48.可愛いお姉さんに会えました。
うちに帰った私は、もう一度最初からクッキーの生地作りをした。
今度は新しく貰ってきた粉を使い、バターも気持ち多めにした。それと、さっきは生地ができたらすぐに型作りに取り掛かったけど、今回は少し寝かせてみた。気休めかもしれないけど、さっきとは違う方法を試してみたかった。
型を作る時も、細い部分は焦げやすいかもしれないのでやめて、全部ハートにしてしまう。まあ、可愛いからいいよね。
その途中、ケインが二階から下りてきた。
「できたっ?」
輝く良い笑顔で言われた時には、失敗してしまったとはすぐに言えなかった。でも、よけていた失敗クッキーを勝手に食べたケインが、
「……硬い」
さすがに困ったような顔をしたので、もう一度作り直すことを告げた。
でも、あの食いしん坊のケインがどうして今まで来なかったんだろうと思ったけど、どうやらクッキー作りを楽しみにしていた私のことを考えて、暴走しそうなケインに呼ぶまで下りてこないようにって父さんが言っていてくれたんだって。
でも、良い匂いはしてくるし、でも呼ばれないしって悶々として下りてきた……っていうか、そろそろヴィンセントたちを迎えに行く時間ということもあったみたいだけど。
「リナなら絶対成功するって! 楽しみにしてるなっ」
硬いと言っていたクッキーをそれから3枚も食べたケインが飛び出して行き、私は時間が迫ってきたことを実感する。ヴィンセントたちの家がどこかはわからないけど、とにかく焼いてしまわないと!
「と~しゃん、ひ、よわめ」
ここまできて、焼き過ぎは怖いので、私は念のため父さんに言った。
「ああ、わかってる」
父さんにお願いすると、さっきの焼き加減で思うところがあったのか、父さんは頷いて炎を調整してくれた。
(今度は、美味しくなって)
祈りながら、鉄板にクッキー生地をのせていく。これが失敗したら、今日のおもてなしはなし、だ。
私は竈の前を陣取って、じっと炎の揺れを見つめていた。
甘い、生地が焼ける匂いがする。
父さんが取り出した鉄板の上のクッキーは、さっきよりも焼き色は薄めだ。生焼けじゃないかと心配になったけど、父さんがそのうちの一つを布を使って器用に取った。
「割ってみるぞ」
「うん」
私に良く見えるよう、父さんは身を屈めてクッキーを二つに割る。見た限りでは焼けているみたいだし、さっきみたいな割るのも一苦労なほどの硬さでもない感じだ。
「熱いからな」
割った一つを布と一緒に渡され、私は何度か息を吹きかけた後、少しだけ齧ってみた。
「……」
「どうだ?」
父さんの心配そうな声が聞こえる。
「リナ?」
「……おいち……」
記憶の中の、売り物のクッキーには程遠い。硬さも、さっきよりずいぶん柔らかくなったけど、まだサクッとした歯触りじゃない。でも、これがクッキーだって言って出されたら、クッキーだなって思えるくらいには改善したと思う。
父さんも残りの半分を食べて、歯触りが良いなって頬が緩んだ。甘いお菓子なんて身近にないから、すごく贅沢な気分になる。
「これなら喜んでもらえるぞ」
父さんの大きな手で頭を撫でてもらい、私も満面の笑みでうんと頷いた。
クッキー作りで汚れたエプロンを脱いで、母さんに頼んで髪の毛も綺麗に結び直してもらった。
この世界で、初めての女の子の友達ができるかもしれないのだ。まあ、相手は私よりも随分お姉さんだから、友達っていうのは変かもしれないけど、いろいろと私の知らないことを教えてもらえるといいな。
特に魔法のこと……水の魔法のこと、教えてもらいたい。
「ただいま!」
落ち着かない気分で二階にいると、下からケインの声が聞こえた。そのまま複数の足音がして、リビングのドアが開く。
「リナ、連れて来たぞ」
最初にケインが入ってきて、次にヴィンセントが少し緊張した顔で入ってくる。そして最後に、ヴィンセントよりも背の高い女の子が入ってきた。
「いらっしゃい、ヴィンセント。こちらがお姉さん?」
私と一緒に待っていた母さんが声を掛けると、ヴィンセントが軽く頭を下げて挨拶をしてくる。
「こんにちは。姉の、クラリスです」
「初めまして、クラリスです」
(うわぁ……)
私は思わず呆けたように口を開けて目の前の女の子を見つめた。だって、すごく可愛かったから。
ヴィンセントと同じ金髪で、緑の目の彼女は足首までの長さのドレスを着ていた。……そう! ドレス!
そんなの、お金持ちの子か貴族しか着ないって思ってたからすごく意外だった。……あれ?
(ヴィンセントの家って、何してるんだろう?)
もう1人の友達のパトリシオのお父さんは学校の先生だって聞いたけど、ヴィンセントの家のことは何も聞いていなかったかも。もしかしたら、すごく裕福な大店の子だったの?
