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58.ピザの完成形を目指します。

 魔獣騒ぎの翌日、朝から町には衛兵隊が回っていた。

 魔獣が現れたこと、そして、討伐する前に消えたこと。それまでも唐突に現れた魔獣が消えることはなかったわけじゃないみたいだけど、南の森は今騎士と魔導士団が調査をしているので、しばらく立ち入り禁止だと皆に知らせて回っていた。

 こんな時、不便だよね。テレビとか携帯電話があったら簡単に情報の伝達ができるのに、ここでは人海戦術しかないんだもん。

 母さんは実際魔獣に幻惑されたんだけど、本人が忘れているし、その証拠もないから、衛兵隊に申告することはなかった。せっかく忘れているのに、思い出したりしたら可哀想だし……それでいいと私も思う。

 ただ、もう魔獣はエルさんに退治されていることを知っているので、しばらく森が立ち入り禁止になってしまったのはみんなに悪いなって思ってる。南の森は薪とか、木の実とか、自然の資源が豊富なんだもん、困る人はいっぱいいるだろうし。でも、どうやって魔獣のいるところに行ったのか、魔獣を倒したのは誰なのか、やっぱり言えないし……。

 エルさんたちも、あの場にいたことを知られたくないみたいだった。だから、私は沈黙を守る。

 たぶん、立ち入り禁止もそれほど長い時間じゃないはずだよ……私の希望的観測だけどね。






 そして、それからまた数日経って、今私の目の前には見慣れない男の人が立っている。見慣れないけど、何となく見たことがあるような顔なんだよね……。3歳の記憶力が確かなら、だけど。

 私は隣にいる父さんを見上げた。

「リナ、覚えてるか?」

「……にゃい」

 考えて否定すると、男の人はがっかりした顔をする。悪いなと思うけど、本当に名前が出てこないんだもん。

 私の生活範囲はすごく狭いから、大人の男の人と知り合う機会なんてめったにない。お店に来たお客さんかな?

「しかたない、ジャック。二度しか会っていないんだし、子供が覚えているのは難しいだろ」

 ……そう言われると、何だか意地でも思い出したくなるんだけど。

 私はむ~んと腕を組んで考えた。服装はこの辺りでよく見る普通の服だし……ん? 袖が白く汚れてる? でも、ペンキじゃないよね、あれは……。

「……こにゃ?」

 私が呟くと、男の人の顔が少し嬉し気に綻ぶのが見えた。その顔をまたじっと見て、私はようやく思い出した。

「こにゃのひと!」

 そうだよ! クッキーを作る時、いつものパンの粉で作って失敗して、父さんと市場に行った時に会った粉屋のおじさんだ! あの時は粉にしか目がいかなくってあまりよく顔を見ていなかったけど……あれ? あの時、何か言われたんじゃなかったっけ?

 その辺りのことはさっぱり忘れてしまっていた私は、父さんを見上げる。父さんは厳つい顔を少しだけ情けなく歪めながら、粉屋のおじさんが来た理由を話してくれた。


 父さんとおじさん……エイダンさんは、なんと父さんが独立して自分の店を持った時からの付き合いらしい。まだ若い父さんはなかなか仕入れ先が決まらなかったらしくて、そんな時に一番初めに取引をしてくれたのがエイダンさんなんだって。

「でも、最近不作が続いてな。パンの粉も質が良いのをあまり仕入れられなくなった」

 上質の粉は、やっぱり大店が先に買い占めてしまうらしい。

 それで、何か他の商品はないかって感じで、色んな粉や豆類とかを仕入れるようになったけど、その使い方がよくわからないので客にもなかなか売り込めず、在庫が増えるばかりで赤字続きだったようだ。

 で、そんな時に、私がその新しい粉を欲しがって、使い方もわかっているふうだったから、藁をも掴む気分で父さんに取引を持ち出したらしい。


「……しょっか」

 私も、ようやく思い出した。薄力粉を使ったレシピを教えるのと引き換えに、粉を一袋貰ったんだった。

 タダで貰ってそのままだったなんて、なんだかすごく申し訳ないよ……。

「あの時は急いでいたし、リナも教えると言ったからそのまま貰ったんだが、よく考えるとレシピというのは大きな財産になる。せっかくリナが考えたものを簡単に人に教えて良いのかって考えて、あれからもう一度市場に行ったんだ」

 どうやら父さんは、その場の流れで一度はエイダンさんの申し出を受け入れたけど、考え直して断りに言ったらしい。もちろん、お金も持っていって。

 でも、その時エイダンさんにいろいろ話を聞いて、昔助けてもらった恩返しを今返す時だって思ったようだ。……なんか、父さんらしい。

 私としては、調理方法を教えることは全然何とも思っていない。元々は私が考えた物じゃないし、幼児の私が作るよりも大人の、料理上手な人が美味しく作ってくれる方が良い。

「い~よ、リナ、おしぇーる」

「リナ……本当にいいのか?」

「うん。でも、リナのこと、にゃいしょよ?」

 私が人差し指を口に当てながらエイダンさんを見上げると、彼は焦ったようにぶんぶんと首を縦に振った。

「も、もちろんだっ。誰が考えたかは絶対内密にする」

「ありあと」


 話がつけば、今度は何を教えるかになる。

 薄力粉で作れるものは本当にたくさんあって、クッキーはもちろん、ケーキとかもいろいろ作れるはずだ。でも、ケーキ類は分量を細かく量らないといけないから、今の状況ではちょっと難しいか。

 私としては懐かしい粉もの料理のお好み焼きやたこ焼きを食べたいけど、他の材料を揃えるのが大変だし。

 ここは、一度作ったアレならいいんじゃないかな?

