40.使ったらダメな魔法でした。
私はケインたちの側に行った。断じて、父さんと向き合っているのが居心地悪いわけじゃない。
「に~ちゃ、ぱてぃ?」
「見てみろ」
私はケインが手にしているものを見る。
(……これって、本当にさっきの鼻?)
さっきまで、あの鼻は私が知っている動物の象の鼻のようにちゃんと曲がったり、動いたりしていた。筋肉って言うのかな、生き物の一部って感じに見えてたけど、今ケインが手に持っているのは長い石にしか見えない。
(切り離されたから、石みたいに硬くなったってこと?)
長さは、たぶん4、50センチくらいかな。太さは私の両手で作る輪より少し大きいくらいで、見た目はまさしく石のようにグレーでゴツゴツとした感じのそれは、とてもあの鼻だったとは思えなかった。
中を覗いてみると、何か液体のようなものが見える。
「こりぇ……みちゅ?」
「そうだ。こんなにたっぷりのハチミツは滅多に取れないんだぞっ」
「俺たち、すっごく運がいいな!」
ケインとラウルは興奮したように言い合っている。ここでは中身が出せないからよくわからないけど、この量は滅多にないのか。
(父さんも、大きいって言ってたし……あの象……じゃ、ない、甘大蜂と出会ったのは幸運だったんだ)
「父さん! 見て!」
私に見せた後、ケインは今度は父さんに向かって走る。
「ああ、かなり入っているな。ラウルの家と分けても十分だろう。……案外、早かったな」
空を見上げる父さんにつられて、私も上を見てみる。日はまだ高く、森に入ってからまだそんなに時間は経っていない。
「まだ時間はあるし、少し木の実を取って帰るか?」
「わかった! ラウル、行こう!」
「おう!」
手に持っていた鼻だった石を父さんに渡し、ケインはラウルと森の奥へと走っていく。その場に取り残された私は、どうしようかと途方に暮れた。さすがに私一人で木の実なんて取れない。
「リナ」
「……」
あぅ……そうだ。まず、父さんと向き合わなくちゃいけなかったんだ。
私は側にいる父さんを見上げる。父さんはしばらく私を見下ろし、その後その場に屈み込んだ。私と目線を合わせた父さんは、すごく……怖い顔をしている。
(……怒ってる……?)
いくらおとなしい虫だと言っても、あんな大きな甘大蜂の前に出るなんて、どんな危険があったかもわからないと今ならわかる。何もなくて、向こうから鼻をくれたけど、何度も上手くいくなんて思っていちゃいけない。
それに、私は父さんに言わなかった。習ってもいない魔法を使おうとしているなんて、怒られるかもしれないと思って言えなかった。
私が魔法を使えるって知ったら、父さんはどう思うだろう。
「……」
私をじっと見た父さんは、なかなか話しかけてくれない。沈黙が苦しくて、私はとうとう自分から言った。
「リナ、わりゅいこ?」
どうしてその言葉が出たのか自分でもわからないけど、父さんの驚いた、苦し気な顔を見ていると、自分がしてはいけないことをしたんだと思い知らされた。魔法が使いたいと思っていた気持ちが、見る間にシナシナと萎んでしまう。
「リナは、悪い子じゃない」
手を伸ばした父さんが、私をしっかり抱きしめてくれた。その腕の強さに迷いはなくて、私は安心して息をついた。
「……洗礼式で、リナの魔石が銀色に光った時……どこかで覚悟をしていたんだ」
(覚悟?)
何をって、私は聞き返せなかった。聞いたあとの父さんの答えを知るのが怖かったからだ。
「リナ」
私が黙って父さんに抱きついたままでいると、優しく背中を叩いてくれながら父さんが言った。
「さっきの魔法……絶対に人の前で使うな。今のお前の歳であれほどの光の加護を扱えることを知られたら、俺たちはお前を取られてしまうかもしれない」
思いがけない父さんの言葉に、私は声もなく息をのむ。
(私があの魔法使うのがバレちゃったら、父さんたちと離されちゃうの?)
