78.美少年が美青年に変身していました。
まさか、こんなところでエルさんに会えるなんて思いもしなかった。……もちろん、頭のどこかで、この学校にエルさんが通っているんだなぁって思ってたけど、実際に会える可能性はほとんどないって思ってたし。
そもそも、今は夏季休暇の期間だから、普通の学生はいないだろうって思ってたんだよね。
もちろん、会えてすごく嬉しい! 私にとってエルさんは、いつも困った時やピンチの時に颯爽と現れて助けてくれるヒーローで、会った回数は数えられるほど少ないけど、私にとっては特別な人だ。
「……」
私は久々に会えたエルさんをじっと見上げる。
前からすらりとした美少年だと思ってたけど、こうしてまじまじ見るとずいぶん大人へと成長しているみたい。背だって高いし、頬の丸みも消えている。初めて会った時なんて美少女のようにも見えたけど、今はもう性別を間違えるなんて絶対にない。
私も大きくなったつもりだけど、エルさんの成長スピードには追い付いていないみたい……。
見上げる首が痛いなあと思っていると、エルさんが淡々と尋ねてきた。
「魔石はどうした?」
「ませき?」
「私が渡した石だ」
石……? あ、あれ! できるだけ身に着けているようにって言われたあの小さな石は……あ。
「……わすれてた……」
家にいる時は毎日のようにエプロンのポケットに入れていたけど、ここに来る時持ってくるのをすっかり忘れてた。
私の答えに、エルさんはまたも溜め息をつく。
「だから、わからなかったのか……」
わからないって、何が?
お守りの石を忘れたことを怒られるかなって思っていたけど、エルさんはしかたないと溜め息混じりに言った。もう私がここにいることがわかったから、どうにでもなるんだって。
その意味はまったくわからなかったけど、怒られなかったからいいか。
「それで、食事を作りにきたというのはどういうことだ? 父親も一緒なのか?」
どうやら話は初めに戻ってしまったみたい。私はエルさんに一生懸命説明した。
グランベルさんというパン屋さんに、父さんが貴族院の食堂のメニュー開発に誘われたこと。
そのグランベルさんが、私とケインも同行するように言ったこと。
「食堂の改革……か。このことだったとは……」
何とか最後まで説明した私に、エルさんは深く長い息を吐いて額に手を当てる。何だかすごく呆れたって感じだけど、何かあったのかな?
「まあ、いい。それで? なぜここにいる?」
「お使いにきたんです。お兄ちゃ……兄と、マシューと……」
あ、そう言えば、2人はどこにいるんだろう? 私が辺りを見回すと、少し離れたところでケインとマシューが並んで立っていた。2人ともポカンとした顔をしてこっちを……って言うより、エルさんを見ている。
「お兄ちゃん」
「リ、リナ、その人……」
あれ? ケインってエルさんと会ったことなかったっけ? 私自身久しぶりだから、前のことをあまり思い出せなくて首を傾げた。まあ、今から紹介したらいっか。
「お兄ちゃん、エルさん」
……終わっちゃった。よく考えたら、私はエルさんのことをほとんど知らない。
容姿が整っているとか、ユニコーンに乗ってるとか、貴族らしいってこととか。本当にこれだけ? って、自分自身呆れてしまうくらいなんだけど、私のエルさんに対する信頼度はかなり高いんだよね。
「こ、こんにちは」
すごく整っている容姿のエルさんを前に、ケインはあからさまに緊張してますって顔をしているけど、ちゃんと挨拶をした。
「リナの、兄のケイン、です」
「……エーベルハルド・フォン・ベルトナール」
おぉっ、長い、すごくカッコいい名前。エルさんのちゃんとした名前、以前は言えなかったけど、今なら言えそうな気がする。
「エーベルハルド・フォン・ベルトナール」
言えた! すごいでしょって自信満々でエルさんを見上げると、なぜか眉間の皺が深くなっている。
「……エルで良い」
「え~」
せっかく長い名前をちゃんと言えるようになったというのに、愛称でいいって言われてしまった……。私としては、短くて、可愛い響きだからいいけど……。
「お兄ちゃん、エルさんはなんども私をたすけてくれたの。すごくいい人なんだよ」
「リナを? あ、ありがとうございますっ。大事な妹を助けてくれるなんて……本当にいい人なんだな、リナ」
素直なケインは、どうして貴族のエルさんと私が知り合いなのか深く追求せず、妹愛を爆発させてエルさんを良い人認定しちゃった。それはケインの良い所でもあるんだけど、ちょっと心配でもある。
ケインとは違って、マシューはさすがにここの食堂で働いているせいか、エルさんがどんな人なのか知っているみたいで、顔色なんか真っ白で体が硬直して見える。
別に、エルさんは理不尽なことをする人じゃないんだけど、やっぱり一平民にとっては貴族はとても怖い存在なのかもしれない。
ケインとの挨拶が済むと、エルさんは改めてあの赤い実のことを教えてくれた。
「あれは死にはしないが、かぶれがなかなか引かない。液がついた手で目をこすれば失明する危険性もあるものだ」
「どうして、ここにあるんですか?」
そんな怖い毒物を、学校の温室で育てるなんて危険じゃない。
「生では毒だが、乾燥させると熱冷ましの薬になる」
「くすり……」
毒が、薬か。確か、食べ物でも毒抜きをしたら普通に美味しいものもあるって聞いた気がする。あのイチゴみたいな実は、食材じゃなくて薬になるんだ。そう考えると、薬草園にあってもおかしくはないな。
「エルさんは、どうしてここにきたんですか?」
「調合で必要な薬草を取りにきた。まさか、ここに君がいるとは思いもしなかったが……」
「会えて、うれしいです」
「……」
「エルさんは?」
会えない時間があっても、私のエルさんに対する好意はまったく変わらない。だったら、エルさんはどうなんだろう? 私と会って、ちょっとでも嬉しいって思ってくれてるかな?
