63.スカウトされました。
少しお休みいただきましたが、今日からまたよろしくお願いします。
翌日の夕方、お客さんがきた。
「こんにちは」
にこやかに笑いながら店に入ってきたのは、北の広場前に店を持つグランベルさんだ。
「いらっしゃいませ」
母さんはすぐに頭を下げ、グランベルさんも愛想よく声を掛けていた。
白パンのレシピを公開して以降、王都ベルトナールのパン屋さんの中で徐々に白パンは広がっていった。今はうちの店が当初設定した値段の、三分の二ほどの金額になっている。下町の人たちに少しでも安く白パンが広がるのは嬉しいことで、もっと売る店が増えればいいなと思っているくらいだ。
その中でも、うちで父さんからしっかりと指導を受けたグランベルさんの店は、今では王都一の売り上げを誇っているらしい。うちは……まあ、下町のパン屋にしては、結構有名じゃないかな。高いレシピを買わないとわからないはずの白パンを売ってるし。(高いレシピ代?)
白パンを考えたのがうちだって、実はあまり知られていない。父さんも、宣伝するつもりはないって。そのことで、私の存在が万が一にでも外に知られたら心配だからって言ってくれている。
私としても、変な目で見られてしまうのは十分想像できるし……もともと、自分が美味しいパンを食べたいからと日本での記憶をもとに作ったので、すごく儲けようっていうのは思っていない。もちろん、父さんの美味しいパンがたくさん売れてほしいけど。
「こんにちは」
「リナ、今日も可愛いね」
女性は褒めるものだと思っているらしいグランベルさんは、私みたいな子供にも挨拶のように言ってくる。さすがにもう慣れてるので、内心はいはいと言いながら笑った。
「グランベルさん、父さんによーじ?」
「ああ。忙しいかな?」
「だいじょーぶ」
今日の分のパンはさっき焼き終えて、今は厨房の片づけをしている。
私は少し待ってほしいと言って厨房に駆けこんだ。
「父さん、グランベルさんきたよ!」
「グランベルさん?」
父さんは顔を上げてグランベルさんの姿を確認すると、すぐに厨房から出てきてくれた。
「こんにちは、グランベルさん」
「忙しいだろうが……少し時間いいだろうか?」
込み入った話? 私も気づいたグランベルさんのちょっと困ったような表情に、父さんはどうぞと店から二階に続くドアを開ける。
その後ろ姿をぽけっと見送っていると、母さんも急いで後に続いた。
「すぐに戻ってくるから、少しの間店番お願いね」
「うん」
お茶の用意をする間くらいなら、私も1人で店番くらいできる。売ってるパンもまだ3種類だから、お金の計算も楽だしね。
でも、そろそろ新しいパンを売り出してもいいんじゃないかな。
肉屋の店主でラウルのお父さんであるニーノおじさんに教えた揚げ物は、今やこの辺りの屋台や食事処の定番だ。油が高いので値段設定も少し高めだけど、コロッケにチキンカツなど、この世界でもすごい人気の総菜になった。
その揚げ物を使ったり、ハンバーガーとか、ソーセージを使ったホットドックとか、実はまだ商品になっていないんだよね。うちとラウルんちが家族で楽しむ食べ物って感じ。
ニーノおじさんは、早く商品にしろって言ってる。作り方を教えてくれたんだから、恩返しに安く卸すから儲かるはずだって。
味を褒められるのは嬉しいけど、父さんはどこまでしたらいいのか結構悩んでいるみたい。
それもこれも、私の存在がネックなんだよね……はぁ。
しばらくして母さんだけが店に戻ってきた。
そのまま残りのパンを売って、外が赤く染まり始めたら閉店だ。今日も全部売り切れた。と、いうか、やっぱり商品が足りないよ……。
店の中を箒で掃きながらそんなことを考えていた私は、ふと視線を上に向ける。
(そう言えば、まだ話終わってないのかな……)
「お話、長いね」
すると、母さんも気になったのか視線が上を向く。
「悪い話じゃなかったらいいけど……」
ん~、どうだろう? 店に来た時のグランベルさんの顔は、どちらかというと困っているように見えたけど……。
大店の店主が、下町の小さなパン屋に相談て……もしかして、新しいメニューのことだったりして。
(父さん、食パンのレシピ、話しちゃったりしないよね)
食パンは、そろそろ売り出してもいいかもしれないとは言っていたけど……どうなんだろう。
私は《佳奈》としての知識があるだけにどんどん提案してしまうけど、実際にそれがこの世界でどういう扱いになるかなんて考えることはできない。
ん~と考えている間に掃除は終わったけど、まだ父さんとグランベルさんは下りてこなかった。
「夕飯、食べていくかしら」
母さんも、どうしようかって迷ってる。夕食が1人分増えるのは大丈夫だろうけど、それが富豪のグランベルさんの口に合うかどうかはわからないからだ。
