62.常連さんも元気です。
大サービスで20枚くらい持ってきたクッキーは、あっという間にラムレイさんの胃の中に納まってしまった。普段はあんまり食に興味がなさそうなのに……まあ、残さず食べてくれるのは嬉しいけど。
「ししょー、今日はなにしますか?」
「そうだな……」
ラムレイさんの店には、基本お客さんは来ない。もともと油は高価なもので、日常買いするお客さんはいないからだ。
いったいどうやって生活しているんだろうって、最初は不思議でたまらなかった。心配性な父さんは、まさか悪いことをしているんじゃないかって、何度かこっそり見張りに来てたみたい。
でも、その謎はしばらくして呆気なく解けた。それは、エイダンさんが教えてくれたからだ。
「あいつは元貴族だ」
……びっくりした。貴族に元がつくことも、市場の中で店を開いていることも、私は不思議でたまらなかった。そんな気持ちのまま、ラムレイさんに突撃したのは……今となってはデリカシーがなかったと思う。
でも、ラムレイさんは、
「きじょくなの?」
そう言った私に、あっさり答えてくれた。
「俺は、貴族の妾腹の子だ」
妾腹……当時3歳だった子供に言ったって意味がわからないと思うよ、私はわかったけど。
そういう話は普通伏せることだと思うけど、ラムレイさんは隠すことなく教えてくれた。
それによると、ラムレイさんの父親が貴族で、今でも援助があるらしい。
もっと驚くことに、妾腹でも優秀だったラムレイさんは貴族院に通わせてもらい、卒業後は魔導士団に入ったらしいんだけど……どうしてか、今は下町の市場で油屋をしている。
どうしてそうなったのか興味がないわけじゃないけど……妾腹だってことで嫌な思いをしていたケインの友達、ヴィンセント姉弟のことを考えてしまうと、さすがに踏み込んで尋ねることはできなかった。
そもそも、私はラムレイさんが平民でも貴族でも、どちらでも構わないし。私の知らないことを教えてくれる、ちょっと偏屈な師匠が、機嫌よく生活してくれていればいい。
「まずは、お前の知識が知りたい」
「私のちしき?」
私の知識なんか、ラムレイさんに比べたらすごく貧弱だと思うんだけど。
「油のことや、粉のこと、いろいろ知っているだろ」
うわ……すごくおざなりな態度だけど、かなり踏み込んだ質問だよ。でも、父さんが一緒の時は聞いてこなかったからまだ自重してくれていたのか、それとも私と一対一で話せるまで待ってたのか。
(……困ったな……)
この2年間で、私はラムレイさんのことをずいぶん信用するようになった。だから、2年前なら絶対話すはずがないことも、今の状況では悩むほど考えてしまう。
普通に考えたら、生まれ変わりなんて笑っちゃうよね。しかも、全然別の世界で生きていたなんて言ったって……信じられるはずがないと思う。
私は椅子に座っているラムレイさんを見た。今までいろいろ教えてもらったのだ、私の方がそれは駄目っていうのは……うん、嫌だ。
「……ししょー」
「俺が知りたいのは、他にどんな種類があるのかってことだ。知識そのものに興味があるだけで、その出所には興味ない」
……人が好過ぎるよ、師匠。最初に逃げ道を教えてくれるなんて。
「……うん」
もしかしたら、話しているうちに私の知識の元を知りたいって言い出すかもしれないけど、その時はその時。私もずいぶん図太くなったな。
私はそのまま説明をしなくちゃいけないかもって思ったけど、この後珍しくラムレイさんが出向くところがあるらしくって、わざわざ店まで送り届けてくれた。
父さんのように抱っこでもなく、ケインのように手を繋いでくれるわけでもなく、ただ私の前を歩いているだけだけど、その歩みが私に合わせてくれているのがわかる。意外に気遣い屋さんなんだよね、師匠は。
「ありがとーございました」
店の前で礼を言うと、ラムレイさんは軽く手を上げて立ち去っていく。
その姿をしばらく見送った私は店の中に入ろうとしたけど、
「こ、こんにちは」
不意に声を掛けられて反対側を振り返った。
「あ、カシミロさま」
少し小走りにやってきたのは、3年近く前から常連のカシミロだ。
最初は彼の主と共に現れて、その後は主のパシリ……お使いでよくお店に来ていたカシミロも、1年前に高等貴族院を卒業して、今は城で働いているらしい。
忙しいはずなのに、彼は毎週末店に白パンを買いに来てくれる。うちのパンが美味しいからって言って、貴族のカシミロが、わざわざ自分で買いに来るんだよ?
きっと、あの我が儘な主のためだろうな……。この2年本人はうちに来なかったけど、元気にしているんだろうか?
