05.ファンタジーな洗礼式です。
な、なんでしょうか。
驚愕に満ちたというか、畏怖が滲んだというか。とにかく、あまり良い意味だとは思えない視線を向けられた私は本能的に泣き出してしまった。
「うっ、えっ、えぅっ」
こんなことくらいで泣いてしまったことに自分でも驚いたけど、感情は1歳の赤ちゃんに引きずられてしまったみたいで止めることはできない。
すると、私の泣き声につられたのか、周りにいた他の赤ん坊も泣き始めてしまった。ざっと二十組ほどいるだろうか、それぞれの親が慌てたようにあやすのが見える。
まずい、私が泣き止まなくちゃ。
「ぅ……ぇ……」
浅い呼吸を繰り返すようにし、高ぶった感情を必死に抑えた。私を見る神官たちの居心地悪い視線は消えてないけど、とりあえずこの場を収めるのが先だ。
「リナ、リナ、どうした? お腹すいたか? それともおしっこか?」
「めっ!」
(乙女になんてこと言うのよ!)
焦った父さんのとんでもない発言で怒った私は、結果的に涙が引っ込んんだ。
私の機嫌を伺うように腕の中で揺すりながら、父さんと母さんは神殿の前まで歩く。
近づくにつれ、さっきよりもはっきりと神官たちの表情がわかった。神官という職業上感情を出してはいけないのか、今は遠目で見た時とはまったく違う無表情だ。
しかし。
「お待ちください」
父さんが一礼して、神殿の中に続く扉に向かう階段を上ろうとした時、年嵩の神官が声を掛けた。
「はい」
父さんが足を止め、声を掛けてきた神官を見る。
「……そちらの赤子は、あなた方夫婦のお子様ですか?」
「はい。娘のリナです」
どうしてそんなことを聞いてくるのか。不思議に思っている間もなく、次の質問が投げかけられる。
「……あなた方は移民ですか?」
「いいえ。私たち二人とも、ここコールドウェルの国民です」
彼は、いったい何を言いたいんだろう?
私にはまったくわからないが、父さんは怪訝そうな様子を見せずに堂々と話している。
すると、神官は一度目を閉じた後、どうぞと父さんを促してくれた。
結局、今の質問の意味は何なんだろう? っていうか、ちゃんと納得してくれたんだろうか?
尋ねようにも、もちろん私は話すことができない。
扉の前で呼び止められたせいか、神殿の中に入ったのは私たちが最後だった。父さんの背中越しに後ろを見れば、さっきの神官たちが扉を閉めているのが見える。
「よろしいのですか?」
まだ十代に見える少年神官が、さっき父さんに話しかけた神官を心配そうに見上げていた。
「今日は宰相様のご子息がいらっしゃっています。問題が起こる前に隔離した方が……」
(隔離?)
「……先ほど二階の露台にいらっしゃるのをお見掛けしました。おそらくもう、あの家族のことは拝見なさっているでしょう。それなのにあの家族が現れなければ、余計な問題が起きかねません」
「しかしっ」
「今日は洗礼式です。私たち神官は、コールドウェルの新しい国民を歓迎しなければなりません。行きますよ」
声を潜めているつもりだろうが、私にも聞こえるくらいだ、当然父さんと母さんにも聞こえているはずだ。だけど、二人は何も言わない。
(明らかに、私のこと……だよね)
隔離なんて物騒なことを言われる意味がわからない。
両親は町でちゃんと働いているし、店に来るお客さんたちも別に私たち家族を忌避しているようには見えなかった。
むしろ、おばちゃんたちはかわるがわる私を抱いてあやしてくれたし、可愛いねって言ってくれていた。
え……もしかして私、すっごい変な顔……とか?
そこまで考えて、私はうっと気持ちを飲み込む。
容姿がなんだ、五体満足で健康ならいいじゃん! 前の私の体はあまりにも弱くて、思い出のほとんどは病院だった。それに比べたら、美味しそうなパンの匂いに囲まれて、家族皆で普通に暮らせる今の生は幸せだと言っていい。
(たとえ容姿に問題があっても、結婚しないでパン屋で働いたらいいし!)
後継ぎはケインだが、妹想いで優しい兄なら、生涯独身の妹の世話もしてくれるに違いない。
そこまで考えた私は一応安堵して、抱いてくれている父さんを見上げた。
(う……怖い顔してる)
家での娘馬鹿な父さんの顔とは違う、どこか緊張した顔に不安はぶり返してきたけど、私がまた泣き声を上げる前に新しい扉が見えてきた。
「……リナ、大丈夫だからな」
「と~?」
「お前は俺たちの娘で、れっきとしたコールドウェルの国民だ。神殿長はちゃんと祝福してくれる]
扉の前に立っていた二人の神官が、さっきの人たちと同じように私たちを見て目を見開く。
だけど、今度は呼び止められることもなく扉は開かれて、私たちは中へ足を踏み入れた。
「ふぁ~」
中に入って、私は思わず声を上げた。だって、すっごく綺麗なんだもん~!
