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64.立場が弱いのが悩みどころです。

 平民は7歳から12歳まで学校に行くが、午前中だけだ。その上にも3年間行ける学校がある。

 午前中だけなのは、平民にとっては知識よりも生きるため働く方が大切だからだろう。でも、私は今から学校に行くのが楽しみだ。この世界のことが少しでもわかる機会だし、なによりたくさんの友達が欲しい。


 貴族にも当然学校がある。

 ただ、平民とは違って8歳から3年間中等貴族院に入学して、11歳になると、高等貴族院に進学し、そこから5年間学ぶらしい。

 中等貴族院はベルトナールの北側にあり、週末には各家に帰宅することもできるが、自立を目指す高等貴族院は、首都ベルトナールの西側の外れにあり、長期の休み以外は院から出ることはできないようだ。

 周りは深い森におおわれ、王専属の魔法師が作った結界の中にあるので、何人も脱走することも、反対に侵入することもできない隔絶された場所……らしい。




「半年前から、高等貴族院の食堂にうちの職人が行っている」

 グランベルさんの話によると、貴族院の上位の貴族はそれぞれ家から専属の料理人を連れてきている者が多いらしい。でも、中位や下位の貴族は料理人まで雇う余裕があるものは少なくて、そのために貴族院側が営む食堂があるんだって。もちろん、下町の食堂とは比べ物にならないレベルみたいだけど。

 で、王家の人間も通う貴族院の教師や職員は貴族会議で決まるらしいんだけど、そこでグランベルさんのお店が名指しで指名を受けたらしい。

「貴族街に先んじて白パンを売り出したうちなら、美味いものを作るのも当然だろうと言われてな」

 貴族とはいえ、そこは育ち盛りの年代が生活する場所だ、食事は重要なものだという認識も強いみたい。

 この世界に生まれて、私がパンの不味さに驚いたのとは違い、もともとこの世界に生きている人たちはあのパンが当たり前だった。それでも、貴族は多少柔らかいパンを食べていたらしいんだけど……酵母を使って作ったパンは貴族の中でもかなり大きな話題になったんだって。

「きぞくのパン、おいしくなかったの?」

「私たちが口にするものよりは上等だと思うが……」

 上等……ってことは、材料は良くても美味しくないってことか。

 ま、酵母っていうもの自体がこの世界になかったんだから、食革命って言ってもいいかも……ちょっと言い過ぎかな。ただ、格段に美味しくなった白パンの存在はそう言えるだけの価値があったようだ。

「白パンの作り方は既に登録しているし、金さえ払えばギルドから買うこともできる。貴族に雇われている職人だ、ある程度のものは出来たらしい」

 それでも、グランベルさんのお店で売っているほどのものは作れなかったって言われて、私は思わず笑ってしまった。当然だよ、グランベルさんのお店の人たちには、父さんの指導が直接入ってるんだもん。その父さんには、私が知ってる知識を伝えているし。

 でも、貴族院の食堂よりグランベルさんのお店が美味しいってことが、どうして父さんのスカウトに繋がるんだろう?


「食堂でうちの料理人が作る白パンは好評を得ているんだが、そこで新たな声が上がってきたらしい。これほどのパンを作れるのなら、料理もそれなりのものが作れるのではないかと」

 うわ……凄い無茶ぶり。

 パン作りと料理って、食べ物っていう括りなら同じだけど。でも、パン職人が貴族も満足する料理を作るのは難しいんじゃないかなぁ。

 ……ん? で、父さんはどうして?

「ジャックは、初めに白パンを作った人間だ」

「いや、グランベルさん、俺は……」

「それに他にもいろいろとレシピを考えだしているだろう?」

 その時、グランベルさんの視線がチラッと私に向けられたような気がしたけど……気のせいだと思いたい。

「そんなジャックなら、物珍しく美味いものを作れるのではないかと思っている」

 父さんの評価が高いのは嬉しいけど、でも、相手は貴族だよね? 万が一美味しくないって思われたら、それこそ怖いことになるんじゃ……。

「ジャック……」

 母さんも同じようなことを考えたのか、心配そうに父さんを見ている。父さんは母さんを見、私を見て、少し困ったように唸った。

(……父さんは、どう思ってるんだろう……)

 私の知っている料理は、この世界では珍しいと思われるものも多い。知ってはいても作れない私はそれを父さんに伝えて、父さんは出来るだけ私の記憶の中にあるものに近づけて作ってくれる。

 材料も調味料も、同じものも違うものもあって、それをうまくとり合わせて作ってくれる父さんの料理は美味しいけど、実際に料理人と比べてどれほど上手かなんて私にはわからない。


