閑話.ある父親の家族愛。
俺の親父は樵だった。朝から晩まで森の中で働いていて、無口で頑固な親父だった。
酒飲みで、よく飲み屋で喧嘩をして、母さんはそんな父さんを見限って出て行ってしまった。
父子で暮らすようになってから、親父はますます無口になってしまい、そんな親父を避けて俺は一日でも早く独り立ちしたかった。
学校を卒業し、俺は町のパン屋、カサックの店で見習いとして働き始めた。樵なんかになったら、親父みたいな厭人になってしまいそうで、少しでも人とかかわりのある仕事をしたかったからだ。
幸い、俺には火の加護があったし、人よりも天火の扱いを覚えるのが早かったせいで、店の仕事も次々と任せてもらえた。
でも、俺は親父似の強面のせいで、店頭にはなかなか出させてもらえなかった。
はっきり顔のことを言われたわけじゃないが、まあ、俺自身自覚していたし……厨房での仕事の方が面白かったから何とも思わなかった。
そんな時、たまたま店にパンの補充に出た時だった。
「あっ」
「す、すみませんっ」
ちょうど店にいた客に身体が当たってしまい、俺は慌てて頭を下げる。相手が女の子だったから、どんな文句を言われるか内心焦った。
でも、
「私の方こそ、ごめんなさい」
相手の女の子は、そう言って謝ってくれる。栗色の髪に、明るい茶色の瞳の、すごく可愛い子だ。
「す、すみませんっ」
俺は恥ずかしくなって慌てて厨房に戻る。自分の顔が熱くなっているのがわかった。
それから時折、その女の子が店に来るのがわかった。いや、それまでまったく気にしていなかった客のことを、気にするようになったってことかもしれない。
「おい、来たぞ」
「ジャック、ほらっ」
店の先輩たちがからかうように言う。俺があの子を気にしているのが、いつの間にかみんなに知られてしまっていた。恥ずかしくてたまらないけど、あの子の姿を見たくてチラチラと視線を向ける。
(……!)
目が合った気がする。俺はさっと姿を隠した。
俺みたいな男に見られてたって知れば、きっとあの子は怖がって店に来なくなってしまうかもしれない。
それだけは嫌で、できるだけ彼女の前に姿は出さないようにした。ただ、彼女が買うパンは俺が一番上手く焼けたって思うものをうまく渡す様にしてもらった。
たぶん、季節2つ分は過ぎただろうか。
「ジャック、粉を追加で買ってきてくれ」
「はい」
先輩に言われて店の裏口から出た俺は、
「あの」
「!」
目の前に彼女が現れ、思わず数歩後退ってしまった。そして、慌てて顔をそむける。俺の顔をまともに見たら、絶対泣かせてしまうと思ったからだ。
でも。
「いつも美味しいパンをありがとう。私、お礼を言いたくて」
「……え?」
「カサックさんから聞いたんです。あなたがいつも私に美味しいパンを渡してくれているって」
だ、だんなっ! いつも黙っていたから興味がないって思ってたのに、まさか彼女に直接言うなんて!
俺は恥ずかしくて全身が熱くなったが、目の前で彼女がにっこりと可愛い顔で笑ってくれて、その熱がさらに上がった気がする。
「ありがとう、ジャックさん」
な、名前まで呼ばれてしまった!
正面から見る彼女はとても綺麗で、俺は硬直したようにただそこに立っていることしかできなかった。
それから、少しずつ話すようになって。初めて彼女を見てから2年経ってようやく、付き合ってほしいって申し込んだ。彼女には、「とっくに付き合っていると思っていた」と、可愛く叱られてしまった。
こんなにも可愛い恋人が俺にできるなんて、過去の俺だったら絶対信じなかっただろう。今だって信じられないのに……でも、彼女の視線の先には、ちゃんと俺がいる。
彼女……アンジェが成人を過ぎると、彼女を狙う男たちが一気に増えた。アンジェは少女の時も可愛らしかったが、成人を過ぎて一気に大人っぽくなったからだ。
服飾の店で働いているせいか服装も仕草も洗練されていて、大店の中にも彼女に求婚する男がいるって噂を聞いた。
「おい、ジャック、いいのか?」
「……」
「あんなに良い子、滅多にいないぞ」
店主のカサックさんにも言われたけど、樵の息子でパン屋で働いている俺より、大店に嫁入りする方がずっと彼女のためになる。俺にできることは、一日でも早く彼女と別れることだけど……どうしても未練があって、俺から別れるって言葉を言うことができなかった。
付き合って2年、俺が18歳、彼女が16歳になった時だ。
「ねえ、ジャック」
久しぶりに2人で出かけた時、彼女が改まった口調で話しかけてきた。……ああ、きたかって思った。でも、俺が振るより、彼女が振る方が良い。
覚悟を決めてアンジェを見ると、少し恥ずかしそうに目を伏せ、でも、次の瞬間思い切ったように顔を上げて口を開いた。
「私と、結婚してください」
「……え?」
「ジャック、私と結婚してください」