今日のメニューは野菜たっぷりのポトフに、チーズオムレツ、そして白パン。
ラムレイさんのおかげで胡椒も見つかったので、今のうちのスープは結構美味しいと思う。
「グランベルさんにも、食べてもらおう」
「そうね」
夕飯の支度をしている間にケインも帰ってきた。今日は南の森に薪を拾いに行っていたのだ。
「ただいま! 美味そうな匂いだな」
にっこり笑うケインは、先に薪は店の裏に置いてきたらしい。
「お兄ちゃん、あれ、もって」
私はスープが入った鍋を指さす。ケインはすぐにそれを持って二階に上がっていった。
私は白パンの入った籠を持って、ゆっくりと階段を上がっていく。もうヨチヨチっていう歩き方ではないけど、階段は用心して上がらないと危ないからね。
「あ、リナ、俺が持っていくよ」
でも、途中まで上がらないうちに、鍋を置いてきたケインがやってきて籠を持ってくれた。相変わらず妹愛が爆発しているケインはいつだって優しくて、私も満面の笑顔で礼を言った。
「ありがと!」
二階に上がると、リビングの椅子から立ち上がる父さんとグランベルさんの姿が見えた。やっと話が終わったんだろうか。
「夕飯時に悪いね」
……違った。食事を邪魔したら悪いって思ったみたい。
「あのね、ご飯、食べてって」
「ご馳走してくれるのか?」
「うん」
「それは……申し訳ない」
断るのも悪いと思ったのか、グランベルさんは再び椅子に座ってくれた。父さんはそのまま一階へと下りていく。多分、母さんの手伝いをしてくれるんだろう。
その間、私はテーブルの上に置かれた籠から白パンを配り、ケインが器にポトフを注いでいく。一番最初にお客さまであるグランベルさんの前にポトフを置いた。あ、ケイン、自分の器にソーセージ3本も入れてる……。目が合った途端慌てるとか、欲張らなかったらいいのに。
私とケインが密やかな攻防をしている間、グランベルさんは穏やかに笑ってる。質素な食事だと顔に出さないあたり、すごくできた人だな。
でも、母さんがチーズオムレツを持ってきた時、少し表情が変わったような気がした。美味しそうなチーズの匂いに、トマトソースの色が映えている、私お気に入りの料理。グランベルさんも気に入ってくれたらいいんだけど。
給仕が終わると、短く祈りを捧げて食事が始まる。この世界は魔法と神様が当たり前に存在する世界だから、こんなふうな祈りも結構普通みたい。
前の記憶があるから、私はつい「いただきます」って言いそうになるけどね。
「……」
(うん、美味しい)
今日のポトフは野菜の旨味と、ベーコンの脂と塩気がちゃんと効いてる。胡椒もいい。ラムレイさんがいろいろ調味料のことを教えてくれたから、今の我が家は結構調味料が揃ってるんだよね。
この世界の料理は、基本塩味。そこに、バターとか、ミルクとか、ハチミツ、ハーブ類。少し高いけど、砂糖もあるけど、辛味とか酸味はほぼ使われない。そのせいで、胡椒だってハーブ類を売っている店の片隅にあったもん。
その後、唐辛子に似たのも見つけたし、山椒の実っぽいのもあった。
そこに、私としては醤油とか味噌とか、酢、みりん。鰹節とか煮干しを見つけたら、日本食っぽいのも作れるんだけど、未だ見つけることはできていない。ラムレイさんに説明しても、イマイチわかっていないっぽい。ちゃんと話せるようになっても、基本の知識が違うと通じないことはいっぱいあるみたい。
「……美味いな」
ぼんやりと考えていると、隣に座っているグランベルさんがぽつりと呟くのが聞こえた。
グランベルさんくらいなら美味しいものをいっぱい食べているはずだけど……。私、他の家で食事をすることないから、どんなものを食べているのかよくわからない。
「そうですか」
父さんは褒められて嬉しそうに笑っている。母さんも笑っているし、ケインは……あ~、ソーセージ、先に全部食べちゃってる……。
「……ジャック、やっぱりさっきの話、受けてもらいたい」
さっきの話?
何のことだろうと、私と母さんが父さんの顔を見る。父さんは困ったように、でも、どこかワクワクしたように目を輝かせていた。新しいことに挑戦する時の父さんって、こんな顔してるよね。
「アンジェ、ケイン、リナ。父さん、グランベルさんに誘われているんだ」
「誘われているって……何に?」
母さんは少し心配そうに聞き返す。父さんの言葉を継ぐように、グランベルさんが口を開いた。
「貴族院の食堂に指導をしに行ってもらいたい」
「「貴族院?」」
まったく考えもしなかったことに、私と母さんは声を上げた。うち、下町の、平民だよ? 私自身は身分差にまだ慣れていないとこがあるけど、平民からしたら貴族って雲の上の存在じゃないの?
……っていうか、貴族院に食堂ってあるんだ。
今日は夜にもう一回更新します。
休みの間に190万PVを過ぎていたので、今週末番外編を更新するかもしれません。