「ジャック、どうだろうか?」

 グランベルさんは期待に満ちた目で父さんを見る。

「……新しいものを作ると言うのは興味がありますが……」

 さっきは結構乗り気に見えたけど、私たちに説明してくれるグランベルさんの話をもう一度聞いて冷静になったのかな。でも、相手が貴族だもん。万が一失敗とかしたら……うん、嫌な予感しかない。

「貴族が相手じゃ……」

「そこが問題か」

「はぁ」

 グランベルさんは腕を組む。考え込んでるけど、貴族に対する畏怖はどうしようもない気がするんだけど。

(グランベルさんは、お店で貴族相手の商売もしてるだろうけど……)

 下町の私たちが貴族相手なんて……あ。

(そう言えばいたっけ)

 カシミロは、あんなふうに控えめだけど貴族だし、あ、そのご主人さまも。

(エルさんとシュルさんも、だよね)

 あれ? そう考えたら、結構父さんの作った物、食べてもらってる気がする。今まで食べてきた人たちは、みんな美味しいって言ってくれてたよね? 父さんの作るものは、貴族の口にも合うってことなのかもしれない。

「もう少し考えてくれないか? 既存の料理なら、うちの職人は到底貴族院の職人には敵わない。そう言って受け入れてもらえばいいが、相手は貴族だからな」

 グランベルさんの溜め息につられるように、父さんも深い溜め息をついた。

 グランベルさんの話は思いがけないことだったけど、考える時間はあまりないみたいだった。私が寝る前も父さんと母さんは話していたみたいだけど……どうするんだろう。






「そりゃ、難しい話だな」

 翌日、私は市場のラムレイさんのもとを訪れた。

 今日は来る予定じゃなかったけど、昨日のグランベルさんの話が気になって、ラムレイさんにいろいろ尋ねてみようと思ったからだ。彼も貴族院に通ったことがあるからね。

「むずかしい?」

「相手が貴族だ。その、グランベルの店は必ず食事の改善をしなけりゃならんだろう」

 今日は差し入れに白パンとランゴのジャムを持ってきた。バクバクと気持ちよく食べているラムレイさんに、私はどうしてと聞いてみた。

「グランベルさん、パン屋さんなのに?」

「向こうはそんなこと関係ないからな」

 ……やっぱり、貴族って怖い。私は逃げることができないグランベルさんを気の毒に思ったけど、意味深にこっちを見るラムレイさんの視線に嫌な予感がした。

「お前の父親も似たような立場だぞ」

「え?」

「グランベルは逃れられない。それなら、どんな手を使っても言われたことを達成しなけりゃならんだろう? そうするには何が一番確実か……わかるか?」

「……腕のいい人を、さがす?」

「俺が知っている腕の良い料理人はお前の父親だ」

「……父さんは、パン屋さんですけど」

「だから、パン屋も料理人も、向こうにしたら同じものなんだよ。リナ、お前は貴族を知っているか? あいつらにとって平民は替えの利くコマだ。そして、グランベルにとっても、お前の父親は……」

 え……グランベルさんにとって、父さんは替えの利くコマって言いたいわけ? そんなのありえないって言い返したいのに、私の喉は妙に乾いていた。王都の大店の店主と、下町の小さなパン屋じゃ、立場があまりにも違い過ぎることはわかってる。

 グランベルさんは白パンのことで、今は父さんに価値を見出しているけど……それがいつまでも続くとは限らないかもしれない。

「……どうしたらいいですか?」

「……料理人ではなく、指南役として行くのはどうだ?」


「しなん、やく?」

「パン職人が料理人に、料理の腕で勝てるとは思えない。だが、お前の父親は豊かな発想力を持っているだろう? その知識を料理人に与えることも、立派な貢献になると思うが」

 料理人の腕ではなくて、アイデアを伝えるってことか。

 ラムレイさんに時折差し入れるクッキーやパン料理。それらはまだ他では作られていないものばかりだ。その想像力を上手く使えってことだと思うけど……昨日のグランベルさんの話って、相談で終わらないのは確かなのかな。

(貴族院かぁ)

 いったい、どういう所なんだろう? 実のところを言えば、興味はすごくあるんだよね。もしも父さんが貴族院に行ったら、私も少し見学できたりするかな。

 エルさんにも会えたりして……あ~、そんな暢気なことを考えている場合じゃないよ。

「おい」

「いたっ」

 軽く額を小突かれて、私は思わず額を押さえた。地味に痛いよ。

「変なことを考えるなよ」

「え?」

「自分から貴族に近づかないことだ」

 何か嫌なことを思い出しているのか、ラムレイさんの眉間に皺が寄っている。そうだ、ラムレイさんのお父さんって……。

「ごめんなさい……」

 私がしょんぼり肩を落とすと、今度はグシャグシャに頭を撫でられる。でも、意外にその手は優しくて、私はもう一度小さくごめんなさいと謝った。

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