表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/128

81.ピンクの少年は何者ですか。

 廊下は結構明るい。もちろん、日本のような電気の明るさじゃないけど、怖さを感じることはなかった。視線を向けた窓の外は、だいぶ薄暗くなっている。本館から職員専用棟に行く時に少しだけ外を歩くことになるけど、今ならまだ大丈夫。

 私は廊下を走った。《佳奈》だった時は弱い体のせいで、こんなふうに何も気にしないで走ることもできなかったから、大きく振る手足も、せわしない心臓の鼓動も、変な話すごく楽しくてもっと走りたい気分だ。でも、学校の廊下を走るのは、あまりいいことじゃないだろうけど。


 機嫌良く廊下を走っていた私だけど、まだ5歳だからそこまで長く走れない。途中で止まって、ハァハァと肩で息を整えていた私は、ふと窓の外に目をやって首を傾げた。

(今……?)

 何か、光が過ったみたいなんだけど……? 懐中電灯くらいの光が、ふ~と平行に移動したような気がしたんだけど、ここに懐中電灯があるわけじゃないし……。でも、オーブンの代わりも、コンロの代わりもあるし、懐中電灯の代わりがあってもおかしくないかも。

(でも、こんな時間に外で何をしているんだろう?)

 気になるけど、目が届く範囲に外に出るドアはない。しかたなく、私はまた最初の目的である職員専用棟へと向かう。

 体感としては5……ん~、10分くらいかな。ようやく外に出るドアのところまで来た時、

「ひゃっ」

 不意に外からドアが開いて、私は何かとぶつかってしまった。

「いたぁ……」

 ものの見事に弾き飛ばされ、私はそのまま尻もちをつく。いくら幼女のプニプニのお尻でも、打ち付けたらそれなりの衝撃があるんだから……。私は体勢を変えて、打ったお尻を撫でる。その間……ぶつかった相手は何も言わない。

(ちょっとちょっと、いくら貴族様でも、子供が倒れたら声を掛けてくれるものじゃない?)

 この場合、どちらが悪いかは置いておいて、幼い者を労わる気持ちがあっても良いと思う。

 私は少しだけ恨めし気な気持ちを抱いたまま、ぶつかった人物を見るために顔を上げた。


(……ピンク……?)

 一番に目に入ったのは、今まで見たことがない髪の色だった。ピンク色とか……あ、ピンクピンクした派手な色じゃないけど、どう見たってピンク色。それも、

(男がピンクとか……ちょっと違和感があるんだけど……)

ちょっとだけ残念な気持ちのまま、私は相手の顔を見る。

(……無駄にイケメン……)

 吊り気味の目元に、通った鼻筋。薄めの唇は引き結ばれたままで、一見してクールな印象だ。身長も結構あるし、嫌味なくらい足は長いし……。

「……其方」

 うわっ、喋った。思ったよりも低い声だ。

「堕神か?」

「え?」

「……」

「……」

(だしん?)

 言葉の意味がわからなくて首を傾げていると、相手はようやく私の体勢に気づいたらしい。気づくのがちょっと遅いとは思うけど、「すまない」と言いながら、両脇を掴まれて起こしてくれた。ただ、床に下ろしてくれず、足がプラプラとした宙吊りだ。

「……」

 細身のくせに、楽々と私を抱えている彼は、自分の目線まで私の顔を上げてじっと見てくる。睨まれたりはしないけど、観察するような眼差しが居心地悪い。


 しばらく、私たちは見つめ合っていた。もちろんそこに、甘い雰囲気は一切ない。

(いつまでこのままなんだろう……)

 あんまり遅くなると父さんが心配するし、そもそも私はエルさんの部屋を知りたかったわけで、見も知らないピンク少年の相手をしている場合じゃない。

「お、下ろして、ください」

 昼間食堂に来ていた学生と同じ制服を着ているから、目の前の彼も貴族だ。今更だけど不機嫌にならないようにそっと声を掛けた。

「下りたいのか?」

「は、はい」

 当たり前じゃん! 地に足がついてないと落ち着かないんだもん。

 でも、私が同意してもなぜか下ろしてくれない。

「どうして? だいたい、其方は幼子じゃないか。その年でなぜ高等貴族院にいる? まさか、勝手に忍び込んだのか?」

 はぁ? 私、ちゃんとエプロンもしてるんですけど! そもそも、貴族が通う学校に、小さい子が勝手に入り込むことができるとか、どれだけセキュリティが甘いんだって話になるよ。

 私はしかたなく、なぜここにいるのかを説明する。彼は最後まで黙って聞いていたけど、

「なぜここにいる?」

 結局、話はそこに戻った。

「私、イシュメルさんに会いにいくんです」

「イシュメルに? なぜ?」

「聞きたいこと、あって」

「何を?」

 ……この人、かなり知りたがりっていうか……。外見はすごくクールなのに、結構好奇心旺盛っていうか……あ。

(もしかして、知ってるかも)

