66.権力には弱いのです。
私たちが警戒したことがわかったのだろう、グランベルさんの笑みが苦笑に変わる。それでも、話は続けた。
「ジャックの腕は確かめてもらった。貴族院の食堂に来てもらっても良いと、おっしゃっていただいている」
「確かめた?」
父さんはわけがわからないみたいだったけど、私はあっと声を漏らしてしまう。この間、サンタさんみたいな白髭のお爺さんと一緒に来たこの人は、グランベルさんの話を聞いたうえでわざわざうちに来たんだ。
下町のパン屋に来るには身分が高そうだなって思ったけど、まさか本当に貴族とは思わなかった。
(美味しいって思ってもらうのは嬉しいけど……)
「あの、それはどういう……」
「父さん、この人、お店にきたの。白パン、買ってった」
私が説明すると、父さんはびっくりしたみたいだ。どうして言わなかったんだと思ってるかもしれないけど、私だってただのお客さんがまさかここに繋がってくるなんて思わなかったんだもん……。
「期間は、貴族院の夏休暇の間、15日ほど来ていただきたい。学生はほとんど屋敷に戻っていますが、残っている学生と教師が試食させていただきます。報酬は中金貨1枚を考えているんだがどうでしょう」
平民に対するには、すごく丁寧な言葉遣いだけど、それよりも提示された金額に驚いた。
「ちゅ、中金貨……」
そ、それって、10万円、だっけ。うわ、この世界じゃかなりの高額だよ。父さんも母さんも、頭が真っ白になっているみたい。
「もちろん、貴族院に滞在中の食費などはこちらが出します」
「え、あ、あの」
「店を閉めている間の保証は、グランベルに」
「もちろん、こちらがジャックに頼むんです。店を休むのならそれなりの補償金を用意しますし、店を開くならうちの白パンを卸すつもりです」
父さんが何も言えない間に、目の前の2人の間でどんどん話が進められて行ってる。どちらも人に命令し慣れた人たちだ、平民の私たちを従えるなんて簡単なことなんだろう。
でも、父さん、どうするつもりなんだろう。
(腕を認めてっていうけど、父さんの本職はパン屋だし……)
私はすごく料理も上手だと思うけど、それが貴族の口に合うかどうかの保証なんてない。万が一、納得できないなんて言われたら、父さんに罰が与えられることなんて……あるのかな。
今更だけど、ラムレイさんが言った、自分から貴族に近づくなっていう言葉……身に染みて感じる。
「……わかりました」
私が唸っている間に、父さんは覚悟を決めたらしい。まあ、貴族にここまで来られて断るっていう選択はできないよね。
「ジャック……」
母さんが父さんの腕を強く握っている。そんな2人を見ているうちに私も不安になったけど、
「よろしければ、お嬢さんをお連れしたらどうです」
ロドヴィックさんの言葉に、反射的に顔を向けてしまった。
「通常なら、平民が足を踏み入れることのできない場所です。お嬢さんならいろいろと楽しめるのではないですか?」
父さんに向かって言っているのに、視線は私の方を向いている気がする。でも、その申し出ってアリなの? 私は店を手伝っているけど、それはあくまで子供のお手伝いの範囲で、できることはとても少ない。仮に一緒に貴族院に行ったとしても、助手なんてとても無理だよ。
知らない場所を覗いてみたいっていう好奇心はあるけど、それはあくまでも安全が確保された場所に限る。
「いえ、娘はまだ学校にも行っていない年齢ですし、失礼があるかもしれないので」
父さんも、私を連れて行く気はないらしい。そのことにホッとするものの、少しだけ残念に思う自分もいて、人の感情って不思議だなと思うしかなかった。
私は話が気になったけど、父さんに部屋に行っていなさいと言われた。もしかしたら、私が余計なことを言うのを防ぐためだったのかもしれない。
私はしかたなく頷き、部屋に向かった。
まだ父さんたちと一緒のベッドに寝ているので、広いベッドの真ん中に陣取って寝転がる。
「あのサンタさんは……誰なんだろう?」
グランベルさんから、今日一緒に来たロドヴィック・フォン・マクファーソンと言う人は、高等貴族院の会計補佐だと聞いた。伯爵の位を持つ中位の貴族で、今回の食堂の件での責任者だって。一見して三十前後に見えたけど、もしかしたらもう少し年齢は上なのかもしれない。
ただ、グレンベルさんの口から他の人の話は出なかった。ロドヴィックさんも、あの日一緒に来たサンタさんのことを話さない。何も説明がないとかえって気になるんだけど……。
(そう言えば、エルさんたちはまだ貴族院にいるのかな……)
はっきりした年齢を知らないので想像するしかないが、学生のエルさん……凄く見たい。
(15日もいるのはちょっと怖いけど、エルさんを一目見たいなとは思うんだよね……)
でも、今そんなことを言ったら不味いというのはさすがにわかるので、私はほのかな希望だけを抱くことにする。
