75.貴族院の決まりごとは面倒です。
私の訴えに不本意だという気持ちをまったく隠すことなく、それでもリアムは寸胴鍋を竈に戻してくれた。てっきり実力行使に出られるかもしれないと思っていたけど……あ、私がグランベルさんたちと一緒にきた子供だから?
一応、今回のメニュー開発の一員としてお客様扱いしてもらっているから、文句を言いたくても言えないのかもしれない。
(文句を言われること、覚悟しとこう……)
……と、思っていたのに、予想に反してリアムは私やケインに突っかかってくることも、小声で嫌味を言われることもなかった。
そればかりか、3つ並んだ寸胴鍋から目を離さず、ちゃんと灰汁も取っている。
この人……結構几帳面っていうか……料理に関してはすごく真面目な人なのかもしれない。
でも、これだけ真面目に取り組んでいるんなら、少し考えるだけでちゃんとしたスープも作れそうなのに。
確かに、この世界は調味料自体少ないけど、胡椒だってあるんだし、柑橘系の果物とか、ハーブだってある。いろんな組み合わせを作ってみようって思わなかったのかな。
そんなことを考えているとどうしても聞いてみたくなって、私はじっと寸胴鍋を見下ろしているリアムの側に近づいた。
「あの……」
「……」
(う……話し難い……)
私は幼女。幼女だから、雰囲気を読まずに話しかけ続ける……よしっ。
「お兄さん、どうしてスープは、塩味だけなんですか?」
「……」
「ほかの味、考えないんですか?」
「……」
なるほど、無視ですか。なかなか手強いなぁ。
やっぱりここは、ふくよかさんジャスパーに聞いた方が良いかな。
ジャスパーは2つ隣の竈で寸胴鍋を見ている。彼のもとに行こうとした私は、
「できないんだよ」
ポツリと落ちてきた言葉に思わず高い位置にある彼の顔を見上げた。それが私の問いに対する答えだということに気づく前に、続いて穏やかな声が横から聞こえてきた。
「貴族院はね、すごく細かい決まりごとがあるんだ。全領土から来られた貴族様に万が一のことがあったらいけないだろう? だから、調味料も含めて、料理方法は決められたことしかできない。だからね、今回新しいメニューの開発のために商人を呼んだって聞いて、すごく驚いたんだ」
そう……なんだ。
料理人だったら、美味しいものを作ることが普通なんだって思ってたけど、この貴族院の料理人は決められたことを忠実にこなすことが大切なのか。
(貴族って……面倒)
仮に、毒殺とか心配するとして。いつもと違った味なら気づくこともできるかも、知れないけど……その代わりに、いつまで経っても味が変わらないなら、料理人のやる気もなくなってしまいそうだよ。
……あれ? でも、今回グランベルさんはメニュー開発のために呼ばれたんだよね? じゃあ、誰かわからないけど、この食堂の料理を変えたいって強く考える人が現れたってこと?
「おい」
む~んと考え込んでいた私は、不機嫌そうな声に慌てて顔を上げた。
「このまま煮込むだけでいいのか?」
「リナ、ベーコンっ」
お肉大好きなケインの言葉に、私は笑いながら頷く。
「あ、うん。あの、ベーコン入れてください。その時、ちょっと火であぶってください」
少し焦げ目がついた方が私の好みなのでそう言うと、リアムは見習いの子たちに言って一口大にベーコンを切らせる。鉄板で軽く炙ったベーコンをそれぞれの寸胴鍋に入れてもらい、この時点で少し塩も入れて味を見てもらう。
煮汁を捨てないままなのでリアムの顔は険しいままだったけど、スープを一口飲んだ瞬間、
「……っ」
その表情が明らかに変わった気がした。
ううん、気がしたんじゃない、リアムは確実に表情が変わった。それまでのどこか不機嫌そうな顔が、一瞬で真剣な表情になった。
「……」
もう一口飲んで、今度は目を閉じていたけど、
「おい、ナーゼを持ってこい」
見習いの子にそう言って、その子が慌てたように奥の保管庫に向かって走っていく。
「リアム?」
「ジャスパー、飲んでみろ」
突然態度が変わったリアムを怪訝そうに見ていたジャスパーは、戸惑ったようにスープを口にした。
「これ……」
リアムと同じく何かにびっくりしたようなジャズパーに、彼は頷いてみせる。
「そうか……煮汁を捨てなかったから、そのまま素材の味が溶け出しているのか……。それに、ベーコンを炙ったのも香ばしいね。ここにナーゼ?」
「ああ」
ナーゼ? ……って、何?