 同じ学生だし、この人、もしかしてエルさんのことを知っているかもしれない。友達じゃなくても、ちょっと呼び出してもらえるくらいなら……。

「あの、エルさん、しってますか?」

「エルさん?」

 おっと、ちゃんとフルネーム言わなくちゃ伝わらないよね。……あれ? エル……違う、エーベル……何だったっけ。


 困った。私にとってエルさんはエルさんで、聞いた本名も覚えていたつもりだったけど……覚えたつもりだったみたい。

「あ、あの、エーベル……エルさん、です。キラキラのかみで、ふかい海の色の目の……きれーな人です」

 外見だけ言っても伝わらないかもって思ったけど、

「ああ、エーベルハルド・フォン・ベルトナールのことか」

 彼はこともなげに言い難い名前を口にした。

 覚えていなくても、響きからすっと名前が頭の中に浮かび上がった。

「そ、そうです、その人!」

「知っている。連れて行ってやろう」

「え? ちょ、ちょっと!」

 連れて行ってくれるのは嬉しいんだけど、だいたい私、まだあなたのこと何も知らないんですけど!

「お、お名前、おしえてくださいっ」

 とりあえず、今一番必要な情報を要求してみた。




 彼、ピンク少年の名前は、トラヴィス・フォン・オーランド。

 この学校の2年生だって。父親は城で王様に仕えている文官らしい。……そこまでの情報はいらなかったんだけど……身分がしっかりした人なら、きっと悪いことをするような人じゃない……はずだ。

「夏季休暇中、平民が貴族院に入るという噂は聞いたが、まさか本当のことだとは思わなかった」

 彼……トラヴィスは、補習で残っているわけじゃなく、家に戻ると社交をしなければならないから残っているんだって。確かに、貴族の社交って面倒臭そうだもんね。

「其方は、エーベルハルド・フォン・ベルトナールとはどこで知り合った? 彼ほどの家柄の貴族が、平民と縁を結ぶのは珍しい」

「えっと……」

 改めて聞かれると、私自身明確な出会いというのを覚えていない。それに、会った時間だって考えたらすごく少ないし……。エルさんの迷惑になるかもしれないと思うと、すごく慎重に言葉を選ばないといけない。

 そもそも、私とエルさんは友達とは言えないし、かといって他の形を考えてもまったく思い浮かばないよ。

「リナ」

「……」

 淡々と名前を呼ばれる。

 そう。移動中、私はトラヴィスからいろんな話を聞いたけど、私の情報も彼に知られてしまった。こんなにも聞き上手だとは思わなかった……。もちろん、エルさんとの関係とか、私の加護の話とか、不味そうなことは全部とぼけたつもりだけど、そこまで通じているのかわからない。

(……だいたい、私、こんなに自由に歩き回ってもいいの?)

 っていうか、私、ずっと抱っこされた状態なんだけど。

 トラヴィスは細身なのに、軽々と私を片腕で抱いている。力持ちなのは、エルさんと同じくらいかも。でも、いつまでも抱っこじゃなくて、私歩きたいんですけど。


 トラヴィスは、私では覚えられないような複雑な道のりを歩き、いつの間にか濃い緑の絨毯が敷かれた廊下を歩いていて……。

「……しずか……」

「ここは上級貴族が住む寮だからな」

「じょーきゅー……」

 私はただ圧倒されて、雰囲気さえ違う廊下を見渡すしかない。

 エルさんに連絡を取りたいとは思ったけど、まさかこうして直接迎えに行くなんて思っていなかった。夕飯にサンドイッチを食べてもらいたいだけなんだけど、嫌だって言われたらどうしよう。

(……エルさんは優しいから、嫌でも来てくれるかもしれないけど……)

「そうだ、トラさん、外でなにしてたんですか?」

 あ、私、トラヴィスの名前、「トラさん」にした。もちろん、抵抗はしたんだよ?

 でも、

「エーベルハルド・フォン・ベルトナールのことはエルと呼んでいるじゃないか」

 なんて、言われてしまった。

 回数は少ないとはいえ何度も会って、幼い私が難しい名前を言えなくて「エルさん」と呼ぶのが定着してしまったというのとは違い、今日会ったばかりの少年を愛称で呼ぶのはなかなかハードルが高かった。

 それでも、人って順応するもんなのよね。いつの間にか、「トラさん」って言ってるもの。


 あ、さっきの私の質問に答えていないよ、トラさん。

「外で、何してたんですか?」

 重ねて尋ねると、トラさんは少しだけ笑って窓の外へと視線を向ける。

「探し物だ」

「さがしもの? 落としものですか?」

 それだったら、一緒に探すこともできたのに。

 今現在、厨房でやることのない私は、人の役に立ちたいと切実に考えているのだ。

「……いや、今日はもう良い」

「え……?」

 あっさり却下されて呆気にとられた時、

「そこで何をしている」

「!」

 厳しい声音にビクッと震えた私の背中を、意外に優しい手つきでトラヴィスが撫でてくれたけど、心臓がバクバクしているよ。

 いったい誰? 幼女を驚かさないでもらいたい! 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