06.美少年は最強です。
「ふぇっ?」
(うわっ、THE 王子様!)
扉の向こうから現れた姿に、私は思わす声を上げていた。
背後に三人の大人の男の人を引き連れて現れたのは、背格好から見て12、3歳くらいの少年だ。
あの髪の色……たぶん、プラチナブロンドっていうのかな。天井の窓越しに差し込む陽の光を浴びた髪は、見ようによっては銀色にも金色にも見える。目は青色……違う、少し暗いあの色はアイスブルーだ。
どちらの色も私がここで見る初めての色だ。
(それに、綺麗……)
さっきの声とすらりとした立ち姿で男の子だってわかるけど、顔は女の子に見えるほど綺麗だった。この年頃の男の子にそんな表現は合わないのはわかってる。でも、切れ長の目元も、すっと通った鼻筋も、形良い唇も、全部が完璧でまるで人形のようにも見えた。
着ている服も、青地に金の刺繍が施された上等なものだ。どんな手触りなんだろう……場違いに私はそんなことを考えた。
「エーベルハルド様」
私の前に立っていた神殿長が右手を左胸に当てて頭を垂れる。すると他の神官たちも同じように右手を左胸に当て、その場に片足を付いて頭を下げた。
突然現れた少年に戸惑っていた父さんと母さんは、そんな神殿長たちの様子に慌てたように膝をつく。
きっと、この場で一番偉いのがこの子なんだ。
神殿長より偉いってなると……もしかして本当に王子様? でも、王子様が庶民の洗礼式を見に来ることなんてあるの?
(視察とか……でも、それにしては若過ぎるよね)
成人を迎えていない年ごろの子供を、わざわざ視察に出すはずがない。だったら、彼は誰で、どうしてここにいるんだろう?
「その子の魔石を見せてください」
少年は神殿長の隣に立ってそんなことを言い出した。
少し変声期に入っているのか、高くない、でも、大人の声ではない絶妙な声音。その声がかえってこの少年を特別な存在に思わせる。
「お待ちください、まだどのような魔力があるのか計り知れぬゆえ」
「そうです、お戻りを」
神殿長に続くように、少年の後ろにいた護衛らしき男の人たちが口々に言い募っている。でも、少年は私たちの方を見たままきっぱりと言った。
「構いません」
「いいえ、どんな影響があるのか不明なものを、宰相の御子であるエーベルハルド様に触れさせるわけにはまいりません」
サイショウ? ……宰相か!
だったら本当に身分のある子なんだ。でも、どうしてその子が神殿に? それに、私の魔石が見たいってどういうこと?
神殿長の反応から、私の魔石が少しおかしいというのは感じてたけど、私にはその理由がわからない。
「よろしいですか?」
少年は今度は父さんに向かって言った。尋ねているけど、どう考えたってこれ、命令でしょ……。
町のパン屋の父さんが逆らえるわけがない。
「……っ」
私は無意識に納得したけど、父さんは違ったみたい。低く唸りながら、ますます強く私を強く抱きしめる。
きっと、これは父さんの愛情だ。
逆らえない権力に対して、それでも私を守ろうとしてくれているのが嬉しい。嬉しいけど、権力に逆らってしまったら、父さんがどうなってしまうのか、想像するだけで嫌だった。
「と~」
私は父さんの頬に自分の頬をくっつけた。私なりに大丈夫だと伝えたつもりだったけど、その仕草を不安からと思ったみたいで、父さんの腕の力はますます強くなった。
こんな時、ちゃんと話ができたら意思の疎通も簡単なのに……考えてもどうしようもないけど、私は内心深く溜め息をつく。
すると、
「エーベルハルド様っ!」
驚いたような声にぱっと顔を上げると、なんといつの間にか近づいていた少年が父さんの前に膝を付いていた。綺麗な服が汚れるってば!
慌てたのは私だけじゃなくて、父さんも母さんも、明らかに自分たちよりも立場が上位の少年の行動に焦っているし、それ以上に神殿長や神官たちが慌てているのが……おかしかった。
(いいよ、父さん、見せてあげたら?)
どうせ神殿長が見た後だし、もう一人見たってそんなに変わらないよ。
だいたい、私は《リナ》になってまだ間がない。1歳の洗礼式を迎えたんだから間違いなく1歳なんだけど、ちゃんと記憶として残っているのはたぶん、十日にも満たないだろう。
だから、何が正しいのか、どうしたら平穏無事に過ごせるのか、正直言ってわからない。
わからないから……もしかしたらやけくそかも知れないけど、やってみなくちゃわからないっていうのが正直な気持ちだ。
私の気持ちが伝わったのかわからないけど、しばらくして父さんが母さんを呼んだ。
「アンジェ」
「……こちらです」
母さんも覚悟をしたかのように硬い表情のまま、布に包まれている私の魔石を少年に差し出す。
すると、少年は軽く目礼した。
「感謝します。今から起こることは私と、あなた方ご家族にしかわからないようにしますので」
そう言ったかと思うと、
「防音壁」
(ガデン?)