中はかなり広いホールで、壁も床も、たぶん大理石みたいな綺麗に加工された石で作られていて、臙脂色の絨毯が敷かれていた。中央は吹き抜けで、六角形の壁面はガラスでぐるりと囲まれている。
壁面には絵画が飾られていた。武装した男の人とか、薄着の女の人とか。あ、もしかしたら加護をくれる神様が書かれているのかも。
奥の祭壇には、いろいろな飾りが置かれていた。その左右には扉があり、まるで番をするかのように神官が一人ずつ立っている。
祭壇の前に置かれている演台の前にも、お爺さんが一人いた。
明らかに他の神官たちとは服装が違っていて、長衣の上に白くて長い、綺麗に刺繍が施されているガウンを羽織っていた。
(あの人が……たぶん、神殿長だよね)
神殿長の前に、先に入っていた親子が並んでいる。
父親に抱かれた赤ん坊は神殿長に向きなおされ、ここからは良く見えないけど母親が何かを差し出していた。
「ふぇっ?」
その母親の手に、神殿長が何か棒のようなものを差し出すと、ポワンと母親の手が淡い緑色に光った!
(ど、どういうトリックっ?)
その両親が頭を下げて列から離れると、次の親子も同じように父親が赤ん坊を神殿長に見せ、母親が手を差し出して……今度は淡い水色に光った。
そんなふうに、次々といろんな色の光が見える。赤、青、緑、茶色。一人だけ薄い金色に光った人がいて、その親子は今までの親子とは別の方へと誘導されていく。
ただ、どれも五秒くらい光っては消えていた。
(確か、ケインは火の神様って言ってたっけ……)
何が光っているのかわからないけど、言葉のイメージから考えて、その色はきっと赤ん坊が持つ加護の光だと思う。
火の神は……うん、赤で、後は水とか風とか、それぞれの属性の色が光るってことかな。
そう考えると、本当にファンタジーな世界だ。
(私は何色なんだろう?)
父さんは水の女神様がいいとか言ってたっけ。じゃあ、水色か。まあ、そんなに都合よくはいかないだろうけど。
やがて、私たちの前の家族が移動し、いよいよ神殿長との対面だ。
(……無表情……)
さっきの神官たちのように妙な反応をされるかもしれないと思ったけど、神殿長は私を見ても表情を動かさなかった。
「名は」
神殿長の言葉に、父さんが答える。
「ジャックとアンジェの娘、リナです」
(よろしくお願いします)
しゃべれないけど、私は一応気持ち頭を下げる。
「?」
一瞬だけ、神殿長と目が合った気がしたが、すぐにその視線は母さんに向けられた。
「魔石を」
魔石?
私は意味がわからなかったけど、母さんは持っていた籠の中から布を取り出した。
「リナの魔石はこれです」
そう言いながら母さんが布を開くと、中にはビー玉くらいの黒く光る石がある。
(これが私の魔石?)
……っていうか、これ、どうして私のものなの?
何が何だかわからない私もそうだけど、神殿長が僅かに目を見開いているのがわかった。
「……これを持って生まれたのか?」
「はい」
「欠片ではなく?」
「はい。産婆も確認しています」
えぇっ? これを持って生まれたの? 私?
《佳奈》だった私は結婚はおろか恋愛もしたことはなくて、当然出産経験があるわけではない。でも、常識として赤ん坊がどんなふうに生まれてくるのかは知っているつもりだ。
そんな私の常識でも、赤ん坊が母親のお腹の中でこんな石を握っているなんて……ありえない。
狼狽える私をよそに、神殿長は黒い石と私を交互に見た後、演台の上に置かれていた鉛筆くらいの透明な棒をその石に近づけた。
「!」
(な、なにっ?)
黒い石が光った。なんとなくイメージとして黒い光かと思ったのに、目に見えたのは銀色だ。
銀とか、いったいどの神様の加護なの?
その上、今までの赤ん坊の時のように、銀の光はすぐに消えずまだ光っている。
「……神殿長……」
父さんが、震える声で神殿長を呼んだ。
「娘の、リナの加護は……」
「……光の女神、アルベルティナ様と、闇の神、ジルヴァーノ様の加護」
神殿長がそう言った途端、私を抱きしめる父さんの腕の力が強くなる。
「そんな……」
「と~……?」
初めて見る父さんの姿に不安になって思わず呼ぶと、それまで黙っていた母さんが父さんごと私を抱きしめてくれた。
「お二人の加護があるなんて、すごいわよ、リナ」
「か~」
「大丈夫、大丈夫よ」
その母さんの言葉が、まるで自分自身に言い聞かせているようで不安になる。
でも、私は笑って見せた。私が泣くと、きっと父さんも母さんも不安になりそうだと思ったからだ。
その時。
「ウバルド」
少年のような声が聞こえ、祭壇の隣にある扉が開いた。
読んでいただいてありがとうございます。
今日で連休は終わりですが、もう少し毎日更新を続けようと思います。
今後もよろしくお願いします。