結局、私はいつの間にか眠ってしまい、そのまま夕飯も食べ損ねてしまった。
翌朝、あれから話し合いがどうなったのか気になっていた私は、起きてすぐに母さんに尋ねた。
「母さん、昨日、どうなったの?」
「それは父さんから聞きなさい。ほら、朝食の支度を手伝って」
「は~い」
言いたくない? ……ん~、そんな様子じゃないけど、母さんがそういうなら父さんに聞くしかないか。この時間、父さんは下の厨房で仕込みをしているはずだ。忙しい朝の時間にわざわざ聞くことでもないので、私は言われた通り母さんの手伝いをすることにした。
手伝いと言っても、料理自体は下の厨房でするので、ここでは温めなおしたり、最後の仕上げをするくらいだ。今も、私は母さんに言われ、それぞれの器にサラダを盛った。
(ここにも、キッチンがあったら便利なんだけどなぁ)
暖炉があるので温めなおすことはできても、焼き立てなどとは少し違う。お金持ちでもないので、一つの家の中にキッチンと厨房を二つも作る余裕はなかったんだろうけど、お店とプライベートは分けたいところだ。
「リナ、ケインを起こして」
「は~い」
濡れた手を拭き、私はケインの部屋に急ぐ。寝起きが良い方ではないケインは、少し早い時間から起こさないと学校に遅刻してしまうのだ。まあ、今日は先生の話し合いがあるみたいでお休みだけど。
ドアを開けて部屋の中に入ると、布団を大きく蹴った寝相の悪いケインがすぐに見える。私はその体を揺すった。
「おきてっ」
「……ん……にゃ……」
ペチペチ叩いてみても、私の力じゃあまり効かない。
(しかたない……奥の手を使うしかないか)
私はケインの耳元で言った。
「おきないと、ソーセージのかず、へらすよ」
「……!」
ケインにはこれが一番効くんだよね。
朝食の後、父さんは私とケインにわかるように説明をしてくれた。
結局、父さんは貴族院に行っている間、グランベルさんの店から白パンを卸してもらうみたい。
15日、二週間くらいなら店を休んでも良いんじゃないって思うけど、常連さんのことを考えるとそこまで長い時間休めないんだって。
その辺り、お客さんのことを第一に考える父さんらしい。
そして、父さんが貴族院に行くということも内密にするよう言われた。向こうはそれなりに父さんの身辺調査はしたらしいけど、貴族院に行くと公言すればおかしな連中が寄ってくるとも限らず、そんな連中の甘言に父さんが乗る可能性が少しでもあれば不味いからって。
「道具も材料も向こうに揃っているらしい。俺は本当に身一つでいいようだ」
「どんなもの、作るの?」
私が尋ねると、父さんは腕を組んでう~んと唸った。
「ハンバーグや、揚げ物は喜ばれると思う。貴族とはいえ、育ち盛りの子供たちが大勢いるからな」
ふむふむ。確かに、食べ盛りの子供なら揚げ物は大歓迎されるはず。
「きぞくいんって、女の子もいるの?」
「ああ、そう聞いたぞ。男子棟と女子棟は分かれているらしいが、食堂は同じみたいだ」
じゃあ、本当に学食みたいな感じなんだ。でも、そんなにもいっぱい貴族がいたら、そこでも上下関係があるんだろうな……。
例えば、カシミロみたいな気が弱い下位の貴族は、端っこで目立たないよう食べていたりして……何だか、前に読んだことがある漫画や小説みたいなこと考えちゃう。
「アンジェには迷惑を掛けるな」
「少し心配だけど、私たちのことよりあなたよ。くれぐれも、グランベルさんの指示に従ってね?」
「アンジェ……」
また父さんと母さんが2人の世界に入ろうとしている。私とケイン顔を見合わせ、コホンと咳ばらいをした。その音に我に返ったらしい父さんが、ごまかす様に笑う。
「今日、もう一度グランベルさんのところに行って、一緒に貴族院に行く職人とも話をしてくる」
「あ、父さん、俺も一緒に行っていい? 話の邪魔はしないし」
唐突なケインの言葉にびっくりして、私は思わす聞き返した。
「お兄ちゃん、グランベルさんとこいくの?」
「一度、大きなパン屋に行ってみたかったんだ。昨日、グランベルさんがいつでも来ていいって言ってくれたし」
なんと、昨日私が眠っている間にそんな話をしてたんだ。どうやら、帰宅するグランベルさんを見送った時、グランベルさんの方からケインにいつでも見学に来ていいよって言ってくれたらしい。まあ、勉強にはなるだろうけどね。
父さんは社交辞令だって言ったけど、ケインは滅多にない機会だからって引かない。
それで、仕事の邪魔はしないっていう約束をして、父さんはケインと一緒にグランベルさんの店に行ったんだけど……。
大店の主人が一筋縄ではいかない人だってことがわかったのは、その日のうちだった。
ブックマーク5000件、ありがとうございます。
お礼の番外編、貴族院の話は今夜アップします。




