61.5歳になりました。
「リナ、次の白パン焼けてる?」
「焼けてる! 今持ってくね!」
母さんの言葉に、私は父さんが白パンを入れてくれた籠を持つ。柔らかい白パンだから重ねることはできないけど、私一人で10個も持てるようになったんだ。
「はいっ、白パンです!」
私が店に出ると、そこには既に数人のお客さんが待っていた。皆焼き立ての白パンを見て、嬉しそうに顔を綻ばせている。
父さんはよく、お客さんの美味しそうな顔を見るのが嬉しいって言ってるけど、私も同じ気持ちだから思わず顔も笑ってしまう。すると、お客さんも笑ってくれて……これはもう、笑顔の相乗効果だね。
「リナ、お手伝いできて偉いわねぇ」
「あら、リナは小さいころからお店を手伝っていたじゃない。ジャックの店の看板娘だものね」
お客さんは常連のおばさんばかりで、私にとても優しい。
褒められて照れてしまい、思わずへへっと笑ってしまうと、さらに可愛いって言われちゃった。
「じゃあ、私は白パン3つちょうだい」
「私は2つね」
「私は4つ」
おしゃべりの間も、白パンは確実に売れていく。焼いたばっかりだというのに、もう補充が必要みたい。
うちの主力商品だから、父さんには頑張ってもらわないと!
私はすぐに次を焼いてもらうため、お客さんに頭を下げてからまた厨房に向かった。
この春、私は5歳になった。
この世界は、誕生日って意外に大事にされていない。春生まれ、夏生まれって言うみたいに、1歳の洗礼式を受ける季節で自分の歳を言うことが多い。
でも、うちの父さんは家族愛が強い人だから、私はちゃんと自分の誕生日を知っている。
3歳から5歳って、たった2年間だけど、すっごく大きく変化してるのよね。
まずは言葉。もう、これは劇的に変わった。さしすせそ、もちゃんと言えるようになった。ま、まあ、たまには言い間違ったりすることもあるけど、自分の気持ちを相手にちゃんと伝える術ができたのって本当にすごいんだよ。
次は、髪! ふふ、髪の毛も伸びたんだ~。《佳奈》は病気の関係で、髪を長くすることは諦めていた。でも、今の私は髪を短くするのも、長くするのも自分の意志で好きにできる。
長い髪に憧れていたからそのまま伸ばして、2年間で背中にかかるくらいにまで伸びた。その髪を2つに分けて、母さんに三つ編みにしてもらってる。あ、三つ編みは私が母さんにしてみせてから、私にしてもらったんだけど……私よりはるかに上手で、ちょっと落ち込んじゃった。
身長もだいぶ伸びたんだけど、同じだけ歳をとったケインの成長が凄すぎて……。
もう、本当に、男の子の成長期ってすごいんだよ。ケインは私より6歳年上だから11歳。日本だったら小学校5年生だから140~150センチくらいが平均だと思うけど、ケインはもう160センチをゆうに超えている。
父さんが2メートルくらいあるから、父さん似のケインも大きくなるとは思っていたけど……私、100センチくらいだから、60センチ違うとすごい差なんだ。
この世界の人たちは、男女とも大柄な人が多いから私もそうだろうなって単純に考えてたけど、頑張って成長した今でも父さんの腰くらいしかなく、ケインなんか昔よりも易々私を抱き上げることができるようになった。
学校が終わった後、毎日お店を手伝って体力も腕力もついたみたい。
……私も毎日お手伝いしているのに……。
この2年間、パン作りは現状維持になってる。
ピザを作った時、そのピザ作りとトマトソースのレシピはちゃんと登録したけど、食パンはまだ満足できる出来じゃないからっていったん保留になった。
そのあと、私としては満足できる味にまでなったんだけど、父さんはこれを売るのはもう少し後にするって言った。
グランベルさんの店とうちだけで売っていた白パンも、レシピが少しずつ広がってベルトナールではいくつか他の店でも売られるようになった。
今のところ、うちの店のパンが一番美味しいって思ってる。でも、商売的にはグランベルさんの方が有名で、他の領地からも問い合わせが来てるって聞いた。
マヨネーズやトマトソースも、新しいソースや調味料として一般的になってる。それらを使った新しい料理も幾つか出ていて、ピザも何種類か売り出されていた。そのおかげで、粉屋さんの薄力粉も売れているって。
エイダンさんはわざわざうちに来てお礼を言ってくれた。父さんも安心したみたいで、他にもいろんな料理が早くできればって言ってるけど……新しいものって、案外難しいみたい。
それから、大きい出来事がまた一つ。
「行ってきます!」
「気をつけてね」
「は~い!」
今日から私は、1人で市場に行く許可をもらった。5歳で1人で買い物は危ないんじゃないかって、日本なら言われるかもしれないけど、この世界では幼い時から親の手伝いをすることは普通だし、町中だったら子供だけでいろんなところにも行ける。
