72.厨房を拝見します。
服に少々言いたいことはあるものの、せっかく用意してくれたものに文句を言うつもりはない。それに、やっぱり可愛いものを着るのは嬉しいのだ。
グランベルさんを先頭に、ぞろぞろ揃って食堂に向かう。ルーブル美術館……長いな、本館でいいか。その本館の中に足を踏み入れても、他の生徒や先生たちとすれ違うことがない。もともと今は夏季休暇だから、通常の授業はないはず。だったら、生徒がウロウロしていることはないか。
(明るい時に見ても、やっぱり綺麗……)
廊下も壁も、天井も、本当にとても綺麗で見ているだけで感嘆の溜め息が出る。どれだけ丁寧に管理されているか、それだけお金をかけているのか、考えてもしかたがないけど、平民と貴族の明らかな差を見せつけられている気がした。
やがて、食堂に着いた。
中に入っても、ホールには人影はない。
今日は朝食から夕食まで、今ここで働いている料理人のメニューを見ることになっているので、仕込み中の今は当然まだ食事に来る人はいないはずだ。
昨日、給仕の人が入っていったドアの無い入口に足を踏み入れると、
「!」
そこにはザ・厨房が広がっていた。
(すごい……)
隅々まで明るく照らす光が注がれた厨房の片側にはずらりと鉄の箱のようなものが並び、その反対側には竈がなん十個も並んでいる。真ん中のスペースは調理スペースなのか、ざっと見ただけでも20人近い人が忙しく包丁を動かしていた。
「父さん、あれ何?」
私が鉄の箱みたいなものを指さして父さんに尋ねると、父さんは真剣な眼差しを向けたまま答えてくれる。
「あれは天火だ」
「え? でも、かまどがないよ?」
うちの天火は竈の上に設置されているけど、今見える鉄の箱の下にはその竈がない。
「たぶん、魔力で操作できるんだろう。ここは貴族院だしな」
え……でも、いくらここが貴族院でも、働いている人は貴族じゃないよね? 普通の加護で使えるってこと?
説明されてもわからなくて、私は首を傾げる。そんな中、1人の男の人が近づいてきた。
「あんたたちが今回メニュー改善にやってきたんだな?」
その人は父さんたちが着ているのと同じコックさんの制服のようなものを着ている。ただ、料理人には見えないくらいほっそりと痩せぎすな体格をしていた。
髪は茶色で、瞳も茶色。顔は……少しにやけた感じだけど整っていると思う。歳は30前後……もっと若いかもしれない。
「俺はここの料理長、デリックだ」
おうっ、挨拶に来てくれると思ったら、一番偉い人だった。
「私はグランベル商会のグランベルです」
家名を言わないデリックさんは、たぶん私たちと一緒の平民だと思う。
でも、明らかに年上のグランベルさんがへりくだって挨拶をしているところを見ると、ここでは彼の方が地位が高いのか。じゃあ、私もちゃんと対応しないといけないな。
「ここでは料理人30人、下働き15人がいる。今は朝食の準備中なので、挨拶はそれぞれ個人でやってもらいたい」
「承知いたしました。こちらは、今回6人を連れてまいりました。デリック殿の一助になれればと思っております」
そう言ったグランベルさんが、順番に私たちを紹介していく。こっちは6人だから、この場で自己紹介してしまった方が手っ取り早い。
でも……なんだか、デリックさんの視線が痛い……。体格の良いケインはともかく、幼女の私はあまりにも場違いだもんね。
「こちらのケインとリナは、調理補助として連れてきております。幼いですが有能な子たちですので」
きっと、グランベルさんもデリックさんの私たちに対する胡乱な視線に気づいているんだろうな。
私だって、自分の立ち位置をわかっているつもりだもん。ここは初対面の印象をよくするために、めいっぱい愛想良い笑顔を向けた。
「よろしくお願いします」
デリックさんは、じっと私を見下ろしてくる。……何?
「……珍しい髪と目の色だな」
おっと。まさかここで容姿の話が出てくると思わなかった。黒い髪と目の色が珍しいという自覚があっても、最近面と向かってそのことを言う人がいなかったから油断していた。
黒だから、不吉とか、気味が悪いとか思われている? 私はどう反応していいのかわからなくて、上目遣いにデリックさんを見つめることしかできない。
そこに割り込んできたのは、相変わらず妹愛の強いケインの声だった。
「綺麗な色でしょう? 冬の澄み切った夜の色なんです」
「……そうか」
ありがとう、ケイン! ケインがお兄ちゃんで良かったって思ったよ!