「と~しゃん、ぴじゃ!」

「ぴじゃって、この間作ったあれか?」

「うん」

 ピザなら薄力粉だけじゃなく、パンの粉も混ぜて作れるから、売る時に両方勧めることができるはずだ。それに、のせる具は本当に様々で、アレンジができるところも良いんじゃないかな。

 父さんもピザの作り方と味を覚えていたのか、そうだなと力強く頷いてくれた。

「あれなら簡単にできるし、美味いしな」

「ね?」

 あの時、3枚あったピザを父さんとケインとラウルがぺろりと食べて、残り1ピースを争っていた姿を思い出した。そのくらい、かなり気に入ってもらった味だ。

「マーサたちも美味いって言ってたし、子供も大人も好きな味なんだろう」

 私と父さんは顔を見合わせてウシシと笑うけど、ピザの完成形も味も知らないエイダンさんは、首を傾げて心配そうだ。

「おい、ジャック、そんなに美味いものなら、材料費もかかるんじゃないか?」

「いや、そこまでかからない」

「ありゅもの、ちゅかうから」

 チーズは基本で必ずあった方が良いけど、後はベーコンでもソーセージでもいいし、肉類だって構わない。野菜ぱっかりのヘルシーなピザだって美味しいし、果物をのせればオヤツにピッタリだ。


 でも、私はそこで思い出した。ピザを作っている時、足りないって思っていたソースのこと。せっかくなら、トマトソースも手作りで作ってみたい。

「と~しゃん、しょーしゅ」

「しょー……ソースか?」

 通じた。私はしっかりと頷く。

 トマトソースには何が必要だろう? まず、トマトでしょ? あと、塩と、オリーブオイルに、ニンニク、だっけ? 確か、そんな感じだったと思う。

 トマトはマトトがあるし、塩もあるけど、オリーブオイルとニンニクってあるのかな?

「リナ、ソースには何がいるんだ?」

 父さんに言われて、私は基本のものを告げる。

「マトトと塩はわかるが、オリィーブオイルとニンニク? って言うのはどんなものだ?」

 どんなものかって言われても、口で説明するのは難しい。ニンニクは香辛料か野菜を売っているところにありそうだけど、オリーブオイルは難しいところかも。この世界なら、油は一種類とかありそうだし。

「とりあえず、市場に行ってみるか」

「ああ」

 父さんとエイダンさんがそう言い、当然私もついて行くことになった。




「そういえば、あの魔獣騒ぎ、結局魔獣は見つからなかったんだろう?」

 父さんに抱き上げてもらいながら市場に向かっている時、エイダンさんがふと思い出したように言った。

 あの魔獣騒ぎは下町でもかなりの騒ぎになっていて、みんな興味があるみたい。

「ただのデマだったんだろうか? それにしては、衛兵隊が慌ただしく立ち回っていたが」

 騎士団は貴族たちの間、衛兵隊が庶民の間でいろいろ動いていたんだろう。でも、やっぱりあの魔獣のことは誰もわからないんだ。私はホッとして息をつく。

「安心しろ、リナ。 リナは父さんが守るからな」

 私の溜め息が恐怖を堪えるためだと思ったのか、父さんがそう言いながら抱き上げてくれる腕に力がこもった。ありがたいけど、私はあの魔獣が死んだってこの目で見たから、全然怖くないよ。

 もちろん、そんなことを父さんに言えるはずもない。

「うん」

 私が素直に頷くと、父さんが嬉しそうに笑った。




 しばらく歩いて、市場に着いた。

 まだ所々休んでいる店があるみたいだし、お客さんの数も少なく感じるけど、市場の中の活気は元通りになっているみたいだ。

「まずは、何がいるんだ?」

「まとと!」

「そうだな。あれはたくさんいる」

 父さんの足は野菜が売られている一角へと向く。

(うわぁ……色が……すごい……)

 普通なら、色や形で大体の野菜の見当をつけるけど、ここでの色はかなりカラフルで、形も変わっているものが多い。そう考えると、マトトは赤くて、形もほとんどトマトみたいだったからわかりやすかった。

(野菜を売ってるなら、ニンニクもあるかも)

 私は店先に並ぶ野菜に目をやる。頭の中にニンニクの形を思い浮かべながら、その形か色のどちらかでも似通ったものがないかと探し始めた。 

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