76.料理改革の波が凄いです。
私は冷ましたスープを飲んだ。あくまで味見なので、具材は入ってないスープだけだ。
(……トマトの酸味がすごく効いてる。野菜の旨味もあるし、ベーコンの脂もちゃんと溶け出してるよ……)
雑味が少ないのは、丁寧に灰汁を取っていたからだろう。バターのコクもちゃんとわかる。これなら夏の暑い日、冷やして食べてもきっと美味しいスープだ。……凄いな、本職の料理人は、わずかなヒントだけでもここまで作れるんだ。
私の身近にいる料理人は父さんだ。父さんも私が考えたものを形にしてくれるけど、本職はパン職人なので、どうしても試行錯誤する時間がいる。でも、この貴族院に雇われるほどの腕を持っている料理人なら、少しのヒントだけでもすごく変わりそう。
目を閉じてさわやかな味わいのスープを飲んだ私が目を開くと、意外なほど近くにリアムの顔があった。いつの間にかしゃがみ込んで私の視線と目を合わせたらしい。
「どうだ?」
そう聞いてくる顔は、初対面の時に見た不機嫌な表情ではなく、どこかワクワクした、新しく興味がわいたものを自慢するような子供みたいな顔だ。
一瞬、意地悪をしてみたい気もしたけど、ここは素直に評価しよう。
「おいし」
「……本当に?」
あ、ちょっと疑ってる。
「はい。マトトのすっぱいのが、ちょうどいいと思います。お野菜にも味がしみておいしいです」
私が満面の笑顔で言うと、隣で同じように味見をしていたケインが大きく頷いた。
「美味い! うちで作ったスープよりも美味しいかも!」
ちょっと、ケイン。それは当たり前じゃない。ここは貴族が通う学校の食堂なんだよ? 使っている野菜も上等なものだろうし、ベーコンだって塩だって。でも、そんな材料の美味しさを引いても、このマトトのスープ、すごく美味しい。
「そうか……」
リアムがホッと安堵の息をつくと、それが合図かのように周りのスープ係の見習い少年たちも味見を始めた。そして、飲んだ途端、みんな驚きの声を上げ、それぞれ興奮したように感想を言い合い始めた。さすが、みんな勉強熱心だね。
「どうした?」
竈の周りでの騒ぎに気づいたのか、料理長がやってきた。その後ろには父さんたちや他の料理人たちもいる。
「料理長っ、このスープ、すごく美味しいですっ」
「材料はいつものとほとんど一緒なのに、全然違うんですっ」
見習いの少年たちが興奮したように口々に言っている。その訴えに少しだけ眉を顰めた料理長が、黙ったままリアムに視線を向けた。これって、報告しろって言っているんだろうな。
リアムも心なしか背筋を伸ばしたが、すぐに見習いの少年に味見用の皿にスープを注ぐように言った。
「調理方法を言う前に、味見をお願いします」
「……」
差し出されたスープの色を見、匂いを嗅いで、料理長は口をつける。すると、あからさまにではないけど、その目が驚きに見開かれたのがわかった。
「……材料はいつもの物なんだな?」
「はい」
リアムは水から野菜を煮て、その煮汁を捨てないままでいたら味わい深いスープができたこと。
それをベースに、様々な香草や食材を足してみたこと。
そのどれもが、今まで味わったことがない深みを生み出したこと。
見習いたちの興奮とは違って、淡々と説明するけど、あの不機嫌そうに言葉少なかったリアムがこれだけ饒舌に話していること自体、すごく興奮しているんじゃないかな。
私はチラッと父さんを見上げる。視線が合うと、よくやったって言うように笑ってくれた。
ふふ、褒めてもらうのは嬉しいけど、実際に私がしたことなんてほとんどないんだよね。でも、みんなが研究熱心になってくれたことは予想外にすごく良いことだけど。
「……これを、お前……あんたたちはいつも食べているのか?」
言い換えても、結構失礼な物言いだけど、私たちの生活圏内ではよくある言葉遣いだ。
「うちは、だが」
いつからとか、誰が考えたかとかは言わず、父さんは簡潔に答える。
そんな父さんをじっと見た料理長が、何かを深く考え始めた。
「おい、パンが焼けるぞ」
「あ!」
何を言うつもりなのか、料理長をずっと見ていた私は、遠くから声を掛けられて慌てて顔を上げる。どうやら、さっき作ったパンがもう焼けるみたいだ。
「お兄ちゃんっ」
「うんっ」
私とケインは手を繋いで、天火の前に急ぐ。すると、さっき私たちとパン作りをしたお兄さんが中の鉄板を取り出した。
「うわぁ……」
白パンの配合で作ったので、色は私の想像していたものと違って白っぽいけど、形は間違いなくホットドックパンだ。ただ、私が作ったのは手が小さかったせいで、ケインの作った物よりも一回り小さい。
「できたね」
「次はソーセージだな」
私の指揮下で何度もホットドックパンを作ったことがあるケインは、次にすべきことがちゃんとわかっている。
「あの、ソーセージはありますか?」
「ああ、さっき言っていたから用意してある」
おぉっ、デキるね、お兄さん。私たちのさっきの会話をちゃんと覚えていて、その上材料を用意してくれているなんてなんていい人!
