しぶりに見たそれに驚いていると、彼はそれで空中に何かを書き始めた。光る何かが、まるで空中に留まるようにフワフワと浮いている。多分、文字だと思うけど、私にはまだ読めない。
(え、書いた字が浮かんでいるとか……)
書き終わったロックさんが、クヌートで文字をポンッて叩いた途端、文字は金色の粉のような光になってどこかに消えていった。
「……」
今見たのって……現実? ファンタジーの世界の、それこそファンタジーな出来事に、私はただただ唖然とするしかない。
でも、驚いているのは私だけみたいで、トラさんははぁっと深い溜め息をついた。
「……せっかく、私が連れていくつもりだったのに……」
「トラさん?」
「……リナ、このまま私と……」
トラさんが何か言おうとしたその時、奥の階段から下りてきた人影があった。
「リナ」
今朝聞いたばかりの声が私の名前を呼んでくれて、そのままこちらへと歩み寄ってくる。
「エルさんっ」
ようやく、目当ての人と会えて、私は安堵と嬉しさにそのまま手を伸ばしてエルさんの名前を呼んだ。
エルさんは1人ではなく、その後ろにシュルさんもいて、私を見てちょっと驚いたような顔をしているのが見える。私のこと、シュルさんに言ってなかったのかな? でも、やっぱり2人は一緒にいるんだ。
すぐ側まで来て立ち止まったエルさんは、私を見て小さく息をつき、次にトラさんへと視線を向ける。
「トラヴィス・フォン・オーランド、その子をどうするつもりだ」
「其方のところに連れて行こうとしただけだ」
こともなげに言ってるけど、何だか……エルさんの雰囲気が……怖い。
「……連絡はロックウッドから来たが」
「クヌートのことを思いつかなかった」
「其方が?」
さっきの、トラさんとロックさんの淡々とした会話以上に、よそよそしい雰囲気を肌で感じる。でも、私にとってエルさんは特別な人だし、トラさんだって悪い人じゃないと思うし……。
でも、今はとにかくエルさん!
「エルさん」
手を伸ばしたままもう一度名前を呼ぶと、エルさんは今度はさっきよりも大きな溜め息をつき、私に手を差し出す。
「……」
「……」
少しの間、エルさんとトラさんが無言のまま見合って……ようやく、エルさんに抱き寄せられた。
「何を考えているんだ、君は」
その途端、エルさんの口から零れたのは小言混じりの言葉だ。
「1人でこんなところにいて……見知らぬ男に抱き上げられるなど、何が起こってもわからないぞ」
「ご、ごめんなさい」
「父親はどうした?」
「私……私、あの……」
不味い。泣いちゃいそう……。エルさんが言っていることは間違いじゃなくて、私の軽率な行動が悪いのに。ここで泣いちゃったら、エルさんが悪いことになっちゃう。
「……っ」
私はぐっと歯を食いしばり、目に力を入れる。絶対、泣かない。
「……」
そんな私がどう見えたのか、私を抱き上げてくれるエルさんの腕に、少し力が入ったのがわかった。
「……リナ」
困った子供を相手にするような、困惑を含んだ声。でも、私はさっきのエルさんの質問に答えなきゃって頭の中がいっぱいいっぱいだった。
「今日、新しいパン、作って……」
父さんや他の料理人さんたちが頑張ってくれて、見た目も綺麗で、味も良いサンドイッチができた。それを、どうしてもエルさんに食べてほしくて、でも、エルさんとどう連絡を取っていいのかわからなくて、イシュメルさんを頼ろうと思ったこと。
彼のもとへ行く途中、トラさんと会って、それからロックさんも現れて。彼がエルさんを呼んでくれた。
「では、君の父親は、君がここにいることを知らないのか?」
「……はい」
すぐに戻るつもりだったから、詳しい説明なんかしなかった。……あ~、やっぱり、思いついてすぐに行動した私が悪かったんだ。
順序だてて説明すると自分の悪いところがよく見える。落ち込んで俯く私の髪を撫でてくれたのはトラさんだ。
「子供が考えの無いことをするのは珍しくない」
慰めてくれるつもりなのかもしれないけど……ちょっとグサッとくる言葉だった。
エルさんはチラッとトラさんを見て、さっさと歩き始めた。
「……食堂に行けばいいんだな」
「エーベルハルド様」
「今日の夕食は食堂でとる」
「……わかりました」
エルさんの言葉に、シュルさんがしかたなさそうに頷いている。きっと、シュルさんにも迷惑かけたんだよね。
「……ごめんなさい」
私が頭を下げると、その言葉の意味を正確に読み取ってくれたシュルさんが笑いながら言った。
「気にすることはない。久しぶりにジャックのパンを食べるのも良いしね。エーベルハルド様、私が」
そう言いながらシュルさんが私を受け取ろうとしたけど、
「いい」
エルさんは短く言って私の体を抱え直す。あの、私、歩けるんですけど……。
「お、下ります、私」
ちゃんと歩けるからと伝えたけど、エルさんは「時間短縮のため」と言いながら下ろしてくれない。まだ幼女だけど、抱えて歩くにはそれなりの重さだと思うんだけど……。細身なのに、エルさんって結構力持ちなんだ。
……まあ、エルさんの腕力も気になるところなんだけど……。
私はチラッと後ろを見る。そこには、カラフルなピンク頭と、不機嫌そうな強面が続いていた。
「……トラさんも、ごはん?」
「興味があるから」
トラさんは短く答えるけど、エルさんと食堂以上に、トラさんと食堂って……似合わない。でも、トラさんだったら、初めて見るだろうサンドイッチを受け入れてくれそうな気もするんだよね。
「……ロックさんも、ですか?」
意外にも、ロックさんも私たちの後をついてくる。
「其方が怪しい者ではないと確認するためだ」
なるほど。他とはちょっと意味合いが違うけど、お客さんには違いないとしておこう。
「……君は何をしたんだ?」
ただ、少し呆れたようにエルさんに言われ、私はへへっと笑ってごまかすしかなかった。




