47.粉の種類はいろいろです。
どんな味がするんだろうな。
あの美味しいハチミツを使ってるんだから、絶対に美味しくできてると思う。
私は父さんの隣でじっと竈の火を見つめた。パンを焼く時よりは火も小さいみたいだけど……大丈夫かな?
落ち着かないが、私は父さんの腕を信頼しているので、ただクッキーの焼き上がりを待つだけだ。
「……いいか」
そんな呟きの後、父さんが天火から鉄板を出した。
「うわぁ……」
クッキーは見た目には綺麗な色に焼けている。小麦色……よりはうっすらとした色だけど、初めて作ったにしてはなかなかじゃない? 匂いも……うん、バターの良い匂い。
「ほぉ」
父さんも珍しそうに見ている。パンとは全然違うもんね。興味があるのもわかるよ。
「と~しゃん、あじみ」
「そうだな」
ふふ、やっぱり食べてみたいんだね。一応、味見用として作ったただ丸いクッキーを食べるため、鉄板からクッキーを作業台の上に落としてもらった。もちろん、割れないように用心してもらって、だ。
「熱いからな」
一度クッキーに触った父さんは眉間に皺を寄せ、私にやけどをしないようにって注意してくる。焼き立て、熱いもんね。でも、熱いのを食べるのも美味しいんだよ。
少し時間をおいて、ようやく父さんからのお許しが出た。私は嬉々として丸いクッキーを手に取り、いろんな角度から眺めてみる。
(う~ん……少し、硬そうには見えるけど……)
《佳奈》の時に食べていた市販のクッキーとも、手作りしてもらって食べたクッキーとも少し雰囲気は違うが、材料も完璧じゃなく、計量もしていなくて作った物なら十分な気がする。
「いたらきます」
私はパクっと口に含み、そのままサクッと噛んで……噛んで?
(か、硬い……)
すぐに噛むことができなくて、私は行儀が悪いけどそのまま口から出してしまった。最近は柔らかいパンを食べ慣れたせいか、こんな硬いものを食べるのが久しぶりで……ちょっとショックだ。
(え……ど、どうして?)
「硬いな」
サクッではなく、バキッという音でクッキーを噛んだ父さんは、そのままガリガリとクッキーを食べている。私の歯ではちょっと無理だったけど、父さんは一応食べることができたみたいだ。
「これは、こういう食べ物なのか?」
「……ちがう……」
こんなに硬いの、人に食べてもらうなんてできないよ。
でも、どうして? 材料はちゃんと揃えたはずだ。パンの粉に、バターに、卵、そしてハチミツ。卵は白身まで入れちゃったけど、それだけが原因とは思えないし……生地を作る時も、ちゃんと全部混ぜて……。
う……ん……。
「……こにゃ?」
「ん? 何だ?」
パンとクッキーじゃ、粉が違うのは知っている。パンは強力粉で、クッキーは薄力粉か小麦粉。でも、ここで私の手に入るのはずっと使っていたパンの粉だけだし。
(あ~、これじゃ、失敗だよ~)
私は落ち込んだ。せっかく手作りクッキーでもてなそうって思ったのに、これじゃ計画は白紙になったも同然だ。わざわざ来てくれるヴィンセントとお姉さんに、今から父さんにパンを焼いてもらう?
……でも、私がしたいって思ったのに……。
「こにゃがあったら……」
そうだよ、材料さえあれば、まだクッキーを作る時間はあるのに。
「リナ、こにゃって、粉のことか? 入れる量が足りなかったのか?」
うんうんと唸る私に、父さんが心配そうに聞いてくる。違うよ、この上量が増えたら、石みたいに硬くなっちゃうよ。
「ちがうこにゃ、もっとしゃらしゃらで、かりゅい……」
強力粉と薄力粉の違いって、確かグルテンの量だったはずだ。でも、それを具体的に言えって言われても、売っている時はもうちゃんと別々になっているんだから私には難しいよ。
でも、父さんはそんな私のつたない言葉を、ちゃんと聞き分けてくれたらしい。
「違う粉がいるのか? それなら市場に行ったらあるかもしれないが」
「えっ?」
パンの粉以外に売ってるのっ? 私はびっくりして父さんを見上げる。ここにはパンの粉しか売っていないと思っていたからびっくりだ。
「覚えていないか? 前、市場で粉売りに会っただろう?」
「こにゃうり? ……あ」
言われて、思い出した。初めて私が市場に連れて行ってもらった時、ゴザに幾つもの麻袋に粉を入れたものを並べていた露店が確かにあった。ただ、あの時私はそれを良いパンの粉、悪いパンの粉って考えてて。まさか粉自体の種類が幾つもあるなんて考えもしなかった。
「いちば、あいてりゅ?」
「今日は白の日だからな。昼まではやってるぞ」
「ひるまで……」
それならまだ間に合う。でも、父さん、連れて行ってくれる?
