50.女の子はお洒落も必要です。
クラリスとの対面が終わり、食パン作りも一段落したころ、私は朝母さんに言われた。
「リナ、今日は母さんと出かけるわよ」
「え?」
お店の手伝いのためにエプロンを付けようとした私は、その言葉に首を傾げた。
今日は普通の日で、お店も休みなわけじゃない。いつもなら母さんも一緒に店に出るはずなのに?
「店はベリンダに頼むから大丈夫よ。今日は生地屋に行って、リナの新しい服の生地を買わなくちゃいけないから。服、小さくなってきたでしょう?」
「あたらしーふく!」
うわっ、嬉しい! 新しい服を作ってくれるんだ!
この世界でももちろん洋服屋はあるみたいだけど、庶民がそこで新しい服を買うことはほとんどないらしい。普通は生地を買い、自分たちで仕立てるんだけど、兄姉がいる者はお下がりがあるし、いないと近所で古着を回し着することも多いみたい。
新しい服を着るのは、洗礼式と成人式、後は結婚式くらいだって母さんから聞いていたから、まさか今私に新しい服を作ってくれるなんて思わなかった。
「リナはケインのお下がりを着るわけにはいかないでしょう?」
異性の兄妹ならではの問題が一つ。
「それに、リナが頑張っていろいろ新しいパンを作ってくれたから。ジャックも、リナに何かしてあげたいって思ったんですって」
なるほど、収入の増加ってこと。砂糖って言う材料費は掛かってるけど、売り上げが伸びたことは事実だもんね。
堅実なっていうか、私がいつまた新しいことを言い出すかわからないせいか、無駄遣いをしないでお金は貯めているみたいだけど、こんなふうに私のために使ってくれようとしているのは素直に嬉しく感じる。
あ、でも。
「に~ちゃは?」
私だけじゃケインが可哀想だと言えば、母さんは苦笑しながら私の髪を撫でてくれた。
「ケインのこともちゃんと考えているから、リナが心配しなくてもいいのよ。リナは、本当にお兄ちゃんが好きなのね」
朝食を済ませると、私は持っている服の中で一番可愛いものを着せられた。あ……本当に、膝が全部出ちゃってる。3歳なんてまだすごく小さいと思ってたけど、私も成長してるんだなぁ。
「さあ、行きましょうか」
母さんも、今日はおめかしをしていた。お客様相手の商売だからいつも身綺麗にはしているけど、髪を綺麗に整えて、薄く紅をさしているだけでもすごく印象が変わる。母さんって本当に美人。
(父さんと並ぶと、美女と野獣だもんね)
父さんは中身がイケメンだからとはいっても、一見強面の筋肉質な人に結婚を申し込まれて、私ならOKを出すかどうかすごく微妙なとこだ。でも、父さんならOKするかなあ……って、私も立派なファザコンになっちゃってる。
母さんと一緒に一階に下りて店に出ると、今日は早く出てくれたベリンダおばさんが、まあまあと弾んだ声を上げた。
「可愛い服を着ているじゃない、リナ」
「へへ、ありがと」
照れくさくて母さんの後ろに隠れると、そのまま体を抱き上げられる。
「うひゃぁっ……と~しゃん?」
いつの間にか厨房から出てきていた父さんが、私を抱き上げてだらしなく顔を緩めていた。
「今日は一段と可愛いな」
「と~しゃん……」
「ジャックはいつもリナは可愛いって言ってるじゃない」
ベリンダおばさんは呆れたように言うけど、父さんはまったく気にした様子がない。
「しかたないだろう、本当に可愛いんだから」
このままじゃ、いつまで経っても解放されそうにない。私が母さんに助けを求めるように視線を向けると、母さんは軽く父さんの腕を叩いた。
「ほら、もうパンが無くなるわよ」
時刻は朝の8時過ぎ。開店直後の忙しさは一段落しただろうけど、パンの焼き上がり時間を知っている常連さんはまたすぐやってくるはずだ。
母さんに言われてそれを思い出したのか、父さんは慌てて厨房に戻っていく。その時、素早く母さんの頬にキスをするのを見てしまった……。
(……相変わらずラブラブなんだから)
町は朝の喧騒に包まれている。
市場に行く人、店に行く人、仕事に向かう人。こんなにもたくさんの人が行きかうところを見るのは初めてかもしれない。
「リナ、迷子にならないように、母さんの手を離したら駄目よ?」
「うん」
多少おぼつかなくなる時もあるけど、私もちゃんと一人で歩ける。でも、人の波に簡単に流されてしまいそうになるほど小さいので、気を抜くと本当に迷子になりそうだ。
(お店がいっぱい……)
今日は市場とは反対の方向に向かって歩く。小さな店が通り沿いに並んでいて、すごく活気があった。うちの近所は食べ物屋が多いみたいで、八百屋さんや果物屋さん、豆屋さんなんかもある。
もう少し歩くと、今度は屋台が並ぶ。でも、なぜか魚屋は見当たらなかった。
(近くに海はないの?)