「こんにちは」
貴族相手だと緊張して恐縮する私たち家族も、カシミロの貴族らしからぬ控えめな性格や、学生時代から知っているということで、割合親しく接しさせていただいてる。
「今日も白パンですか?」
「ええ」
「ちょうどよかったです。私、クッキー作りました」
「クッキー」
そう言うと、カシミロの頬が少し緩んだのが見えた。
カシミロは甘いものが結構好きらしく、私が時々手作りジャムやクッキーをサービスで渡すと、すごく恐縮しながらも嬉しそうに受け取ってくれる。特に、クッキーは好みのど真ん中だったらしくて、手渡すと喜び方が違うのだ。
「どうぞ」
私はドアを開けて押さえた。
「父さん、カシミロさまだよ!」
カシミロは来る曜日、時間がほぼ決まっているので、いつも売り切れてもいいように取り置きしている。
今日も朝「今日も来るだろうな」って言ってたから、きっと取っておいてくれているはずだ。
「いらっしゃい」
父さんは板にのせてパンを持ってきて、カシミロが「これに」と言いながら籠を渡す。
この籠は、常連さん用のエコバッグのようなものだ。この世界には紙袋もビニール袋もないので、持ち帰る時は個人個人が入れ物を持ってこなくちゃいけない。近所の人たちはそれこそ手で持って帰る人もいれば、鍋を持ってきたり、木の板に載せる人もいるけど、最近は周りの人たちもこの籠の存在を知って利用し始める人も出始めた。
籠は竹に似た植物の皮で作っていて、ちゃんと蓋もついている。これはマーサおばさんのところのヘンリク兄さんのお嫁さんに、内職で作ってもらった。第二子を妊娠中であまり立ち仕事ができないって言っていたのを母さんから聞いて、頼んでみてもらったのだ。
籠は1つ大銅貨5枚、約500円とちょっと高めだけど、何回も使えるし、他の買い物の時にも使えるということで、なんとこの1年間で50個も売れた。
その中の1人がカシミロで、毎回うちに来る時にはこの籠を持ってくる。成人した男の人が籠を持って歩くのはちょっと面白いけど。
「5個でいいんですよね」
「はい。いつもありがとうございます」
相変わらず、カシミロは腰が低い。普通なら貴族だってふんぞり返ってもおかしくないのに、丁寧語だし、ちゃんとお礼は言ってくれるし。
父さんと入れ替わりに厨房に入り、取っておいたクッキーを棚に入れてある小さめに切った布で包んだ。
(こういうのを入れるのもあったらなぁ)
最近、かなり上手になったと思うクッキー。これも店で売ったらどうかって父さんには言ってる。ただ、小分けにした時に入れる入れ物がないんだよね。籠に直接入れるのもちょっと考え物だし、かといって瓶に入れるとコストが高くなってしまうし。
ラムレイさんと考えてみようかな。
「お待たせしました!」
私は小走りに店に戻って、カシミロに布に包んだクッキーを渡した。
「今日のはおいしーです」
「いつも、美味しいよ」
カシミロは腰を屈めて私に言ってくれるけど、初期のころは焼き加減とか生地の硬さとか……結構問題なものも多かった。それを、試作品だからって言って渡したらいつも美味しそうに食べてくれるカシミロは、私の中ではポイントが高い。
今日も控えめに笑ってくれるカシミロに、私はさっき考えていたことを尋ねてみた。
「カシミロさま、まだあのご主人さまにつかえてるんですか?」
「……あの方は、まだ貴族院にいらっしゃるから」
うん、それは知ってる。
「……ま、まあ、大丈夫だから」
全然答えになっていないんだけど。でも、これ以上尋ねたら泣かれてしまいそうな予感がしたので、私も笑ってそうですかと言った。
「またきてください」
「クッキー、ありがとう。また来ます」
カシミロは軽く頭を下げて店から出て行った。
「カシミロさま、だいじょーぶかな」
「まあ、俺たちにはどうしようもないからな」
確かにそうだけど……良い人が不遇な生活をしていたら助けてあげたいって思うものじゃない? 私にできることなんて限られてるけど……。
(……エルさんが主だったら……あれ?)
理路整然として、冷静沈着な理性の人のエルさんだったらと考えてみたけど、今度は完璧な要求をされてカシミロの胃が大変なことになってしまうような予感がする。
そう考えると、カシミロの主が単純そうな彼で良かったのかもしれない。まあ、まだ主かどうかは私にはわからないし。
エルさんのことを考えて、私は彼とシュルさんのことを考えた。
カシミロの主のあの少年にもここ2年会ってないけど、考えたらエルさんにも会っていないのだ。
(シュルさんは、季節に一度は会いに来てくれるのに……)
どうして会いに来てくれないんだろうとシュルさんに尋ねた時、
「君の魔力の揺らぎがないからね」
そう、言われた。何事かがなければ、あまり表に出たくないって……ちょっと、寂しいけど。でも、彼から貰ったあのビー玉……魔石かな、あれは今も私のエプロンの中にある。しっかりお守りと化したあれがあれば、また必ずエルさんとは会えると信じてる。