ケインのキラキラした視線に毒気が抜かれたのか、デリックさんはそれ以上私の《色》については何も言わなかった。
簡単な挨拶を終えて、私たちは厨房の中を自由に歩く許可を貰った。
貴族院の食堂でどんなものがどんなふうに作られているのか、自分たちで見て自分たちで判断しなくちゃいけない。
「……子供は……」
「この子たちは立派な戦力です」
「……気を付けてくれ」
いろんなことが込められた言葉に、父さんがわかりましたと答えた。気を付けるっていうのは、私たちが怪我をしないようにってこともだけど、邪魔をしないようにっていう意味も含んでいそう。
でも、はっきり言われないとわからないよ? 私はにっこり笑って父さんの後をついて行くことにした。
「……すごいね」
大勢の料理人たちが、テキパキと割り当てられた仕事をこなしている。今は夏季休暇で、食堂の料理人たちも交代で休んでいるっていう説明は受けた。休みの時は、通常約三分の一の人数でやっているらしい。ただ、今回は新しいメニューを覚えるということで、いつもより多い人数が出てきているって言った。
「あ」
(これが天火……)
私はずらりと並んでいる鉄の箱を見上げる。竈が下にないので、私の記憶にあるオーブンにより近い感じだ。でも、これってどんなふうに使うんだろう?
首を傾げていると、ちょうど端の天火の前に料理人がやってきた。
前開きのフタを開けて、鉄版にあらかじめのせていた5つのグラタン皿のようなものを入れている。
その後フタを閉め、その下にある掌に入るくらいの大きさのネジを回した。
「!」
その途端、底だけではなく、左右と上からも熱が伝わるようなオレンジ色の強い光が天火を包むのが見えた。まるで、本当のオーブンレンジのようだ。
(気、気になるっ)
いったいどんな原理なのか知りたくてたまらない。でも、作業中に声を掛けるのも躊躇われて、私は少し離れたところから見ているしかない。
「あ、茹で汁捨ててる」
そんな時、隣のケインが呟いた。私が振り向くと、視線の先で大きな寸胴鍋から湯が捨てられているのが見える。
「あれ、おいしーのに」
「そうだよな」
私が煩く言ったので、今うちのスープは茹で汁もちゃんと使うし、骨が手に入ればそれでスープもとる。ちゃんと出汁を取るだけで、塩だけでも結構な旨味になるのだ。
でも、他の……っていうか、普通は野菜や肉の茹で汁は捨てて、新たに水を入れて塩などで味を調える。ここでもそうだろうというのは予想ができていて、父さんはスープの作り方を変えるだけでもかなり変わるんじゃないかって言っていた。
「もったいないな」
「うん」
別の調理台では、パンが並べられている。これは少し前からグランベルさんのところの料理人が入るようになったと言っているので、私に馴染みのある白パンだった。
(これで、食パンもあったらだいぶ違うんだけど)
食パンは、簡単なトーストだけでなく、サンドイッチやホットサンドもできて、忙しい朝や、昼の軽食なんかに便利な気がする。
「父さん」
「ん?」
「食パン、作るの?」
私が小声で尋ねると、父さんはん~っと低く唸った。
「短期間で覚えてもらえるかも不安だし、そもそも、まだレシピを登録していないからな」
そっか。美味しいものを食べてもらいたいっていう気持ちだけでは難しい問題もあるんだ。
後先考えず、思いついたものを作っていた私がおかしかったんだと、またここで反省する材料ができてしまった。
今日の朝食のメニューは、白パンに野菜とソーセージのチーズ焼き。具だくさんの塩味スープに、後は果物と飲み物。大量に作る食事は朝は一種類、昼は二種類で、夜は三種類だそうだ。朝食を見た感想は、貴族の食べ物とは趣が違うけど、朝から食べるにはまあまあのボリュームに見える。
料理ができ始めると、食堂にはポツポツと人影が現れてきた。
すると、どこにいたのか昨日給仕に来てくれた人と同じ格好の人が10人ほど現れて、訪れた人たちに対応している。
(……う~ん、ここがやっぱり無駄に見えるけど……)
一組一組に対応しているけど、今みたいな人数が少ない時はまだしも、全校生徒が揃っている時はすごく大変そう。
「おい」
そこに、デリックさんが声を掛けて来た。
「端であんたたちも食べてみてくれ」
試食ってことですね。途端にケインの目が光ったことに思わず笑ってしまったけど、私もお腹が空いてきちゃった。
「リナの分は父さんが運ぼう」
今は学生たちもいるので、わざわざ給仕の人の手を煩わすのは悪い。私たちはそれぞれ大きめのトレイに朝食を乗せて、厨房に近いテーブルに着いた。
さっき来た時は誰もいなかったホールの中に人がいる。制服を着ているからここの生徒だろうけど、彼らは料理人の格好をした私たちがどうしてここで食事をするのか、ちょっと怪訝そうな視線を向けてきていた。その中でも、私の存在は浮いているんだろうな……恥ずかしい。
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