嘘だろ……アンジェがそんなことを言うはずがない。言うはずがないって思うのに……俺はいつの間にか彼女を抱きしめて泣いていた。俺よりも一回り以上小さくて細い体。いつも穏やかで、無口な俺といても笑ってくれている彼女が、この先もずっと一緒にいると言ってくれた。
男の俺の方が求婚しないといけないのに、弱虫な俺は自信がなくて逃げることしか考えていなかった。彼女が、アンジェの方が、よっぽど豪胆だ。
「……れと、俺と、一緒にいてくれっ」
「ええ」
「俺と、結婚してほしい」
「……」
腕の中で、アンジェが何度も頷いている。俺は嗚咽を堪えて泣きながら、アンジェを強く抱きしめた。
俺たちはそれからすぐに結婚した。
アンジェの両親は俺なんかを家族として受け入れてくれた。
すぐにケインが生まれて、俺は初めて穏やかで優しい家族というものを知った。この2人のためにもっと働かなくてはと思い、20歳の時に独立して自分の店を持った。
意外なことに、開店資金の半額を親父が出してくれようとした。結婚式も、ケインが生まれた時も顔を見せなかったくせに、俺が開店の金策に走り回っていた最中、突然現れて金をくれた。
「お前には何もしてやれなかった」
……今さらだ。今さらそんなことを言われたって、俺は何も言い返せなかった。立ち去っていく親父を引き留めることもできずに見送って、意地でもその金を使うまいと頑張った。
親父は今も生きているらしい。
でも、あれからまたしばらく会っていない。居場所は知っているが……会ってしまうと今の幸せが壊れてしまいそうで、俺はまだ子供のように目を逸らし続けたままだ。
3年前、2人目の子供が生まれた。
ケインが生まれてから兆候がなかったので半分諦めていたから、すごく嬉しくて叫んでしまったくらいだ。
2人目は女の子で、初めて見るような髪と目の色をしていた。満月の夜のような黒。そんな色を持って生まれる者がいるなんて思わなかったが……その美しさに俺はしばらく沈黙し、疲れ切っているアンジェに向かって心からの感謝の言葉を告げる。
「ありがとう、アンジェ。とても可愛い女の子だ」
「……ジャック」
「将来は絶対美人になるぞ。アンジェによく似た美人だ」
赤ん坊は上機嫌で俺を見て笑ってる。怖がる様子なんかみじんも見せずに、抱き上げたら声を上げて喜んだ。なんだ、この可愛い生き物は……。ケインも可愛かったが、女の子はまた特別に可愛いのか。
赤ん坊の名前はリナと命名した。
リナはあまり泣かず、とても育てやすく健康な子だとアンジェも言っていた。
毎日その成長を見るだけで楽しく、ケインと競うように可愛がった。
1歳の洗礼式では、加護の光が複雑で慌ててしまった。髪と目の色が変わっていても、リナは可愛い俺の娘だ。変な偏見を持ってほしくなくて神殿長と対峙したが、そこに現れた綺麗な顔の少年に場を仕切られた。
どういう思惑かは知らないが、あれはあの少年に助けられたと言っていいだろう。おそらく……貴族。俺たちとは二度と関りがないだろうとは思うが、少しだけ嫌な予感がする。
最近はおしゃべりもできて、上機嫌で動こうとするリナ。こんなにも愛しい存在を絶対に守り抜くと俺は誓った。
リナが2歳になった時。
家の隣の使徒像の前で砂糖を拾ってきた。砂糖は高価な甘味だ。俺たちのような庶民には到底手に入らないものなのに、いつも使徒像に祈りを捧げているリナへの贈り物なのか、結局その砂糖はリナのものになった。
砂糖という存在自体は知っていても、俺はその使い方なんて知らなかった。
すると、リナはその砂糖から不思議なコウボというものを作り出し、それまでのパンの常識を覆すような柔らかな白パンを生み出した。
作ったのは俺だが、考えたのはリナだ。あんな幼い子がどうして……俺もアンジェも不思議でたまらなかったが、きっと……リナは神に愛された子なんだと納得した。愛されているから、リナは知識と幸運を与えられているんだ。
そう思うと、洗礼式での不思議な光景さえすんなりと納得がいった。
それからも、リナは次々と新しいものを俺に教えてくれる。
まよねーず、はんばーがー、さんどいっち。そのどれもが貴族の食べ物かと思うほどに美味しいものだった。
その上、リナは貴重な知識を簡単に周りに教える。グランベルさんもリナの知識に興味を抱いているし、きっと王都から広く広がっていくに違いない。
リナはまだたくさんの知識を持っていると思う。家族に美味しいものを食べさせたいと言い、父さんが作ってくれて嬉しいと言ってくれる。
俺も、リナが笑ってくれるのが嬉しい。リナも、アンジェも、ケインにも、もっと美味いパンを食わせたい。
……そして、いつか親父にも、俺の自慢のパンを食ってもらいたい。
俺の大切な家族。愛おしい家族。
家族を守り、食わせていくために、俺は今日も美味いパンを作る。




