79.食パンのお披露目です。
貴族院にくる前、私と父さんはいろんな話をした。
学生とはいえ、貴族がたくさんいる場所で、私が何を気をつけたらいいのか、どういう態度をとったらいいのか。いっぱい注意されて、ちょっとだけ頭がクラクラしちゃったくらい。
そしてもう一つ。新しいメニューのことも話した。
うちでは、私が思いつきで口にしたことを、それが実際に作れる父さんが再現してくれて、結構新しいメニューは増えた。でも、それは調理方法は珍しくても、豪華な料理ってわけじゃない。貴族の口に合うかどうかなんてわからなかった。
そんな中、私が考えたのはサンドイッチだ。
挟む具で様々な種類が作れるし、切り方を考えたら貴族のお嬢さんでも上品に食べることができるんじゃないかなって。夕飯としては軽すぎるかもしれないけど、朝食や昼食だと考えたら、かなり食べやすいし、お手軽だもん。
私が食パンの作り方を教えてから約2年、父さんは今では完璧に食パンを作れる。今だって時々、家族が食べる分だけは焼いてくれているし、いろんな食べ方ができるというのはその時にもう話していた。
どうして私がそんな食べ方を知っているのか、父さんは口にしないけどきっと不思議に思っているはずだと思う。私も、余計なことをしない方が良いってわかっているつもりなんだけど……駄目だね。
私の意見を、父さんは黙って聞いてくれていた。
それでここ、貴族院にきて。
念のためだって持ってきた食パンの金型を実際に使うのかどうか、父さんはギリギリまで決めていなかったと思う。でも、ここの料理人たちの探求心を肌で感じて、新しいことを追求する父さんが自分の知識を出し惜しみなんてするはずがない。
「どうした?」
父さんが私を見下ろす。視線を合わせて、私は小さな声で聞いてみた。
「食パン、作る?」
父さんが驚いたように目を瞬かせている。
「リナ、お前……」
「きっと、みんなおいしーって言ってくれると思う」
「……」
すると、父さんはその場にしゃがみ込み、私の頭を軽く撫でてくれた。
「作ってもいいのか?」
「アレは、もう父さんのものでしょ?」
作り方を教えたって言っても、材料の分量とかをはっきり覚えていたわけじゃないし、焼く時の時間や火力なんてまったくわからなかった。そんなあやふやな記憶の中のものを、ちゃんと形にしてくれたのは父さんだもん。もう、食パンは父さんのものだ。
父さんは眉間に皺を寄せ、すごく考えているのがわかる。
でも、その時間は意外に短かった。立ち上がった父さんは、少し離れていたところに立っているグランベルさんに歩み寄る。グランベルさんは今日の昼前、もう少ししたら町に帰る予定で、今はこれからの大まかな流れを確認している状況のはずだ。
食パンは、また新しい形のパンだ。今回のメニュー改革の責任者であるグランベルさんがいなくなる前に許可を取ろうとしているんだってわかって、私は満面の笑みを浮かべた。
食パンを作るって言った父さんに、グランベルさんはこっちが引くほど興奮し、前のめりになった。そればかりか、帰るのを明日に遅らせて、自分も新しいパンの誕生に立ち会うんだって鼻息も荒く息まいている。
商会の代表者だけど、グランベルさんもパン職人なんだなって感じた。
「お前たち、よく見ているんだぞっ」
自分の店の料理人に言いながら、グランベルさんが一番前に陣取ってる……。
作り方は白パンを作るものとほとんど変わらない。ただ、材料の比率は少しずつ違う。それは、今のところ父さんの頭の中にしかないっていうのがすごいよ。
あと、ここは食材豊富な貴族院の食堂で、貴重な砂糖も気にしないで使えるし、バターだって上等なものだ。
貴族院の食堂にグランベルさんが関わるようになって、天然酵母も使うようになっているから、後はもう火加減を間違えないようにして焼くだけ。
パンの担当者だけじゃなくって、今ここにいる食堂の料理人たちも、グランベルさんと一緒にきた3人も、父さんの手元を食い入るようにして見ている。緊迫しているけど、真剣な顔で仕事をしている人ってみんなカッコいいよ。でも、父さんが一番カッコいいけどね。
そして……。
「おぉっ」
焼き上がり、金型から出た食パンに、野太い歓声が沸いた。
やっぱり、初めての場所での火力調整が難しかったみたいで、耳にあたる外側は少し色が濃い。白パンより甘い匂いは控えめだけど、やっぱり焼き立てのパンの匂いは格別。
大柄の料理人と比べると、食パンはすごく小さな塊にしか見えないのがちょっと面白い。
まだ温もりが残る食パンを、切れ味の良いナイフがすっと切った。
「うわっ、中は真っ白だっ」
「こんなふうに薄く切るパンとか初めて見た……」
口々に感想を言い合っている人たちを見た私は、隣にいるケインを引っ張ってその輪から抜け出す。
この後味見があるはずで、パン自体の味を確かめてもらった後は、一押しの食べ方を教えなきゃ!
