71.お風呂は最高です。
男湯と女湯がわかるのなら話は早い。私はかなり期待しながら女湯の方のドアを開けようとした。
「リナは俺たちと一緒だ」
でも、その手を父さんが握りしめてしまう。
「私、1人でも大丈夫だよ?」
って、いうか、家族だけならまだいいけど、他の人がいるかもしれない中に入るなんて……20歳近い記憶のある私にとってはかなり恥ずかしい。
5歳児が男女の湯のどっちに入るのかは難しい問題だけど、この場に限っては私は1人で女湯に入るのを希望します!
私がきっぱり言い切ると、父さんがなぜか愕然とした表情で見下ろしてくる。そんなに私が断ったのがショックなのか……でもごめん、父さん、ここは譲れないから。
「リナ、1人でも入れるのか?」
イシュメルさんの問いに、私は力強く頷く。それを見て、イシュメルさんは苦笑しながら父さんに言った。
「本人が言うのなら大丈夫だろう。何か異常があればわかる仕組みになっているしな」
「ですが……」
「じゃあ、行くね!」
これ以上ここにいたら、最悪お風呂に入らないって言われそうな気がして、私はさっさと女湯のドアを開ける。
「リナッ」
父さんの焦ったような声が聞こえたけど、気分が高まっている私の足は止まらなかった。
「ふぁ……」
中に入ると短い廊下があり、そのまま進むと開けた場所に出た。低い棚が並んでいて、私にとっては一抱えほどある籠が整然と並んでいた。イメージでは銭湯に近いかな。まあ、ここは貴族が入るんじゃなくて、働いている人が入るんだから、これでも十分だ。
籠はどれもからっぽで、私以外入っていないのがわかる。初めてのお風呂を独り占めにできるのかとウキウキしながら、私は服を脱いだ。
あ、この世界はゴムはない。服は私はまだボタンを上手く付け外しできないから頭からすっぽり着るワンピース、下着はいわゆるカボチャパンツを腰のところで紐で縛る形だ。物心ついたばかりのころは慣れなくて、緩く縛った紐が解けることもしばしばあったけど、今はちょうどいい加減がわかっている。
(ゴムって有能なんだよねぇ。どこかにないかなぁ)
下着革命を切実に祈りながら素っ裸になった私は、大きな両開きのドアを開いた。
「!」
そこにあったのは、想像以上にちゃんとしたお風呂だった。
大理石みたいな石で作られた楕円形の浴槽は、優に10人は入れそうなほど広い。浴槽の中央に先が広がった円柱があって、そこから湯気がたっている湯が流れていた。
「お風呂だぁ……」
フラフラと浴槽に近づいてみると、深さはそれほどないみたいだ。流れているのがお湯じゃなかったら、噴水に近いかもしれない。
周りを見てみると、端に小さなタライがいくつかある。それを一つ持ち、浴槽から汲んだ湯を恐る恐る体に掛けた。
「……ふぅ……」
大げさかもしれないけど、この世界で目覚めて初めて、心からの安堵の息を吐いた気がした。
軽く汗を流し、私は浴槽に入った。壁面に背を付けたまま座ると、私の顎くらいまで湯がある。
「はぁ~……気持ちい~」
やっぱり、お風呂は最高! ここに入れただけでも、貴族院に来た甲斐があったよ。こんなに気持ちが良いお風呂、母さんも入れてあげたかったな。
(町中に、銭湯とかないのかな)
貴族以外はみんな沐浴で済ませるのが普通なんだろうけど……銭湯があったら絶対に人気が出ると思うんだけどなぁ。
私は久しぶりのお風呂を堪能する。嬉しいことに常備の石鹸があったので、一生懸命髪を洗った。少しだけ、父さんと入って髪を洗ってもらいたかったなって思ったけど、自分でもできる限り手を動かした。全部手でするしかなかったけど、十分気持ちが良い。
「い~湯だなぁ~」
こんなに気持ちが良いと鼻歌も歌いたくなるものだ。
私は誰もいない大きなお風呂を思う存分満喫した。
時計がないのでどのくらい入っていたのかはわからないけど、たぶん相当長湯をしたと思う。テンションが上がっているので湯あたりはしなかったみたいだけど、指にシワシワができていた。体もすごくあったまって赤くなっている。そのくせ、肌はつるんとしていて、まるで一皮剥けたみたいだ。
(朝風呂も入りたいなぁ)
心の底から満足した私はニマニマしながらお風呂の入り口のドアから出て、
「……え?」
廊下にしゃがみ込んでいる父さんとケインの姿を見つけた。
「どうしたの?」
私が声を掛けると同時に立ち上がった父さんが、まるで傷がないかどうかを確かめるように私の肩を持ったまま視線を動かす。
「大丈夫か?」
「い~湯だったよ!」
上機嫌な私とは反対に、父さんが深い溜め息をついた。
「なかなか出てこないから何かあったかと思ったぞ」
父さんが言うには、私が心配でろくに湯船にも入らず出て来たけど、当の私がなかなかお風呂から出てこなかったらしい。もしかして何かあったんじゃないかって思っても、ドアノブに触れただけで痺れが走って、中に入ることもできずに悶々としていたんだって。