私が期待を込めた目で見上げると、父さんは苦笑しながら自分のエプロンを外した。
父さんに抱っこしてもらい、私は市場に出かけた。
昼までのせいか、市場は前来た時よりも大勢の人で賑わっていた。本当ならいろんな店を覗いて、珍しい果物や、欲しかった調味料を探してみたかったんだけど、今日に限って時間がないからしかたがない。
「よう」
「ジャックか」
父さんは人混みに流されることなく歩き、やがて以前見たことがあるおじさんの露店までやってきた。あの時と同じようにゴザの上にはいくつもの麻袋が置かれているけど、何だか前より数が少なくなってる?
「幾ら買うんだ?」
「いや、今日はいつもの粉じゃない。娘が欲しいものがあるみたいでな」
「娘?」
父さんの言葉に、おじさんはようやく私の存在に気づいたらしい。
「……娘か?」
「リナだ。リナ、どんな粉がいるんだ?」
父さんに下ろしてもらい、私は初対面の挨拶でちゃんと頭を下げた。
「こんにちは、リナでしゅ」
あ……噛んじゃった。私は恥ずかしくて顔が赤くなったが、おじさんはびっくりした顔のまま私を見ている。あ~、もしかして、この髪と目の色にびっくりしてるのかな。久しぶりの視線にちょっと肌がざわつくけど、今気にしている時間は私にはない。
おじさんが止めないので、私は、並べられている麻袋を覗き込む。手前にある大きな袋の中は、見慣れたパンの粉だ。
(こっちじゃないか……)
少し離れたところに、まるで区別しているかのように麻袋にマークが書かれてあるものがあった。仲間同士が見分けるマークなのかな。
「……あ」
その中身は、明らかに違った。見慣れたパンの粉より白くて、肌理が細かいのだ。
「はくりきこ!」
「「はくりきこ?」」
父さんとおじさんの声が揃ったので思わず笑ったが、それ以上に探していたものがそこにあったことが嬉しかった。
「と~しゃん、こりぇ! こりぇいる!」
「これか……」
父さんは麻袋の中に手を入れ、その感触に驚いている様子が見える。そうだよね、パンの粉よりずっと滑らかなんだもん。こうして比べてみると、違いがよくわかる。それだけじゃなくて、ちゃんと小麦粉にも違いがあるんだってわかって、作れるものの種類がもっともっと広がった気がした。
(この分なら、探せば絶対にあるかも)
コショウだけじゃなくて、酢とか、味噌とか、醤油とか。うぅ~、想像したら日本食が食べたくなってきたよ~。
(だ、ダメダメ、まずはクッキーを作らなきゃ!)
父さんはおじさんと値段交渉を始める。びっくりすることに、薄力粉はパンの粉……強力粉よりも安いんだって。
「仕入れたはいいが、なかなか使い道がなくってな」
この世界の硬いパンのことを考えるとわからないでもないけど、薄力粉はかなり使い道があると思うんだけどな。
「良かったら、その一袋やるよ」
「え、いいのか?」
おじさんの言葉に父さんと私は驚く。すると、おじさんは少し声を落とした。
「その代わり、その粉で作れるものを教えてくれ。そうしたら売り方も違うからな」
「……」
父さんは困ったように黙り込んでいる。実際にこの薄力粉を使うのは私で、でも父さんは私がいろんなことを知っているとは知られたくなくて。どうしたらいいんだろうって困っている様子がありありとわかる。
(レシピと交換かぁ)
……悪くないんじゃないかな。麻袋1つ……たぶん、10キロぐらいは入っている。私が見たことのあるお米の袋と同じくらいだし。それと引き換えに、1つか2つ、料理を教えても構わない。
私は父さんの服を引っ張る。すぐに気づいてくれた父さんが私を抱き上げてくれたので、その耳元で囁いてみた。
「おちえていーよ。でも、ないちょ」
レシピは教えても、その出どころは秘密にしてもらう。それを約束してくれるんなら、私としては儲けものだ。
私の言葉にしばらく考え込んでいた父さんは、わかったと頷いてくれた。
「教えてもいい。今度俺の店に来てくれ」
「いいのか?」
言ってはみたものの、受け入れてもらえると思っていなかったのか、おじさんはちょっとびっくりしている。父さんは頷き、私を抱いたまま麻袋を持った。
「じゃあな」
「お、おう」
やっぱり駄目だって言われる前にさっさと帰ろう。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、父さんは人混みをぬうように市場から出る。
「おもい?」
「大丈夫だ」
私は何度か下りて歩くって訴えたけど、私が歩くよりも抱えていた方が早いからって却下されてしまった。もう3歳になったんだから、できるだけ自分の足で歩きたいって思ってるんだけど……楽ちんなのは確かだから。
「と~しゃん、いしょいで」
「わかった」
それにしても父さんって力持ちだ。まったく危なげない様子で私と麻袋を抱え、足早にうちへと戻った。