「お兄ちゃん、チーズと、ハムと、やさい!」
「あ、中に入れる?」
ケインは何回もサンドイッチを食べているので、私が何を必要としているのかわかってくれている。……あ、でも肝心の私たちが、ハムやチーズがどこにあるのかわかってなかった。
あの巨大な保管庫から、手早く目的のものを探すには……。
「マシュー!」
まだ下っ端だからか、人垣の一番外側にいたマシューを捕まえ、私は欲しいものを告げる。すると、人が良いのかマシューは自分が取りに行くと言って動いてくれた。
率先して動くなんて、絶対マシューは良い料理人になると思う!
一通りの味見が済んだ時は、もう食パンは半分になってた……。
金型は一斤の大きさなので、あんまりサンドイッチは作れそうにない……って私は考えていたけど、そこは父さん。もう次の生地を作り始めてる。
「父さんっ」
私は父さんに用意した具を見せる。すると、父さんは私とケインを交互に見て言った。
「お前たちで作ってみろ」
「えぇっ」
それはあまりに無謀なんじゃないかって焦ったけど、
「リナ、それはどう使うんだ?」
さっそく、グランベルさんが声を掛けてくる。貪欲なとこはちょっと怖いよ。
「サンドです」
私がケインの背中に隠れると、ケインが代わりに答えてくれた。サンドイッチって言うのは長いから、家族にはサンドって説明しちゃったんだよね。そして、朝から作っていたマヨネーズも持ってきてもらうと、ケインが素早くサンドイッチを作っていく。基本挟むだけなので、子供でも簡単に作れる。
「……で、こうやって切ると……」
正方形の食パンを、十字に四等分に切った。ケインはその一つをグランベルさんに差し出す。
「これは……断面がとても美しい……」
切り口から覗くのは、ハムの赤とチーズの黄色、そして葉物の緑だもんね。見た目だって綺麗だし、ホットドックと違って大口を開けて食べなくてもいいから、貴族のお嬢様方にも受け入れられやすいはず。
グランベルさんはいろんな角度でサンドイッチ見た後、それを口にして目を閉じた。
美味しいのか、美味しくないのか、顔を見ただけじゃわかんないけど……。
「おいし?」
私が尋ねると、しばらくして目を開けたグランベルさんが見下ろしてきた。
「白パンも切込みを入れて、具材を挟むということは考えたことがある。でも、これほど食べやすくて、断面が美しいパンは初めて見た」
どうやら、グランベルさんは見た目の美しさを高評価してくれているみたいだ。嬉しくなって、私はさらに追加情報を教えた。
「甘いサンドもあるんです。いっぱい、いろんなの作れるんですよ」
「……そんなに種類があるのか」
しみじみと呟いたグランベルさんは、ふっと冷静な目つきになって作業を続ける父さんのもとへと歩み寄る。あれ? どうしたんだろう?
最前列にいたグランベルさんがいなくなると、他の料理人たちが残った食パンでサンドイッチを作り始めた。まだ慣れていないせいで切る幅が揃ってないけど、サンドイッチという形はわかったみたい。
「これっ、美味しい!」
ようやく味見にこぎつけたらしいマシューが、目を輝かせて口を動かしている。四等分じゃ足りないみたいで、六等分になっちゃってる……。
「俺も好きなんだ。トンカツ入れたり、卵入れたり、いろんな種類があるんだ」
「そうなのかっ?」
あ、あはは、私だけじゃなく、ケインからも情報がダダ洩れになっちゃってる……。
「……」
父さんを見ると、手を動かしながらもグランベルさんと会話を続けている。グランベルさんは身振り手振りで、何かを必死に訴えているようだ。多分、食パンのレシピを売ってくれとか言ってるんだろうな。
帰ったら、食パンのレシピ、登録するんだろうな。
それからは、厨房の中は戦争だった。
朝食の支度をする者たちと、新しく食パンを使ったメニューを考える者たちが班分けになって、すさまじい勢いで様々なことが進んでいく。
グランベルさんは食パンの金型を作らなくてはと言って厨房を飛び出し、パン係の人たちは真剣に父さんの手元を見て作り方を覚えようとしている。
ケインは、サンドイッチの具材に関してのアドバイスをしていて、残る私は……。
「……」
私は、黙々と野菜を洗っている。食材を切るのは危ないし、スープを作るのに竈の近くにいても危ないしということで、結局一番安全で、役に立つ仕事がこれだった。
椅子を台にして、ただ手を動かす。本当は水の加護も使えるんだけど……さすがにここで使うのは止めておこうって判断はできた。




