73.マヨネーズの威力、再びです。
チラチラとこちらに向けられる視線を感じながら、私たちは朝食を取ることにする。
短い神への祈りの後、私はまず白パンを手に取った。
(……うん、ちゃんとフワフワだ)
手に持った感触は慣れたものだし、二つに割った時の匂いや生地の肌理細やかさも見知った白パンのものだ。
パクっと一口食べると、僅かな甘さを感じる。想像した通りの美味しさに、思わず笑ってしまった。
グランベルさんのところの料理人さん、腕の良い人を送り込んだんだね。このパンだけでも、絶対に劇的に変わったはずだ。
スープは……うん、これも昨日の夜食べたものと同じ。せっかくの野菜の旨味をぜ~んぶ捨ててしまっている。これ食べて、おかしいって思う人がいないのが不思議でたまらない。
野菜とソーセージのチーズ焼きは、さすがに美味しいチーズを使っているみたいだけど、味にインパクトがない。果物はさすがだね。
これが貴族院の食事かと思うと感慨深いけど、改良点を考えたらもっといろいろできるんじゃないって思う。
(マヨネーズやトマトソースを使うだけでも違うと思うけど……)
素材は良いのだ、要は調理方法の改善。
私は周りを見る。父さんとグランベルさんは難しい顔をしたまま黙っているけど、ダナムたちは美味しいと言って食べている。平民の食生活から考えたら、すごく贅沢で高級な食材を使っているんだもんね。
「ダナム、お前はどう思っている?」
グランベルさんが尋ねると、ダナムは少し考えていたが恐る恐る切り出した。
「普通の食事として考えるなら、十分美味い料理だと思います。……正直に言えば、この料理の何を変えたらいいのか思いつきません」
その言葉に、フィッグもカークも頷いている。すると、グランベルさんは今度は父さんを見た。
「どうだ、ジャック?」
「……マヨネーズやトマトソースを使ってもかなり変化すると思います。ただ、その変化が貴族院の方に受け入れていただけるかどうかは……わかりません」
私と同じこと考えてる! 父さん、もっと自信たっぷりに答えたらいいと思うんだけど……。
「……よし、ジャック」
「はい」
グランベルさんが立ち上がり、それに父さんが続く。私は2人が何をしようとしているのかわからないまま、既に食べてしまったトレイを持ち上げた父さんを見上げた。
「もう少しゆっくりしていろ」
「父さん?」
私に向かってそう言うと、2人は厨房に向かっていく。少しおいて、ガタガタと大きな音をたてたダナムたちも立ち上がって後を追いかけ始めた。
(嘘っ)
このままだと置いて行かれちゃう! 私は残った果物を口いっぱいに頬張りながら、椅子から滑り下りた。
「リナ?」
もう食事が終わっているケインが、どうしたのかともの言いたげな視線をよこしてくる。私は口いっぱいに押し込んだ果物を何とか食べ終え、自分のトレイを持った。
「お仕事、はじまるよ!」
「えっ、うわっ」
そこでようやく、ケインもこの状況の意味がわかったらしい。
(父さんとグランベルさん、仕事が早いってば!)
学生たちの朝食の支度を終えれば、おそらく順番にここの料理人たちも朝食をとるはず。その朝食にさっそく手を加えようとしていると思う。
ここまで来て置いて行かれるのは嫌で、私もケインと一緒に急いで厨房に戻った。
案の定、厨房に戻ると既に父さんは中央の調理スペースを陣取っている。その周りにグランベルさんたちがいて、さっき自己紹介してくれたデリック料理長もいた。
「スープは作り方から違うので……この、野菜とソーセージのチーズ焼きに少し手を入れてみます。料理長、ここにマヨネーズはありますか?」
「まよねーず? いや、なんだ? それは」
どうやら、料理長はマヨネーズのことを知らないらしい。作り方のレシピをギルドに登録してからもうだいぶ経ち、グランベルさんのところでは瓶詰で売っていると思うけど……。
私と同じことを考えたのか、父さんがグランベルさんに尋ねる。
「マヨネーズ、卸していないんですか?」
「うちはパン関係だけだからな。食材はそれぞれ種類によって仕入れ先の商会が違うと聞いている」
なるほど、グランベルさんはまだ深く食い込んではいないみたい。確か、まだ半年くらいって言ってたっけ。より安いところで食材を買うのは当たり前だけど、きっと貴族院で仕入れ先が違うのは安さの追求の結果じゃないよね……。良いのか悪いのかわからないけど。
「それじゃあ作るしかないか……すみません」
そう言いながら、父さんは自家製マヨネーズを作るのに必要な材料を口にする。あ、もちろん、卵は無菌が良いって注意付きで。マヨネーズは材料も案外すぐに揃うし、手作りしやすい調味料の一つだから、覚えてもらうと便利だと思う。
