68.初めての西の森です。
グランベルさんの店まで歩いていくと、そこには立派な馬車が停まっていた。
「ふぉぉぉっ」
馬車を見たのは初めてじゃないけど、これに自分が乗るのかと思うとテンションが上がっちゃう!
「やあ、よく来たね」
わざわざグランベルさん自身が出迎えてくれて、今回同行する職人たちを私とケインに紹介してくれた。
栗色の髪に緑の瞳の、この中で最年長23歳のダナム。濃い緑の髪に薄い緑の目の、ちょっと寡黙そうな19歳のフィッグ。赤毛に青い瞳の、最年少、カーク。今回はこの三人が料理人として同行するんだって。
グランベルさんは一緒に行かないのかなって顔を見上げると、私が言わんとすることが伝わったのか挨拶には行くって言った。
「初日と、中日、そして最終日に顔を出すつもりだ。今回はジャックが責任者として指示してもらうことになっている。ジャック、くれぐれも頼むよ」
えっ、父さんが責任者なんだ。単に技術協力者としての同行だって思ったけど……これって、新メニューが上手くいかなかったら父さんの責任になっちゃわないかな。
父さんの責任が重すぎて心配になり、私は父さんが着ている一張羅の上着を握りしめる。
(父さんに責任を押し付けたりしないでしょうね)
じとっとグランベルさんを見上げると、苦笑しながら肩を竦めた。
「もちろん、もしも不手際があったり、新しい料理が不評だったりした場合の責任は私にある」
「……」
口先だけじゃないよね?
本当はもっと突っ込んで聞きたいけど、何度か打ち合わせをした父さんとグランベルさんの間ではしっかり話がついているらしく、父さんは何も言わない。だったら、私が言うことは何も……ない。
「さあ、行こうか」
馬車の中はそんなに広くないけど、子供の私を含めた7人は何とか座れた。中には荷物らしいものはあまりなく、本当に身一つで行くんだということがわかる。
(貴族院は、西側の外れにあるんだったっけ)
南の森には行くことがあるが、それ以外の門から外にはまだ出たことはない。今回初めて門外に出る私とケインは、ともすれば興奮しそうになるのを抑えるのが大変だ。
私なんか、馬車の小さな窓からずっと外を見ていて、めまぐるしく変わる景色に驚き、意外に乗り心地の悪い馬車に笑いそうになるのを頑張って我慢する。
しばらくして、馬車が停まった。
「どちらに?」
「高等貴族院に。こちらが許可証です」
尋ねたのは門番かな。それに御者の人が答えて間もなく、馬車のドアが開いた。そこから見えたのは、見覚えがある衛兵隊の制服だ。
「グランベル商会、グランベル」
「はい、私です」
どうやら、許可証にある人物の確認らしい。名前しか書いていないけど、もし相手が嘘をついたら? それを判断なんてできるのかな? 個人の証明書なんか持っていないこの世界の事情がまだよくわからないので、私は疑われたりしないのかとドキドキする。
「ジャック」
「はい」
「ケイン」
「はいっ」
「……リナ?」
なぜか、私の名前だけ疑問形で呼ばれたけど、悪い印象を持たれるわけにはいかないので愛想よく笑って手を上げた。
「はいっ」
「……」
どうしてこんな子供が貴族院に行くのかって……うんそんな疑いの目をしているけど、一応私は招待された形なんで。ここは子供らしくニコニコ笑っていると、衛兵隊のおじさんも苦笑を漏らした。
「子供がいるんだ、用心して進むように」
西の門を出ると、すぐ目の前の森がある。南の森より森との距離が凄く近い。その分、森の規模も大きいみたいで、見たことのない木々が並んでいるのが窓から見えた。
「父さん」
「ん?」
「ここ、まもの、いる?」
南の森だって比較的安全って言われていたけど、私は何回か魔物と出会った。怖い思いもしたし……でも、結局守られたけど。南の森の噂は聞いたことがないけど、こんなに大きな森なら魔物がいてもおかしくない気がした。
「魔物はいる」
答えてくれたのは父さんじゃなくグランベルさんだ。それには私たち親子3人だけじゃなく、今回一緒に行く3人も驚き、大げさに肩を揺らしてしまう。怖いのも当然でしょ、この馬車には守ってくれる兵士も騎士もいないんだもん。
でも、ビクビクする私たちとは反対に、グランベルさんは余裕の笑みを湛えている。
「この滞在許可証が私たちを守ってくれる。これには魔物除けの魔術が掛けられているからな」
「まものよけ……?」
パッと見ただけでは、私たちの名前と、通行を許可するって感じの文章しか書いていないように見えるけど、これって魔術道具なんだ。
どんなものなのかすごく興味が湧いて、私は見せてほしいって頼んでみる。すると、グランベルさんはすんなり私に手渡してくれた。
「リナ、俺にも見せて」
横から覗き込むケインと一緒に許可証を見たけど、私にはただの紙にしか見えない。ただ、書いているインクがキラキラと光っているような感じがして首を傾げた。
「……お兄ちゃん、わかる?」
「ううん、普通に文字が書いてあるだけだよな?」
(ケインには……見えないのかな?)