「こ、こんにちは、リナでしゅ」
う……緊張して噛んじゃった。でも、彼女……クラリスは、にっこり笑ってくれた。
「リナちゃんね。会えて嬉しいわ」
「わ、わたしも」
あ~、こんなに可愛い子なんて、緊張しちゃうよ。
ヴィンセントとクラリスに座ってもらい、お茶の準備をする。準備と言っても、飲み物は母さんが出してくれるので、私はさっき焼いたクッキーをテーブルの上に置いた。
「私はいない方が良いでしょう?」
母さんが笑って部屋から出て行き、私は目の前の2人に向き直る。
木の器の中に入っているクッキーを見て、ヴィンセントやクラリスが不思議そうな顔をした。
「これ、何だ?」
「見たことがないわ」
「くっきーでしゅ。たべて」
「くっきー?」
あ、やっぱり、クッキーは珍しいんだ。どうやって食べたらいいのか迷っている2人に、私は1枚食べて見せる。食べ慣れないものを口にするのは勇気がいるだろうし。
すると、まずヴィンセントがクッキーを取って口にした。一口食べて、ちょっとびっくりしたような顔をして、残りを一口で食べてしまう。
「ヴィン?」
ヴィンセントが無言のまま2枚目に手を出したのを見て、クラリスが戸惑ったように名前を呼んだ。
「……食べてみてよ」
こら、ヴィンセント、味の感想を言ってよ。何も言わないから、クラリスがどうしようか迷ってるんだよ。まあ、不味いって言わないから大丈夫だとは思うけど。
「……いただきます」
クラリスも、思い切ったように1枚手に取り、おずおずとそれを口にする。その表情が、見る間に明るく輝いたのを見て、私は内心ガッツポーズをした。
「初めて食べたわ……美味しい……」
「ああ、食べたことがない」
ふぅ、良かった。ひとまずおもてなしができたことに安心して、私は小さく息をついた。
「リナちゃんが私に会いたいって言ってくれたって聞いたわ」
「はい、あいたかった」
クッキーの驚きから覚めたクラリスは、私を見て優しく問いかけてくれた。
私は居住まいをただし、クラリスを見つめる。
「きてくれて、ありがとーごじゃいます」
「ふふ、礼儀正しいのね」
おっとりと笑うクラリスは、容姿はヴィンセントによく似ているけど、性格はちょっと違うみたい。
でも、この人は数少ない高等学校に進んだ女の子なんだよなぁ。確か、教師になりたいんだっけ。
「あのね、りな、おしえてほしーの」
「何をかしら?」
あぅっ、首を傾げる仕草も可愛い!
「みじゅの、じゅちゅご」
「術語を?」
……驚かれちゃった。びっくりしたクラリスの表情に、私は言ったら駄目だったかなってちょっとだけ後悔した。学校に入学したら術語は習うので、普通ならそれまで待っていればいい。どちらにせよ、小さなころは魔力が安定しないらしいし。
でも、私はそれまで待てなかった。私の中には、《リナ》じゃない、《佳奈》の記憶がある。世界は違っても、二十歳まで生きていた私には、知りたい欲というのが強いから。
たぶん、病気に勝つことができなかったから、魔法っていう不思議な力に惹かれているんだと思う。魔法さえ自由に使えたら、病気で死ぬ可能性は少なくなるんじゃないかって。
本当は、光の加護のことを知りたいけど、それは父さんに止められている。父さんに叱られてまで調べるつもりはないけど、魔法というものをもっと詳しく知りたい気持ちはあった。
だから、私にあるという水の加護のことを詳しく知る人と話して、できればその術を一つでも教えてほしいと思った。
「学校に入学しないと、術語は習えないのよ? それはね、身体もできていなくて、術の意味も分からない小さい子を守るためでもあるの。リナちゃんは3歳でしょう?」
「うん」
「3歳は早過ぎるわ。もう少し待ちなさい」
う……やっぱり駄目かぁ。五分五分のつもりだったけど、クラリスってすごく真面目なんだ。あ、だから教師になりたいってこと?
「リナ、諦めろ」
「に~ちゃ」
「リナのことは俺が守るし、今術語を知ることはないって」
一緒に話を聞いていたケインもそう言った。
自分の中の魔力を使うのに、そんなに用心しなくちゃいけないってこと? でも、私、魔法使えたよね? ケインもすごいって言ってたじゃん。
恨めし気にその顔を見ると、ケインは私の髪をグシャグシャに撫でる。
「俺は、リナにだめって言えないからさ。クラリスに言ってもらえばって思って」
「に~ちゃ……」
妹愛が強いんじゃないの? じとっと見上げると、クラリスがくすくすと笑った。
「術語は教えないけど、見せてあげることはできるわ」
「おい」
「ほんとっ?」
ヴィンセントが嫌な顔をしたけど、私は勢いよく身を乗り出す。
「大丈夫よ、ヴィン。術語を聞いても、意味がわからなかったら唱えられないもの」
せっかく美味しいものをいただいたのだからと笑うクラリスの顔は、少し悪戯っぽい表情に見えた。




