60.考えることがあり過ぎます。
ラムレイさんはどんどん市場の中を歩いていく。その足取りに迷うそぶりはまったくなかった。
「ここだ」
やがて、ラムレイさんが一つの店の前で止まった。見ると、そこは乾燥した葉っぱや木の根みたいなものが並んでいる、他の店とはちょっと違う雰囲気の店だった。
「ここは薬草を売ってる店だ。……ほら」
そう言って、ラムレイさんが手に取ったのは薄い緑色の実……一見して青い梅干しの実のようなものだ。
それをひょいって鼻の辺りに持ってこられて……ん? この匂い……。
「あ!」
私の知っているニンニクよりは少し匂いは薄いけど、間違いなくニンニクだ、これ!
私が満面の笑みでラムレイさんを見つめると、彼は口元だけでにやっと笑った。
「これで、何を作ってくれるんだ?」
求める油とニンニクもどきを手にして、私は上機嫌で家に戻った。
ニンニクもどき……ニニクっていうんだって。味付けじゃなく、薬材として使っているって聞いてびっくりした。臭くて料理になんか使えないって店の人は言ってたけど、ニンニクはいろんな料理に使えるんだけどなぁ。
私と、この世界の人の常識は結構違う。食べ物のこともそうだし、身分のこととかも。それに、魔法だって、《佳奈》だった私にはすべてが新しく知るものばかりだ。
もっと、色んなことが知りたいって思う。それには、まずはちゃんと言葉を覚えて、字も覚えて、色んな人と話をしてみたい。
あ~、早く大きくなりたいよ。1歳の時は早く歩きたくって、2歳の時には早くしゃべりたくて。3歳の今私が望むものはいっぱいあり過ぎて、神様もなかなか叶えてくれそうにない。
まあ、大きくなるのは時間が経てば嫌でも成長するとは思うけど。
「へぇ、案外簡単なんだな」
トマトソースを煮込みながら、父さんが感心したように言った。
「油とか、ニニクとか、変わったものが必要だが、作り方は驚くほど単純だ」
父さんが言ったように、基本のトマトソースはとても簡単に作れる。ニニクを油で炒めて、色がついたころ刻んだトマトを入れて、味を調えながら煮込むだけ。ニニクの良い匂いが厨房の中に広がって、父さんもエイダンさんも顔が緩んでいる。
トマトソースを煮込んでいる間にピザの生地作りだ。
何度か作った父さんの手順は完璧で、私もエイダンさんもただ見ているだけだ。
「……こんな料理があるんだな」
「おいちーよ」
「ああ、匂いだけでも食欲をそそる」
ふふ、食べたらもっと、お腹が空いちゃうよ。それで、もっともっと食べたくなるの。
「……いいのか?」
ふと、エイダンさんが声を落とした。
「なんだ?」
「俺に、この作り方を教えちまって」
エイダンさんって、かなり真面目な人なんだろうな。自分の商売のためにもっと狡くなってもおかしくないのに、父さんに対してちゃんと負い目を感じてくれてる。……たぶん、そんな人だから、父さんは何かしてあげたいって思ったんだろうな。
「作り方が広がれば、忙しくなるんじゃないか」
この世界で作るには変わった料理かもしれないけど、薄力粉を使った料理があるとわかれば粉屋さんもかなり忙しくなるはずだ。
生地ができて、今回はちゃんと作ったトマトソースをベースに塗る。そこにベーコンとチーズをのせただけのシンプルなピザを焼き上げ、父さんは自信たっぷりにエイダンさんに差し出した。
「食ってみてくれ」
「……」
ソースとチーズの焼けた香ばしい匂い、それにベーコンの油の匂いでお腹がぐ~って鳴りそうだ。
エイダンさんもこくんと唾を飲み込んだ後、ピザを掴んでその熱さに手を引いた。
「熱っ」
「はは、今焼いたばっかりだからな」
それはずっと作る工程を見ていたエイダンさんもわかってるだろうけど、実際に手に持とうとするまで実感がわかなかったみたい。今度は慎重に……っていうか、恐る恐る手を伸ばすしぐさが面白くて、私は思わず笑ってしまった。
「ふ~ふ~ちて」
「お、おう」
私が言った通り、ふーふー息を吹きかけ、今度こそエイダンさんはピザを口にした。
その途端目が見開かれ、父さんと私を交互に見て……ゆっくりと喉が動くのが見える。それから1ピース食べ終わるまで無言だったエイダンさんは、口の中をすべて食べ終えた後、すごく深い息を一つ吐いた。
「……なんだ、これは……」
「美味いだろう?」
「美味いってもんじゃない、これは……」
そこまで言って、エイダンさんは口を噤む。
そしてしばらく黙り込んだ後、父さんに言った。
エイダンさんが帰った後、私は父さんを見上げる。
「い~の?」
「……本人がそう言ったんだからな」
あの時、エイダンさんは、
「粉の代金を貰うぞ」
そう、父さんに言った。私は何のことかとわからなかったけど、父さんはその言葉に眉間に皺を寄せて聞き返した、「それでいいのか」って。
その言葉に頷いたエイダンさんに、父さんはお金を渡した。
どうしてそうなるの? 薄力粉を分けてもらったお礼にレシピを教える約束をして、今日、ここまで来てもらったんじゃないの?
