57.安心したらお腹が空きました。
私たちはいったんうちに帰った。
私は母さんに水を飲ませてあげようとしたけど、すぐに動いてくれたケインが水を入れたコップを持ってきて母さんに飲ませてくれた。
その後、今度は濡らした布を持ってきて、私の顔をごしごしと拭い始める。
「に、に~ちゃ?」
「土埃がついてる。いったい、どうして顔が汚れたんだ?」
う……まさか、森に行ったなんて言えるはずがないよ。私はへへっと笑ってごまかした。
水を飲んで、何よりうちに帰って母さんも落ち着いたみたいで、ふぅっと小さな息をついた。
「アンジェ、何があったか教えてくれ」
椅子に座った母さんの前に跪く父さんに、母さんは少し考えるように目を閉じた後、ポツリポツリと説明を始める。
「ケインを迎えに学校に行こうとしたの。そうしたら、微かに甘い香りがして……ごめんなさい、それからのことはよく覚えていないわ。気づいたら使徒像の前にいて、リナが側に倒れていて……」
……ヤバイ。父さんもケインも母さんのことばかりに目がいっていたのが、今の言葉でバッと私の方を振り向く。
「リナッ、外に出たのかっ?」
「危ないじゃないか!」
ごもっともです。2人がどれだけ心配してくれてるのかはわかるけど、あの時私だって母さんのことが心配でしかたがなかったし。
(森に行ってたなんて、絶対に言えるはずがないよ)
それからしばらくは、どうしてうちの外にいたのか、どうして倒れていたかとか追及されたけど、私は「覚えてない」って言葉で済ませてしまった。子供だから許される理由だろう。
父さんは納得していないみたいだけど、結局は家族みんな無事でよかったって言ってくれた。
その後、心配しているだろうからってマーサおばさんのところに行くことになって、残された私はまだ少し疲れた顔をしている母さんに寝ているように促した。
「ごはん、リナちゅくるから」
「でも……」
「俺も手伝うから大丈夫だよ」
母さんをベッドに引っ張って行って、強引に寝かせてしまう。すると、やっぱり疲れていたのかすぐに目を閉じてしまった。
(光の魔法って、怪我しか治さないのかな……)
あの時私は、怪我を治して、怖い思いを消してあげたいって思ったけど、疲れまでは取れなかったのかもしれない。そう考えると、ちゃんと術語を習ったわけじゃない私の魔法は、まだまだ未熟ってことだろうな。
ちょっと残念にも思うけど、しかたないって諦めもある。今から何でも完璧にできた方が怖いもんね。
「リナ、何作る?」
「ん~と」
何を作ろうかな? 夕飯まではまだ少し時間があるから、手早く作るんじゃなくて、ちょっと変わったものでもいいかも……あ!
「ぴじゃ!」
「ぴじゃ?」
首を傾げているケインを置いて、私は弾む足取りで階段に向かう。
そう、パンの粉と薄力粉があるんなら、ピザの生地が作れる。後は野菜やベーコンを切ってのせるだけだし……あ、ピザソースどうしよう?
今からトマトを使って作るのには時間が掛かるし……ピザソースの代わり……ん~。生のトマトに、マヨネーズはあるからそれでもいいかも。
私が壁に手をついてゆっくり階段を下りていると、ケインがもう片方の手を素早く繋いでくれる。まだ足が短いから、どうしてもゆっくりになっちゃうんだよね。
「なあ、リナ、ぴじゃって何だ?」
「ぴじゃ、ちがう。ぴ、じゃ!」
「ぴじゃだろう?」
う……自分ではちゃんとピザって言えてるのに、人が聞くと「ぴじゃ」なんだ……。3歳になってかなり話せるようになったつもりだけど、まだまだだな。
まあ、言い方はしかたないとして。生地作りはケインに手伝ってもらわないと。
一階の厨房にやってきた私は、パン生地を混ぜる用の大きな木の器を用意してもらった。
ここから、材料の比率があるんだろうけど……もう、目分量でいいよね。
「パンのこにゃ、こっぷいち、しゃらしゃらこにゃ、こっぷいち」
後は砂糖と塩と酵母に油……もう、適当で。最後に水は、少しずつ入れて柔らかさを調整してもらおう。
私が量は適当にって言った時、ケインはすごく困った顔をした。確かに、適当にって言われても困るとは思うけど、そのあたりの分量なんて全然覚えていないもん。とりあえず、塩は少なめにしてもらおう。
「……っしょ、んっ」
お店を手伝っているケインだけど、まだパン作りは任されていない。学校を卒業したらって言われているらしくって、今ケインは天火の火加減の勉強を一生懸命しているみたい。パン職人はそれが一番大事なんだって父さんが言っていた。
だから、今こうして粉を混ぜるのはほとんどしたことがない作業だと思う。
「に~ちゃ、たいへん?」
「だっ、じょっ、ぶっ」
額に汗を滲ませて、それでも強がりで言っているのがケインらしい。
私ができるのは、この場で応援するくらいだ。
「がんばれっ、に~ちゃっ!」
「がっ、ばるっ」
バラバラだった粉が、だんだん固まってくる。ん~、ちょっと硬そうだから、お水もう少し。
「に~ちゃ」
水を入れてと言う前に、大きな手がコップから水を少しだけ垂らす。
「と~しゃん?」
びっくりした~。帰ってきたの、全然気づかなかった。
ケインも、私の声で顔を上げた。
「父さん」
「何を作っているんだ?」
勝手に厨房に入っているのを怒られるかと思ったけど、父さんはケインの後ろから手元を見下ろす。
その顔は、どちらかというと好奇心に輝いているようだ。
「リナが、ぴじゃを作るって」
「ぴじゃ?」
だから、違うんだってば……。厳つい顔の父さんがそう言うだけで笑いが零れそうになっちゃう。でも、訂正しても私の言い方が改善しないと変わらないんだよ。
「リナ、どんなパンだ?」
粉を捏ねているので、父さんはこれを新しいパンの種類だと思ってるみたい。まあ、パン屋さんでも売られているけど、ピザってパンの仲間だろうか?