調理台の上に並べられたソーセージと、レタスに似た葉物野菜を見て、ケインはにかっと嬉しそうに笑った。
ソーセージを炒め、塩と砕いた胡椒で味付けをする。トマトソースもマヨネーズもないので、味付けはこれだけだけど、すごくプリプリとした美味しそうなソーセージなので、とりあえずは良しとしよう。
パンの真ん中に切込みを入れ、そこに葉物野菜を敷いて、ソーセージを乗せた。それだけでもパンの白と、葉物野菜の緑と、ソーセージの赤という取り合わせはとても鮮やかで美味しそうだ。
「あ~ん」
私とケインはウキウキとして大きな口を開けたけど、ふと自分たちを見下ろしてくる視線に気づいて手が止まった。
「あ……」
そうだった。これはあくまでもメニュー作りの一環で、私たちの食事を作っているわけじゃないのだ。
ギリギリ私はとどまったけど、ケインはそのままパクリと食べてしまった。
「ん~、このソーセージ、美味い!」
「お、お兄ちゃん」
「リナも食べてみろよ、すっごく美味しいからっ」
その顔を見たら、美味しいっていうのはよくわかるけどね、ケイン。でも、暢気に食べている場合じゃないと思うの。
勝手に食材を食べてしまったこと怒られるかもしれない……父さんを呼ぼうかと視線を彷徨わせた時、
「!」
さっき、声を掛けてくれたお兄さんが、ケインの真似をしたらしいホットドックを口にしているのが見えた。
「……」
お兄さんの目が輝くのがわかる。これは、さっきのリアムと同じ目だ。
「パンに食材を挟むか……すごいな。これ、君たちが考えたのか?」
そうきたか。ここは父さんが考えたものだっていうのが一番手っ取り早いけど、あんまり父さんを困らせたくもない。そうでなくても私がやらかしたことで、いつだって後始末が大変そうなんだもん。
(無難な理由……う~ん……)
私はチラッとケインを見る。後もう一口で食べ終わりそうだ。
「え……と、お兄ちゃん、くいしんぼーだから、いっぺんに食べたいって!」
咄嗟に脳裏に浮かんだことを口にしただけだけど、ケインの食べっぷりを見て信じてくれたみたい。お兄さんはくくっと笑った。
「確かに、これだったらパンもおかずも一度に食べられるな。……ん、そうだ」
何か思いついたのか、お兄さんは辺りを見回して、「おっ」っと声を上げる。
「あった」
(……卵? ……と、ベーコン?)
お兄さんは調理台の上でベーコンをみじん切りにし、今度は卵を溶いて切ったベーコンを中に入れた。次は竈に移動し、鉄板でベーコン入り卵を焼いて……。
(スクランブルエッグだ)
塩を入れて作ったのは、美味しそうなスクランブルエッグだ。お兄さんはホットドックパンに葉物野菜を挟み、そこに作ったばかりのスクランブルエッグを乗せる。すごい、わかってる、この人! 卵パンも美味しいんだよ!
「お兄さん」
「俺はマルクだ。君も食べてみて」
お兄さんは作ったそれを独り占めにはしないで、何個かに切り分けて他のパン係や見習いの少年たちにも食べさせている。もちろん、彼らから出てきたのは絶賛の声だ。そして、我先にと自分なりのホットドッグパンを作り始めている。
ケインと同じソーセージを挟む子、ベーコンを厚く切って挟む子、薄い肉を炒めて挟む人もいた。
パンで挟むという基本があれば、後は何を挟んだっていいんだもん。
お兄さん……マルクがくれたスクランブルエッグパンはベーコンの塩味が効いていて、でも優しい味で美味しかった。ただ、ケチャップがあったらもっと美味しかったのにと思ったのは、内緒。
「お前ら……」
どの中身が美味しかったのか、楽しそうに言い合っている子たちを生温かく見つめていると、どこからか呆れたような声が聞こえてきた。その途端、今さっきまで和気藹々としていた空気が静まる。
案の定、スープの所にいたはずの料理長が、胡乱な視線を向けてきた。
「料理長、これを」
でも、マルクはにこにこしながら、切り分けていたパンを差し出す。
「……」
それを口にし、料理長はマルクを見て、次いで私を見た。
「み、みんな、いろいろ考えますね!」
ごまかす様に笑うと、料理長は深い溜め息を吐く。そんなに困るようなことはなかったはずだけど……そう思っていると、小さく「くそっ」と吐き出すのが聞こえた。な、なんだろ、怒ってるの?
「1日で変わり過ぎだろ」
言い方は忌々しそうなんだけど、その目は楽し気に輝いている。口調と表情がまったく合ってないんだけど。でも、見習いの子以上にこの状況を喜んでいるのが伝わってきて、私は安心して確保していたソーセージのホットドックパンを食べた。
番外編、誰視点で描こうか悩んでいます。
もう少しお待ちください。