地図がないので、自分が今いる場所がどんなところかまったくわからない。
「あ、おうましゃん」
通りには、時々荷馬車が通った。麻袋や樽を乗せたそれは、町の西側の方へ向かっているみたい。確か、西側は大店の店が並ぶところだったっけ。グランベルさんの店もあるので、何回か行ったことがあるけど、他の店を見る余裕なんかなかった。
「ここよ」
しばらく歩き、母さんの言葉に立ち止まった私は目の前の店を見上げた。通りに面して1枚だけある窓からは、たくさんの生地が巻かれた状態で積み上げられているのが見える。
(すごい、いっぱい……)
ドアを開ける母さんに続いて店の中に入ると、母さんの背丈以上に布が積みあがっているのがわかった。一つ取ったら崩れてしまうんじゃないかって心配になる。
「あら、アンジェ」
そこに、母さんより少し年上に見えるお姉さんがやってきた。踝までの黄色いドレスに紺の前掛けをして、髪も邪魔じゃないようにきっちり結い上げている。
「リナの服を作ろうと思って」
「リナちゃんの?」
そう言いながら向けられた視線の中には、純粋に驚いたような様子が見えた。え? 母さんの知り合いみたいだけど、もしかして、この人とは初対面?
私の黒い髪や目の色に驚いているんだろうと思ったけど、お姉さんはすぐに楽し気ににっこり笑いかけてくれた。
「綺麗な髪と目の色ね。アンジェ、もっと早く連れてきてくれたらよかったのに」
「あなたに会わせたらリナを着せ替え人形にすると思ったからよ」
「あら、可愛いものを愛でるのは当然じゃない」
お姉さんの言葉に母さんは苦笑してる。気安い会話は、2人が知り合い以上の関係だと教えてくれた。
「リナ、このお姉さんはミシェル。このお店の跡取り娘なのよ」
「そして、アンジェとは幼馴染みなの」
「か~しゃんのおともらち?」
「ん~、可愛い!」
どうしてだか感激したようにそう言ったミシェルお姉さんにギュウッと抱きしめられた。豊満な胸にアワアワとして、良い匂いがすることにびっくりする。母さんの幼馴染みだって言ったけど、こんなに大きな生地屋の娘さんなんだからお金持ちなんじゃないの?
(そんな人と幼馴染みだなんて、もしかしたら母さんも……?)
結婚前の母さんの家のことを考えている間に、母さんとミシェルお姉さんの間では私の服の話が進む。
「じゃあ、仕立てなくていいのね?」
「ええ。リナ、何色が好き?」
「ふぇ? いろ?」
いつの間に、そこまで話が進んでたんだろう。私は慌てて周りの生地に視線を向けた。
「リナ……みじゅいろ」
「みじゅいろ?」
ん? ここではそんな言い方しないのかな? 私は一番手元にある、綺麗な水色の生地を指さす。
「こんにゃの」
「ああ、薄青ね。……うん、リナちゃんの髪の色にも似合うわ」
器用に生地の山からその束を引き抜いたミシェルお姉さんは、私の肩に生地を掛けて色映りを見てくれる。似合うと言われて安心したけど、この生地いったいどのくらいなんだろう?
生地の相場なんてわからなくて、私は付いていた札を覗き込んだ。
「……」
(わ、わかんない……)
お金の単位は教えてもらったけど、数字はまだわからなかったんだ……。
「そうね、リナの好きな色だって言うし、綺麗だからこの生地にするわ」
母さんはちらっと値札を見たけど、あまり顔色が変わらないままそう言う。あ、予算内だったのかな。
あまり高くなかったことに安心して、私は切り分けられる生地をじっと見つめる。
「子供服が作れる分お願い。それと、下着用の白い布も」
……すごい。下着まで手作りなんだ。もしかして、大人になったら作らなきゃいけないの? 私には絶対無理だよ……。不器用じゃないとは思うけど、器用と自信もない私は、簡単に言う母さんを尊敬の目で見る。
その様子を見ていたミシェルお姉さんが、微笑みながら私の髪を撫でてくれた。
「アンジェは裁縫が得意だったから、きっと今回もリナに合う服を作ってくれると思うわ。楽しみに待っているのよ」
母さんの腕を知っているらしい言葉に、私も素直に頷く。
「リナ、たのしみ」
家で裁縫をしている姿はあまり見ないけど、それだけ言うんならきっとすごいのだろう。
「ふふ」
ミシェルさんに細い指で顎をくすぐるように撫でられて、私はうひゃっと首を竦めた。
「他には買わないの? ジャックやケイン用はいいの?」
「まずはリナが先」
「女の子は飾り甲斐があるものね」
飾り甲斐……。ま、まあ、可愛いものは私も好きだけど、ほどほどにしてもらいたいな。
私はミシェルさんと楽しそうに話す母さんを見上げながら、新しい服はどんなに可愛いものなのかなと想像していた。