私は頭の中でそんなどうでもいいことを考えながら、手順を父さんに説明した。
私の言語能力が未熟でも、パン作りに関しては父さんは今までの白パンや食パンで慣れているので、私の言いたいことをくみ取ってくれる。
「なるほど、パンとは言い難いな」
具材がのるように平たくするっていうのが変わっているらしい。
「ここまでしたんだ、生地はケインに任せよう。父さんとリナは、ぐざい? を切ろうか」
「うん!」
トマトもどきのマトトに、ピーマンもどきのピーメン。そして、玉ネギもどきのテンネギ。
それを適当な大きさに切って、ベーコンも切ってもらう。
「チーズとまよねーずもいるんだな?」
「しょう」
ケインが作った生地を発酵させている間に、天火に火を入れてもらった。パンを焼く時よりも高い温度で、一気に焼き上げてもらう。
その間に発酵も進んで、生地を適当に分けて平たく伸ばす様に言った。初めての作業なのに、さすがは父さん、綺麗な円盤形に生地が伸びる。そこにマヨネーズを塗り、切った具材をのせていく。主食とおかずを兼ねているから、たっぷりと量をのせて、チーズを掛けて準備はOKだ。
「さあ、焼くぞ」
鉄板の上に生地をのせ、天火に入れた。すると、すぐに生地は膨らみ、チーズはとけてグツグツ踊っているのが見える。
「これはすぐに焼けそうだな」
「こげにゃいよーに」
「わかった」
生地を回す長いヘラのようなものがないので、焼き加減は父さんに任せるしかない。私は父さんとケインの後ろからドキドキしながらピザの焼き加減を見つめた。
「出すぞっ」
たぶん、10分も経っていないと思う。端が少し焦げてしまっているけど、初めてにしては上出来だ。ううん、オーブンを使っていないだけ、父さんの方が凄いと思う。
「後4枚は焼けそうだな」
おかわりも十分あるとわかったのか、ケインの目が輝いたように見えた。
「まあ……すごく綺麗ね」
ピザを作っている間に、母さんも目が覚めたみたいで二階から下りてきた。一時間くらいしか寝てないけど、疲れとかはないから大丈夫だって言われた。
「これ……」
「ぴじゃだよっ」
私が答える前に、ケインが張り切って言ってしまった。だから、違うんだけど……もう、訂正できそうにない。
食卓の準備をしている間、父さんはマーサおばさんの家に行って、ラウルを連れてきた。私たちが迷惑を掛けたお詫びらしい。本当はみんなを呼ぶつもりだったみたいだけど、まだ魔獣騒ぎが落ち着かないからって、家にいたいってマーサおばさんが言ったようだ。だから、父さんはラウルを呼びに行った時、できたピザを2枚、向こうに持っていった。その時のケインが泣きそうな顔をしていたのがおかしかった。
私と母さんはあんまり食べないんだから、男3人でピザが3枚あれば十分でしょ。
「うわっ、何だ、これっ?」
ラウルは初めて見るピザに興奮しているみたい。するとケインが胸を張って答えた。
「ぴじゃだよ」
「ぴじゃ?」
やばくない? このままじゃ《ぴじゃ》で確定しそう。
「さあ、食べるか」
父さんが言って、ケインとラウルが競うようにピザに手を伸ばす。まだ十分熱くて、チーズもみにょんと伸びた。
「あ、あふっ」
「うまっ」
口に入れた途端、2人の顔が輝いて、熱いのに残りを頬ばろうと手を動かしている。言葉がなくても、十分受け入れられたのがわかって、私も何度も息を吹きかけて多少冷ましたピザを口にしてみた。
(……さっぱり、かな)
ベーコンとチーズの塩気と、マトトのフレッシュさが引き立っている。ちゃんとマヨネーズの味もわかるし、ここにピザソースがあったらもっと良かったけど、今はこれで十分だ。
安心したから、お腹空いちゃった。私は2ピース目もぺろりと食べた。
3日前に150万PV突破しました。
ありがとうございます。
お礼の短編は高等貴族院の話、明日の18時頃更新で、その後本編も更新します。