期待を含んだ目でじ~っと見ていると、呆れたような視線を向けられた。
「……君は仕事中なんだろう? 私と話をしている暇はあるのか?」
「あ!」
声を上げたのはマシューだった。マシューが持っているザルにはすでにいろんな種類の香草がのせられている。そうだ、私たちお使いを頼まれていたんだった!
「あ、お、俺は先に……」
私とエルさんが知り合いだとわかったマシューは、自分だけが先に戻ろうとする。でも、私とケインも一緒に頼まれたんだから、ここでサボっている場合じゃないよ。
せっかくエルさんと会えたけど今は仕事中だから、休み時間にまた会えるように約束しておこう。
「エルさん、私たち、まだここにいるんです。また、会えますか?」
「……」
「……」
「……」
「……」
ち、沈黙が痛い。……そっか、補習が忙しくて、会う時間が……。
「補習など受けていない。……はぁ、時間ができたら会いにいく」
「はい!」
やった! 私の心の声を見事に読まれちゃったけど、ちゃんと会いに来てくれるって!
テンションが上がった私は、そのままエルさんの腰に抱きつく。こら、とか、離しなさいって言われたけど、そんなに優しい声じゃ怖くないからね。
エルさんと別れて、私たち3人は急いで食堂に戻った。それほど時間をかけたつもりはなかったけど、中に入ると既にいろんなところで作業が結構進んでいる。
パンは発酵が済んだものから成形を始めているし、寸胴鍋からは良い匂いがしてきた。
「遅くなりました!」
マシューが大声で謝りながら、作業台にいる年かさの料理人にザルを渡している。それを横目で見た後、私は父さんの姿を探した。父さんは竈の前にいた。
「父さんっ」
私とケインは父さんがいる場所へ足早に近づく。でも、火を使っているから飛びついたりはしない。そんなことをして、父さんが手を滑らせたりしたら大変だもん。
「おお、お帰り。どうだった?」
父さんの誘い水に、ケインが嬉々として薬草園の話をする。私がエルさんと話している間もマシューにいろんな種類を教えてもらっていたみたいで、私の知らないことも父さんに報告していた。
父さんとケインの話を聞きながら、私は目の前の寸胴鍋を見る。身長が低すぎて中が見えないけど、匂いはしっかり伝わっていた。
「父さん、トマトソース、作ってるの?」
「ああ。使い勝手がいいからな」
確かに、トマトソースはいろんな使い方がある。正確には、マトトのソースだけど。
それに、ある程度の量なら一度に作ることもできるし。
「何につかうの?」
「ホットドックに、スクランブルエッグ。夕飯には、トンカツを作ってみるつもりだ」
わぁ……想像するだけで美味しそう。昨日、あれほど評判が良かったホットドックに、トマトソースを使えばさらに美味しくなるもんね!
「それと、マヨネーズも作ってもらってる。前回は少なすぎて、あまり味見をしてもらえなかったからな」
どうやら父さんは、本格的にソース・調味料革命を起こすつもりみたい。と、いうか、基本を教えると、ここの料理人だったらさらに進化させそうな感じだもん。父さんもきっと教え甲斐があるんだろうな。
(あ、エルさんにも食べてもらいたいな)
ここなら、作りたての料理を食べてもらうことができる! 一見して食が細そうなエルさんでも、きっと新しい料理を気に入ってくれるはず。
(……それなら、あれも……)
ほとんど荷物を持ってきていない私たちだけど、父さんが1つだけ、念のためにと持ってきたものがある。それを使うかどうかはわからないって言ってたけど……。
(アレが作れたら、エルさんも食べやすいだろうし……)
迷っていた父さんの背中を押すために、私は父さんのエプロンをツンっと引っ張った。