でも、うちは父さんが心配して、なかなかその許可が下りなかった。特に、買い物に行く市場は人が多いし、危ない目に遭ったりすることがあるかもしれないからって言うのが理由だ。
父さんの心配は痛いほどわかったので、私は何度も父さんや母さんと一緒に市場に買い物に行って、顔見知りの店を増やした。両親が一緒じゃなくても、周りの目があることで守ってもらえるようにと思って。
それに、市場の中には私を守ってくれる頼りになる存在がいる。その存在のおかげで、市場に限り、そしてお客の少ない午後からって条件付きで、私は1人での買い物を勝ち取った。
「お、リナ、買い物かい?」
「うん、こんにちは!」
「リナ、ランゴ、味見していかないか?」
「うん! ……おいひ」
市場の中の人たちはみんな面倒見が良くて、気前も良い。家の手伝いをするっていうのも良いみたいで、こんなふうに誰彼と声を掛けてくれるのだ。
私は味見用のランゴを頬ばり、上機嫌で市場の中を歩く。昼過ぎの市場の中は朝よりも随分人影は少なくて、大人のお尻にぶつかることもない。
目当ての店に着いた私は、トントンとドアを叩いてから開けた。
「こんにちは!」
「……きたか」
市場の人とは違い、愛想のない声を掛けて来た相手に、私はぷうっと頬を膨らませた。
「よくきたな、とか、いらっしゃい、でしょ」
「お前は客と違うだろ」
「でも、お客さまかもしれないでしょ」
「お前じゃないか」
「私も、お客さまだもん」
「だから……はぁ、いらっしゃい」
私がしっかり言い返すと、相手は面倒臭そうに会話を打ち切る。そんな態度だけを見ればとても歓迎されているとは思えないけど、それが目の前の人の通常運転だってこの2年間で覚えた。
私だって、大人の人に言い返すなんて普通はしないけど、それを許してくれるってわかっているから気軽に会話を続けられた。
「おみやげありますよ、ししょー」
私は椅子に座っている相手の膝に、小さな包みを置いた。
「……クッキーか」
匂いでわかったのだろう、その頬が少しだけ緩んでいる。
ししょー……ラムレイさんは、甘いものは好きだけど、甘すぎるのは嫌いだっていう我が儘味覚の持ち主だ。だから、彼へのお土産は、甘さ控えめクッキーを持ってくることが多い。最近は私もいろいろ工夫して、クッキーの生地の中にお茶の葉を混ぜたり、豆を混ぜたりする。あ、アーモンドに似た豆を見つけたからね。名前は、モント。これをすり潰して生地に混ぜると香ばしくって、ラムレイさんもお気に入りなのだ。
「お昼ごはん、食べました?」
「食ってない」
「も~、ご飯はちゃんと食べないと!」
「……はいはい」
まるでこれが食事代わりだって言うように、ラムレイさんは遠慮もなくクッキーを食べ始めた。
この人、食に煩いのか、無頓着なのか、いまだに私はわからない。
「お嬢ちゃんの知識が知りたい。代わりに、お嬢ちゃんが知りたいことは教えてやろう。たいていのことはわかるぞ、どうだ?」
ラムレイさんにそう言われた時、私はその申し出を無視することができなかった。
父さんは、エイダンさんの知り合いでも断ればいいって言った。胡散臭いからって。
でも、私は一方的に知りたいと言うだけじゃなく、彼の知識を教えてくれるっていう条件がひどく魅力的だった。
普通の暮らしは、家族から学べる。パンのことなら、父さんに聞くのが一番だし、料理を作ってもらうのも父さんのセンスが必要だ。
ただ、それ以外……私の知りたいいろんなことの答えを、ラムレイさんなら知っているような気がした。知るチャンスを、逃したくないって思った。
だから、私は父さんにお願いして、頻繁に市場のラムレイさんのところに通った。
父さんの前では魔法のことは聞けなかったけど、この国のことや他領の話を聞いた。知らない字や、計算も教えてもらった。ちょっと、家庭教師っぽい扱いだったかもしれない。
でも、父さんも一緒にラムレイさんの話を聞くことで、だんだん彼を信用してくれるようになった。
通い始めて半年くらい経てば、父さんが買い物をしている時は私をラムレイさんのお店に先に連れて行って、父さんの買い物中2人で勉強するようになった。
面倒が嫌いそうなラムレイさんが、よく付き合ってくれたと思う。
そのおかげで、私は今日から1人でラムレイさんのところに行く許可を貰えた。
「2年もかかると思わなかったがな」
次から本格的によろしくお願いします。私も、教えられることは教えますって伝えた日。
そう言って呆れたように口元を歪めたラムレイさんへのお詫びと、これからもよろしくっていう賄賂にチーズケーキもどきを進呈すると上機嫌になったけど。
他の面々の近況は次回に。