少年の言葉の後、周りの音が何も聞こえなくなった。
「な、何が……」
父さんと母さんが、戸惑ったように周りを見回している。
「暗視煙」
おおっ! 今度は周りがうっすら暗くなった! これ何? 煙?
目の当たりにしたこれぞファンタジーというような光景に興奮した私をよそに、少年は母さんの手から魔石を取り、自分の掌に載せて小さく何か呟いた。その声は本当に小さくて、私の耳には聞き取れなかったけど、さっき神殿長が棒で触れた時のように、ぼうっと魔石が光るのがわかった。
(……違う……)
さっきは銀色の光だったのに、今度は不思議な色合い……例えるのが難しいけど、あ、まるで虹のようにいろんな色が混ざった明るくて温かな光だ。
「あぅ……?」
光に包まれた魔石を見下ろすと、黒一色だったものがいろんな色がごちゃごちゃになっていて、まさにビー玉のような色合いになっていた。
私が驚いている間にも、少年はずっとそれを見ている。
やがて、その形のいい唇から静かに言葉が流れてきた。
「光の女神アルベルティナ様、闇の神ジルヴァーノ様、火の神クレメンス様、水の女神ガレンツィア様、大地の神ランベール様、風の女神エニーレ様、そして……知の神、ディートヘルム様……か」
……なにそれ、早口言葉?
つらつらと流暢な言葉は聞き取りやすいけど、意味がわからないせいかあまり頭に残らない。それは両親も一緒なのか、二人とも呆気にとられたように少年を見ている。
少年は右手を魔石にかざす様に差し出して、また小さな声で何か言った。
「ありがとうございました」
やがて、満足したのか少年は母さんに魔石を返して立ち上がった。同時に、私たちの周りを覆っていた煙は消えて、いっせいに音も聞こえ始めた。
「エーベルハルド様っ、いかがなさいましたっ?」
神殿長が必死の形相で尋ねているが、少年は綺麗な顔に綺麗な微笑を浮かべてゆっくりと首を横に振る。
「どうやら、あなたのクヌートがおかしかったようですよ。魔力の循環を怠っていたのではないですか?」
「私のクヌートがっ? ま、まさかそんなことはっ」
蒼褪めた神殿長が見ているのは、私たち赤ん坊の魔石に触れていたあの透明な棒だ。
あれ、クヌートって言うんだ。
「では、クヌートに魔力を循環させてから、もう一度この子の魔石を調べてみたらどうですか」
「……承知いたしました」
少年に諭されるお爺ちゃん……。でも、ここでは年功序列より身分重視みたい。
神殿長が透明な棒を見る。すると、ふわっと棒が光った。
「……再度、その魔石を」
そして、そのまま父さんに向かって言う。父さんは一度少年を見た後、母さんに向かって頷いて見せた。
「……お願いします」
神殿長は難しい顔のまま魔石に棒を近づける。
「う……」
(これ……)
ぽわんと、魔石は薄い水色の光を放ち、瞬く間に消えた。
「これは……」
神殿長も、そして両親も、もちろん私も茫然とその光景を見ていた。
さっき見た銀の光とはまったく違うそれ。素直にその変化を受け入れるには、今の少年の動きが怪しすぎる。私だけじゃなく、絶対他の人たちもそう思ってるでしょ。
でも。
「……失礼した。エーベルハルド様のおっしゃった通りでした。この者の守護は水の女神、ガレンツィア様です」
えぇっ、いいの? それで?
明らかにあの少年が細工した結果のはずなのに、神殿長はじめ、神官たちはどこか安堵した表情で新たな結果を受け入れている。
彼らだけではない。父さんも母さんも、あの銀の光を見たくせに、半分泣きそうになりながら喜んでいた。
「良かった、良かったなぁ、リナ。やっぱりお前はガレンツィア様の加護を持っているんだ」
「ええ、良かったわ、リナ」
……本当に?
私は両親を見つめ、まだ近くに立っている少年に視線を向けた。
結果を捻じ曲げたこの行為が、この先私にどんな影響を及ぼすんだろう。赤ん坊の私にそれを避ける手段はない。
「……リナ」
不意に名前を呼ばれ、顔を向けた私は少年と視線が合った。
「また会いましょう」
「……ぅ……」
(会いたく、ないんだけど……)
この世界で新たに生を受けた私が望むもの。それは地位でも名誉でも、容姿でもない。
ただただ、健康。そして平凡な毎日、それに尽きる。そんな私の望みを叶えるには、目の前の少年は絶対に関わってはいけない人物だ。
少年は言いたいことだけ言うと、来た時と同じように唐突に祭壇奥の扉の向こうへと戻っていく。自然にその場にいた者たちが溜め息をついたのがわかった。
「では、あちらに」
「はい」
神官に誘導され、私たちはその他大勢の親子が案内された部屋へと足を向ける。
(……疲れた)
初めての外出だったのに、私にとっては気がついた時からの日々と比べても濃密な時間だった。
(結局、私はどの神様の加護を持ってるんだろう……?)
銀色の光の後、あの少年が見せてくれた不思議な色合いの光。その後に改めて光った水色の光も含めて、当事者であるはずの私は終始わけがわからないままだった。