すぐには、その事実が頭に入らなかった。それは、身近にヴィンセントという光の加護が使える者がいるからだ。ヴィンセントは普通に家族と一緒に暮らしているようだし、学校も行っている。そこに危険などまったく感じられなかった。
それなのに、私だけが違うなんて……やっぱり信じられない。
「どちて?」
「……リナ、父さんの言うことを聞いてくれ。父さんたちのもとから離れないでくれ」
「…………つかわにゃい……」
真剣な父さんの言葉に、私はそう言うしかなかった。
それからしばらくして、ケインとラウルはたくさんの木の実を取って戻ってきた。ついでに薪も拾ってきたらしく、二人は両手いっぱいの荷物だ。
「よく集めて来たな、ご苦労さん」
父さんは笑ってケインたちを迎えていた。
さっきまで真剣な話をしていたそぶりも見せない父さんを、私は少し離れた場所から見ていた。
そう……父さんが真剣に話してくれたことはわかるし、もうあの魔法を使わないと約束もした。でも、なぜ使ってはいけないのか、本当はよくわかっていない。
(光の加護持ちは少ないとかは聞いたけど……)
でも、それだけで、子供を親から引き離すなんてありえる? だいたい、ちょっと癒しが使えたからって、私自身そんなに大きな力を使えるなんて思えない。
「そろそろ帰るか」
父さんが太陽の位置を見ながら言った。今日は、甘大蜂の蜜をとれただけでも大収穫らしい。
「リナ、甘大蜂のハチミツはすっごく美味いんだぞ。もしかしたら、砂糖よりも甘くて美味しいかもな」
「しゃとーより?」
蜂蜜が甘いのは知っているけど、そんなに美味しいの? すぐにでも味見がしたくなったけど、大事なハチミツが入っている象の鼻は、父さんがしっかりと持っているから駄目だ。
(あ……)
森から出ると、私たちと同じように門の中に入ろうとしている人たちを見かけた。その中に1人か2人だろうか、同じような石の筒を持っている人たちの姿もあった。でも、大きさで言えば私たちのが一番大きい。
「俺たちが……」
「な……」
ケインたちも同じことを思ったのか、顔を見合わせてヒソヒソと何か言っている。その様子を見ていると、ケインたちが私のあの治癒の魔法を見ていなかったことがわかる。父さんが明らかに安堵しているのが伝わって、私は父さんに抱き上げられたままそんな二人を見つめていた。
家に戻るなり、ケインは大声で母さんを呼ぶ。
「母さんっ、母さんっ、見て! すっごく大きい蜜壺だよ!」
あ、この鼻のこと、蜜壺って言うんだ。私がたった今わかったことに感心していると、二階から下りてきた母さんがケインの持っている鼻……蜜壺を見て驚いた。
「まあ、そんなに大きなのが取れたの?」
「父さんが取ったんだ!」
「ジャック、ご苦労様」
母さんの労いの言葉に、父さんの表情が緩んだのがわかる。
「リナとケインも、頑張ったわね」
木の実と薪を持っていたケインの頭を撫でた母さんは、そのまま私の頭も撫でてくれる。
「リナも、お疲れ様」
……ごめんなさい。私、全然何もしてないの。あまり堂々とした顔をするのも恥ずかしくて、私はへらっと愛想笑いをしておいた。
「あら、三人とも汚れているじゃない。ジャック、ケインと外で水を浴びる? それとも、もう寒いから家の中で湯を沸かした方がいい?」
母さんに言われて、私は自分の姿を見下ろす。私自身は動き回ったつもりはないんだけど、そう言われるとワンピースの裾や袖が土で汚れていた。
「外でいいだろう、なあ、ケイン」
「うん。父さんと水浴びてくる」
もう秋も深まっているのに、父さんとケインは元気に外に出ていく。でも、私はとても水を浴びる気にならなかった。そんなことをしたら、絶対に風邪をひく自信がある。
「リナは二階に行きましょう」
私は母さんに手を繋がれて二階に上がった。そこには既にタライに湯が張られている。
「ついさっき湯が沸いていたから取っておいたの。さあ、リナ、服を脱いで」
一応ここは誰もが来れる場所だ。幼児とはいえ、女の子の私がいつ誰が来るともわからないリビングで服を脱ぐのは恥ずかしい。
でも、そんな女心は当然わかってもらえず、私は一気に服を脱がされて、下着姿にさせられてしまった。
「さあ、目を閉じて」
まずは顔を拭われ、次に首筋に濡れたタオルが触れていく。
「寒い?」
「しゃむい、ない」
むしろ、少し熱いくらいのお湯で絞ったタオルが肌を綺麗にしていくと、身体がすっきりとしていく気がする。母さんは腕や足など、隅々まで綺麗に拭ってくれて、用意されていたワンピースを着せられた。
ふぅ、何だかどっと疲れたよ。知らない生き物に出会ったことも、魔法を使ったことも。なにより、父さんのあの言葉。あれがまだ私の胸の中に重く伸し掛かっている。
(母さんは、どう思ってるんだろう?)
母さんは私が治癒の魔法を使うことを知らない。でも、洗礼式での魔石の色の変化は見ているのだ。やっぱり父さんと同じようなことを言うんだろうか。
私は夕食の支度を始める母さんの後ろ姿を見ながら、自分の手を見つめた。
(……光の加護……持っていない方がいいの?)
治癒が出来るなんてすごいことだと思うのに、それを使っちゃいけないなんて。
(ファンタジーの世界を実感できると思ったんだけど……)
私は手を下ろし、首を横に振った。
何にせよ、父さんの言葉を無視してまであの魔法を使おうなんて思わない。私はずっと、この家族と一緒にいたいんだもん。
「……ひみちゅ……しゅる」
それが、今の私の生活を守るためなら。