「心配かけて、ごめんなさい」
お風呂というものに慣れている私とは違い、父さんにとってお風呂は未知の場所で、そんなところに小さな子供1人をやったことが心配でたまらなかったんだろう。そこまで心配させて申し訳ないと思うけど、これからも長湯してしまう可能性は高い。
いっそのこと、一度は一緒にお風呂に入ったら、その心配を解消できるかもしれないな。
「部屋に戻るか」
「うん」
私は父さんと手を繋いで、宛がわれた部屋へと歩いた。
部屋に入ると、既に眠気が限界になっていたらしいケインが、最初にベッドに倒れ込んだ。
「お兄ちゃん、くつ」
「う……ん」
基本土足のこの世界で、寝る前は当然靴を脱がなくちゃいけない。でも、部屋の中くらいスリッパにしたら楽なんだけどな。
「……あれ?」
半分寝ぼけながらケインが放り出した靴を揃えてやった私は、ふと顔を上げた視線の先のものに首を傾げた。
「父さん、あれ」
「ん?」
私が見つけたのは、ベッド以外に唯一あった棚の上に置かれてあった洋服だ。近づいてみていると、上下白い、よくレストランのコックさんが着ているような洋服だった。それだけじゃない、たぶん体格に合わせただろう下着も一緒に置いてある。
(さっき見た時はなかったから……私たちが来てから用意したってこと?)
実際に体格を見てから準備したとしか思えない。
グランベルさんが食事やその他の準備もしているって言ってくれてたけど、ここまでちゃんとしてくれているなんて考えもしなかった。
正直に言えば、貴族院に着ていけるような一張羅なんてたくさん持っているわけじゃないし、何日か着て洗濯することって母さんに言われていたけど……どうやらその心配もないみたい。
今だって、せっかくお風呂に入ったけど、着ていた下着とかまた穿いてるから、着替えを用意してもらえたのは本当に嬉しかった。
「……ちゃんとしてくれてるね」
「……そうだな」
明日からの仕事がどうなるかまだわからないけど、少なくとも厭われてはいないらしいと感じて、父さんの顔にも少し笑みが戻った。
あれから、寝る前に下着だけは交換して眠った。肌触りの良い生地は最高だ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、おきてっ」
翌朝、寝坊なんてしたら大変だ。私は頑張ってケインを起こし、まだ眠たそうにしているケインに着替えるように促した。
「うわっ、何だ、これっ、綺麗な服!」
ケインも用意してもらった服を見て歓喜の声を上げ、いそいそと服を着替える。ケインの服は父さんと同じ仕様だ。ケインは一応調理補助として一緒に来ていたからだろう。
で、私はと言うと。
「可愛いなっ、リナ!」
「ああ、リナは何を着ても似合うが、それはまた一段と可愛いな」
父さんもケインも上機嫌で褒めてくれるけど、これって……どう見たって料理人の服じゃないんじゃない? 白いシャツに臙脂色の膝丈のスカート。同じ臙脂色のボレロ風の上着まで用意されていて、これじゃ調理場の下働きがしにくいよ。
私は一応、調理補助見習いって立場で来ているはずなのに……。
首を傾げる私とは違い、父さんもケインも褒めちぎっていて、今さら脱ぐことはできそうになかった。
(グランベルさん、どんな説明したんだろう?)
「おはよう、おや、リナ、可愛らしい恰好じゃないか」
部屋を出ると、タイミングよくグランベルさんたちの部屋のドアも開いた。中から出てきたグランベルさんは昨日と同じような服だけど、他の3人は父さんと同じコックさんもどきの服だ。
グランベルさんは私の格好を見て目じりを下げている。
「グランベルさんが用意してくれたんですか?」
「いいや。こちらに来る者の背格好の説明はしたが、すべて貴族院の方が用意してくださったと思うぞ」
「……そうですか」
もしかしたら、私は父親の仕事場に我が儘でついてきた子供って立場かもしれない。まあ、5歳の子供に仕事ができるのかって言われたら言い返せないし……着るものを用意してもらえただけでも良しとしないといけないのかも。
(……まあ、可愛い服だし)
でも、せめてエプロンぐらいは貸してもらおう。
気持ちを切り替えていると、そこにイシュメルさんがやってきた。
「やあ、おはよう」
声を掛けられ、みんなが次々に挨拶を返していく。もちろん、私も元気よく挨拶をした。
「おはようございます!」
「ああ、可愛いな」
目元を撓めてそう言うイシュメルさんは、まるで私の本当のお爺ちゃんみたいだ。でも、驚いた様子を見せないってことは、この格好のことは知っているってことだよね。
(イシュメルさんの趣味じゃなかったらいいけど)