文字がキラキラしてるって……言わないでおこう。
途中、昼休憩を挟んだ。父さんは昼御飯用としてホットドッグを作っていた。白パンの形を少し細長くして、切込みを入れたところにラウルんちのソーセージを挟み、トマトソースをかけたものだ。手軽で、お腹も膨れるからってことで用意したんだけど、これをグランベルさんたちに渡そうかどうかちょっと迷ったみたい。向こうも何か準備していたら余計なお世話だもんね。
でも、馬車から出て、それぞれ木の根元に座って取り出されたグランベルさんたちの昼ご飯は、白パンと干し肉だった。あれじゃ味気ないよ。
私は父さんを見る。頷いてくれたので、私たちの分を取り出すと、5個が入った籠をグランベルさんに差し出した。
「これ、どーぞ」
「いいのか?」
「はい。あっちのおじさんにも」
御者さんを指さすと、彼も嬉しそうに笑ってくれる。
グランベルさんはホットドッグを取り出すと、目の高さまで上げてまじまじと見つめている。そんなに見なくても、パンにソーセージを挟んだだけなんだけど。
「……この、黒い粒は何だ?」
「胡椒です。美味いですよ」
父さんが答えると、胡椒……と呟きながら一口食べた。
「……っ」
「おいしい?」
美味しいに決まってるけど、私はグランベルさんに改めて尋ねる。すると、グランベルさんは何度も小さく頷いて美味しいって言ってくれた。
「胡椒には、こんな使い方もあるのか……」
感心したように言うグランベルさんの隣で、他の料理人さんたちもあっという間にホットドッグをたいらげる。その勢いだけでも、受け入れてくれたことは十分わかった。
「……ジャック」
「はい」
「もっと隠しているレシピがあるんじゃないか?」
どこか探るようなグランベルさんの言葉に、父さんは笑ってごまかした。
それからまた、馬車は走り出した。時間はどんどん過ぎて、いつの間にか空は赤くなってきた。
こんなにも長い間馬車に乗っているということは、それだけ西の森が大きいということだ。いくら魔除けがあったとしても、森の中で一夜を過ごすのは怖いよ。
私は隣の父さんにぴったりと寄り添った。
「まだ?」
「う~ん」
窓の外は森の木々しか見えない。明かりもないので暗くなっていく一方だから、余計に底知れない怖さが襲ってきた。
(この馬車の中に、座ったままで寝るしかないのか……)
半ば私は諦めていたけど、
「あっ、明かりだ!」
ずっと外を見ていたケインが小さく叫び、馬車の中は明らかに安堵の空気が広がった。
「陽が沈み切る前に着いたようだな」
貴族院に着いたんだ。私はケインの横から外を見るけど、それらしい建物は見えない。ただ、ぼんやりとした明かりが少し先に見えて、馬車はその明かりに向かって走っているみたいだ。
その明かりが徐々に大きくなり、ようやく馬車が停まった。
「グランベル商会の者か?」
聞き慣れない声がして、御者さんが中に声を掛けてくる。それにグランベルさんが立ち上がり、馬車のドアを開けて下りて行った。
「私たち、ここにいていいの?」
下りなくていいのかなって思って父さんに聞いたけど、声が掛かるまでここで待機だと言われる。中に入るまでどのくらい時間が掛かるんだろう……父さんに凭れたまま待っていると、今度は外からドアが開かれた。
「下りてきてくれ」
グランベルさんに声を掛けられて、まずは料理人さんたち3人が、続いて父さん、ケインが下りて、私は父さんに抱っこして下ろしてもらうと、そのまま抱っこされた状態で周りを見た。
「わぁ……」
数メートル先に、見上げるほど大きな門があった。その門から左右に続く塀も、二階建ての家くらいの高さはありそうだ。ずっと森の奥まで、先が見えないくらい塀が続いているので、この貴族院の敷地がどのくらい広いのかまったく想像がつかない。
「こっちに来てくれ」
いつの間にかグランベルさんは門の前にいて、彼の前には4人の男の人が立っている。衛兵隊の制服ではないけど、揃いの服を着て、みんなすごく体格も良い。きっと、彼らがここの門番なんだろう。
「許可証に血判を押してもらうぞ」
う……いよいよだ。
「行くぞ、リナ」
「う、うん」
拇印を押すくらいだからそこまでたくさんの血は必要ないだろうけど、血ってやっぱり苦手……。免除してほしいけど無理だよね……私は父さんの服を握っている手に力を込めた。