足りない材料をわざわざ市場まで一緒に買いに行ってくれて、ラムレイさんっていう人にも会わせてくれた。それはすべて自分の店のためなんじゃないの? それなのに、結局粉の代金を支払ってもらったら、このレシピは宙に浮くよ。
聞きたいことはたくさんあったけど、私の気持ちに言葉はまだまだ追いつかなくて、どう言ったらいいのか迷うだけだ。
「と~しゃん」
「……あいつは、お前が特別な子だってわかったのかもな」
「とくべちゅ?」
た、確かに、私、ちょっと普通の子供とは違う……と、思うけど……。
「……リナ、このレシピ、登録してもいいか?」
ピザのレシピを登録すれば、急には無理かもしれないけど徐々に薄力粉の使用方法が広まっていく。そうなると、エイダンさんも忙しくなるだろうって。
あ、じゃあ、ついでにクッキーとかも登録してもいいかな。あれなら材料費もあんまりかからないし、作り方も簡単だから早く広まりそう。
良いことを思いついたって私はワクワクしながら父さんに言ったけど、父さんは困ったような顔をして首を横に振った。
「リナ、急がないでいい」
「と~しゃん?」
「お前はまだ3歳の子供だ。店のことを考えてくれるのは嬉しいが、まずは健康に、元気に大きくなることが一番なんだぞ? ……まあ、お前に今まで頼りきりだったのは父さんなんだがな」
どうやら父さんは、私がこの店のためにいろんなパン料理のレシピを考えていることが心配になってきたらしい。白パンまでで十分だったのに、私の考える料理が美味しいものばかりで、ついつい料理人としての好奇心が勝ったんだって。
「でも、情けないだろう? お前がせっかく神様から与えていただいた知識だ。本当はお前が自分のために使うのが一番なんだ」
父さんが言いたいことはわかるけど……でも、少しだけ、父さんは勘違いしてる。
商売繁盛させたい、父さんを助けたいっていうのは本当だけど、第一にあるのは私が美味しいものを食べたいっていう気持ちだ。
この世界の硬いパンがあまりに美味しくなくて、味付けも単調過ぎて、前世の記憶がある私にとっては結構きつかった。だから、少しでも食生活を改善したくって……それに、父さんが腕の良い料理人だったから、ついつい食べたいものをリクエストしていっちゃっただけで……。
「リナ、おてちゅだい」
「もう、十分してもらってる」
「……」
まだまだだと思うんだけど……父さん、意外と頑固だから。
「リナ、できる」
私は訴えたけど、父さんにはなかなかその声は届かなかったみたいだ。
「……これは?」
「ぴじゃ」
「……ぴじゃ?」
大人の男の人の言い間違いって面白い。私は思わず笑ったけど、目の前の人はまるで気にした様子はなかった。眼鏡の奥の目をピザに向けたまま微動だにしない。
エイダンさんにピザを作ってあげた翌日、私と父さんはまた市場に来ていた。でも、今日は買い物が目的じゃない。油を分けてくれたラムレイさんに、約束の料理を持ってくるためだ。
最初、父さんは自分1人で行くって言ってたけど、油を分けてもらったのは私なので絶対について行くって言い張った。
そんな私に根負けして……結局娘に弱い父さんは、私を連れてきてくれた。
持ってきたのはピザとクッキーだ。ピザは食事として食べてもらいたかったし、クッキーは日持ちがするのでおやつに摘まんでもらえたらって考えた。クッキーの生地も今回は父さんが作ってくれて、私は形を担当しただけだけど。
「どうじょ」
ラムレイさんは無言でピザを口にする。じっとその表情の変化を見ていたけど、エイダンさんみたいに驚いた表情はしていない。ただ無言で食べていく姿は美味しいのか不味いのかわからなくて、私と父さんは顔を見合わせた。
半分ほど食べた時、ようやくラムレイさんの手が止まった。そして、紫の瞳がじっと私を見てくる。
「こっちのお嬢ちゃんか」
父さんがその視線から私を隠す様に身体を移動させたけど、ラムレイさんはそのまま楽し気に言った。
「……面白い」
「油の代金は必ず払う。少し待って……」
「いらない」
父さんの申し出をあっさり却下し、ラムレイさんは笑った、すごく楽しそうに。
「お嬢ちゃんの知識が知りたい。代わりに、お嬢ちゃんが知りたいことは教えてやろう。たいていのことはわかるぞ、どうだ?」
どうだって……え?
私は父さんを見上げ、次にラムレイさんを見る。顔が強張った父さんと、楽しそうなラムレイさんがあまりに対照的だ。
(私の知識って……)
まさか、私が全然別の世界の記憶を持ってるって知っているわけじゃ……ないよね?
父さんは私を守ってくれようとしているけど、余裕のあるラムレイさんから逃げきることはできないような気がする。
それに、知りたいことはたくさんある。この国のこと、魔法のこと。知らない調味料のこととか、不思議な魔獣のこと。
私の中にワクワクする気持ちが生まれたのも確かだった。
次回、また少し時間が進みます。