「お兄さん、ナーゼ、何?」
わからないことは聞くしかない。すると、ジャスパーはすぐにそれが香草だと教えてくれた。どんな味なのかはわからないけど、スープ担当のリアムが入れた方が良いというのならそうなんだろう。……というか、いつの間にか、リアムが率先して見習いの子たちを動かしている。目が輝いていて、声も何となく生き生きしてるみたい。
「お兄ちゃん……」
バタバタと動き出した一同を前にして、私とケインの仕事は何もなくなってしまった。
「私たち、ヒマだね」
「でも、すごく張り切ってくれているし、すごく美味しいものができるんじゃないか?」
ケインは手伝うことが無くなったことを嘆くことなく、むしろどんなスープが出来上がるんだってワクワクしているみたい。
(まあ……私も楽しみだけど……)
3つの寸胴鍋は、一つは塩味だけ、もう一つはナーゼっていう香草を入れて、なんと最後の一つにはマトト……あのトマトもどきを入れていた。僅かな材料の差だけど、この短い間にいろんなアレンジを考え出したっていうのはすごい。もしかしたら、リアムは考えることが好きなのかもしれない。
「……」
私は父さんたちの方を見てみる。すると、さっきまで父さんがいた場所にその姿がなかった。どこに行ったのかと視線を動かした私は、父さんがまた作業台を移動したことがわかった。
「父さんっ」
父さんはパン作りをしていた。もう発酵はさせていたのか、見慣れた生地を形成している。
「パン?」
「ああ」
「私も、作っていい?」
どうやら、スープ作りで私ができることはないみたい。今自分たちでいろいろ考えているリアムたちを邪魔したくないし。
父さんは竈の方を見て、苦笑しながら頷いてくれた。変に目を離して、怪我でもさせるよりはいいと思ったのかもしれない。
いつの間にかケインも来ていて、私たちは親子3人並んでパンの形成をすることにした。
ここには、パン作りの担当なのか、5人の料理人と、何人かの見習いの少年たちがいる。
彼らに対して頭を下げて挨拶をし、にっこりと笑ってよろしくお願いしますと告げた。内心はともかく、幼児を邪険にはできないようで、一緒に作ろうねって言ってもらえた。
料理人たちの手元を見ていると、見慣れた白パンが次々とできている。その手つきはさすがで、私も手を洗ってさっそく準備を整えた。
(え~と、何を作ろうかな)
白パンは他の人が十分な量を作るだろうし……あ。
良いことを思いついた。家じゃ貴重な酵母を無駄遣いにできないので、パンもきっちりと白パンしか作らなかったけど、ここなら少し変わったパンを作っても大丈夫なはず。
「フン、フン、フ~ン」
鼻歌を歌いながら、ご機嫌で手を動かす。丸い形の白パンじゃなくて、細長いホットドックパン。
家じゃなかなか作れないもんね。
「……それ、何?」
すると、私の手元を覗き込んできた料理人が声を掛けて来た。リアムさんたちと同じ年頃かな、くすんだ金髪の、ちょっとカッコいい青年だ。
「ホットドッグパンです」
「ほっとどっぐぱん?」
あ、そっか。これじゃ通じないや。
「焼いたあと、ここに切れめをいれて、ソーセージとか野菜をいれて、トマトソースかけるんです」
「切れ目にソーセージと野菜を入れる? とまとそーすって何だ?」
身振り手振りで説明すると、とりあえずパンに食材を挟むというのは納得できたらしい。でも、トマトソースっていうのがわからないみたい。トマトソースはレシピ登録してたっけ?
その辺りは全部父さんに頼んでいるからはっきりしない。
「父さんに、教えてもらってください」
問題を全部丸投げしたら怒られちゃうかも。
それでも、私は黙々とホットドッグパンを作り続けた。ケインにも説明すると、すぐに自分も同じものを作ると言ってくれた。何度か作った総菜パン、ケインも大好きだもんね。
パンに食材を挟むっていうのは珍しいことかもしれないけど、これもスープと同じで少し考えたらいろんな種類を思いつくはずだ。ここの料理人たちは、私が思ったよりもずっと勉強熱心だし、腕もきっといいはずだもん。思いがけなく美味しいものができそう。
「おい」
いろいろ想像してムフフと笑っていると、
「おい」
目の前に、ひょろ長い身長の目つきの悪い……。
「あ、リアムさん」
さっきまでスープのところにいたはずなのにって不思議に思っていると、
「味見」
ぶっきらぼうに、端的に言われた。
「あじみ……できたんですか?」
「……一応」
自分で納得できているのかどうか、完成したと言わないところが天邪鬼っぽくて、なんだか可愛いと思ってしまうのは内緒だ。
「はい。お兄ちゃん、味見」
味見に誘わないと、後で絶対恨み言を言われそうだし、私はきちんとケインを誘う。もちろんケインはすぐに作りかけの形成を終えて、満面の笑みで私の手を握って竈へと速足で向かった。
「……マトトの匂いだ」
「……うん」
トマトもどきのマトトの匂いに……これはバター? 私たちが離れている間に、ずいぶん試行錯誤したみたい。彼らの想像力がどんなものか楽しみで、私はスープを注いでくれた小さな皿にフ~フ~と息を吹きかけた。