「……それは、あんたが考えた物か?」
「レシピは登録してあります。配合は買ってもらえたらいいですけど」
材料さえわかれば、料理人ならすぐに配合がわかるものだと思うけど、料理長はそうかと言って離れた場所にいる料理人に合図を送っている。その彼が慌てたように厨房から出て行ったので、もしかしたらレシピの購入に行かせたのかもしれない。
(新しいものを取り入れられる人って凄い……)
平民が考えた物かって馬鹿にせず、よさそうなものをどんどん取り入れる姿勢にはすごく好感が持てた。
父さんは用意してもらったものを使って、あっという間に手作りマヨネーズを完成させた。
クリーム色のそれに興味津々な様子の料理長に味見を勧め、彼は躊躇うことなく手を出して……すぐに目を瞠った。
「なんだ、これは……こんなソースがあるのか?」
「これを使えば、かなりの品数が考えられると思います。まずはこれを……」
そう言って、父さんは野菜とソーセージのチーズ焼きの材料の中で、まずは茹でられた野菜を鉄板に入れ、マヨネーズで炒めた。次にソーセージも入れる。これだけでもかなり味が変わってくる。
「胡椒はありますか?」
持ってこられた胡椒は、粒のままだ。
「ケイン、これを潰してくれ」
「うんっ」
「あ、あの、こっちに」
ケインが金槌か何かないかと辺りを見回していると、見習いっぽい男の子が声を上げた。どうやら木の実をすり潰す専用の圧縮機があるらしい。やっぱり、ここにはいろんな道具が揃っているんだ。
「父さんっ」
胡椒をどう使うのか既に知っているケインは、大量ではなく使う分の胡椒の粉を持ってくる。父さんは炒めている野菜にその胡椒と少量の塩を入れ、少し焦げ目がつくまで炒めた。
そして、グラタン皿のような器の中にそれを入れ、上からたっぷりのチーズをのせる。その上からまたマヨネーズと胡椒を掛け、天火で焼いてもらえるように頼んだ。
マヨネーズも良いけど、ここに本当のグラタンみたいにホワイトソースをたっぷりかけても美味しいかもしれない。ホワイトソースも、それほど難しい作り方でもないし、材料を揃えることも簡単だ。マカロニがあるかも知りたいな。
これだけいろんな設備と、豊富な材料があるんならいろんな料理が作れそう。
貴族院の食堂メニューの改革だけでなく、父さんのレパートリーを増やすためにも、私も頑張ってお手伝いしなきゃ!
目の前で、グツグツチーズが焼けている。
周りの食い入るような視線が痛いくらいだけど、父さんは作った物の出来が気になるみたいであまり視線を感じていないみたい。
「どうぞ」
父さんの言葉に、すぐに料理長がフォークを突き刺す。さっきのマヨネーズのこともあり、見たことのない調味料を使った料理を、観察するような冷静な視線で見つめている。
「……っ」
気が急くせいか、熱いまま口に入れて眉を顰めたが、すぐに味を確かめるように咀嚼して……目を閉じた。
ど、どうなんだろ? 美味しかった? それとも、ここじゃ使えないと思った?
私はじっと料理長を見つめる。
「……料理長」
他の料理人の人も、料理長が何を言うのか待っている。すると、彼はようやく目を開けた。
「お前たちも食べてみろ」
「は、はいっ」
まるで待っていたかのように、次々と伸ばされるフォーク。皆一様に熱さに声を上げ、次に味に驚いている様子だ。
「すごい、これ、チーズの塩気だけじゃない」
「酸味も感じられるな。野菜に下味がついているのがいい」
「胡椒って、すり潰せばこんな風味があるのか……」
次々と出てくる意見を聞いていると、とりあえずマヨネーズの味は受け入れられたみたい。日本でも、子供たちが大好きな味だもんね、きっと貴族院に通う位の年ごろの子なら喜んでくれるはず。
「……ジャック」
周りの若い料理人の感想を黙って聞いていた料理長が、父さんに声を掛けた。
料理を作っていた時は堂々としていたのに、改めて声を掛けられると緊張したみたい。父さんの厳つい顔が少し強張っているのが私にはわかった。
「……はい」
容姿だけだと、父さんがここのボスみたいに見えちゃうけど……料理長は父さんを真っ直ぐに見て、次に頭を下げた。
「!」
「どうか、俺たちに力を貸してくれ」
……いったい、どんな気持ちでこの言葉を言ったんだろう。私はこの厨房で一番偉い人が、一番に頭を下げ、そう言ったことに泣きそうになった。すごい、感動だよ、料理長。きっと、料理に対してこんなにも真摯だから、若いのに料理長になったんだろうな。
これから15日間。私はこの人とだったら上手くいけるような気がした。




