39.不思議な生き物との遭遇です。
少しだけ、痛い表現があるかもです。
「……美味い……」
しみじみと言うラウルに、私ではなくケインが胸を張って自慢げに笑う。
「そうだろ? うちのパンは美味しいし、リナは珍しい食べ方を考えてくれるし」
なぜ、ケインが自信満々なんだろう? 私は首を傾げたが、せっかく気分がよさそうなケインの言葉に横やりを入れるつもりはない。
すると、ラウルがいいなぁとしみじみ言った。
「俺んちは男ばっかだし、みんな肉さえ食えたらいいって感じだから、こんな変わった食べ方を考える奴なんていないんだよなぁ」
まあ、そうだろうな。ラウルの家は男兄弟ばっかりで、どちらかというと質より量って感じだもん。
でも、食べ盛りの男の子はそっちの方が良いと思うけどなあ。
(……ん?)
ふと、視界の端に黄色いものが過った気がした。
「え……?」
何だろうとそっちを向いた私は、
「!」
思いがけないものを見て、思わず手に持っていたハンバーガーを落としてしまう。
「あ、リナ、落ちちゃったぞ」
ケインが慌てて駆け寄ってきた。その腕を、私はしがみつくように掴む。
「リナ?」
「ぞ……」
「ぞ?」
「ぞーしゃ……」
そう、私たちより10メートルくらい離れた茂みの側にいるのは、まさしく私の知っている象だった。
ううん、違う。長い鼻に大きな耳のその姿は一見して象なんだけど、なぜかその背中には二枚の羽がある。まるで、昔見たアニメの、あの空を飛ぶ象みたいな……あ、あれは耳で飛んでたんだっけ、あ。羽……だけじゃない。
(……あの尻尾って……針?)
象のお尻にあるはずの細い尻尾の先は鋭く尖っている。ユラユラ揺れているが、あの尻尾の先はどう見たって硬そうだ。
大きさは私くらいって言ってたのに、どう見たってもっと大きいよ。ううん、あまりのインパクトに実物よりも大きく見えてしまってるのかもしれない。
何より、その色! 塗ったわけでもないのに黄色なんて……。
なに、甘大蜂って虫じゃなかったの? 象って、ちょっと、すっごく予想外だよ!
あ、でも、確かに父さんははっきり虫だって言ってなかった。蜜を集めるということと、羽と針のことを聞いて、私が勝手に大きな蜂のイメージになってただけかも……。
(で、でも、蜜壺って? 手に持って歩くなんて出来ないんじゃない?)
甘大蜂は私たちの存在に気づいているのか、こっちを向いて長い鼻を上げる。フォ~ンと鳴く姿は……か、可愛い。ちょっと余計なものはついてるけど、私にとっては象だもん。
四つ足で歩く象がどうやって蜜を集めるのか、最初の衝撃から立ち直った私は思わず象の方へと近づこうとした。
「リナッ、じっとしていろっ」
でも、私が動こうとしたのと同時に、父さんが私たち三人の前に立ち塞がった。
私にとってはちょっと変わった象なんだけど、父さんには警戒すべき虫? 動物みたい。
「リナ、俺たちの後ろにいるんだっ」
ケインとラウルも私を自分たちの背中に隠して、準備していた小さなナイフを構える。う、嘘、もしかして殺しちゃうの? 甘大蜂は子供好きって言ってたじゃない! きっと優しいんだよ!
「と~しゃんっ」
「こいつは滅多に見ない大型だ。いくらおとなしいとは言っても、相手は虫だからな」
む、虫……やっぱり虫か。虫の定義を教えてよ、父さん……。
私が一人途方に暮れている間に、父さんはじりじり甘大蜂との距離を縮めている。
「に~ちゃ、みちゅ、どこ?」
「あの鼻だよ」
「はにゃ?」
「あれを切り落としたら表面は硬い石になって、中にハチミツがあるんだ」
うわぁ~、またしてもファンタジー! 象の鼻の中に蜜があるなんて。でも、鼻を切られたらあの子、どうなってしまうんだろう。ま、まさか、死んじゃったりとか……。
「いちゃい? ちんじゃう?」
「死なないよ。しばらくしたらまた鼻は生えてくるんだ」
……鼻が生える。それもちょっと信じられないけど、切って死んでしまうわけじゃないのは良かった。じゃあ、後は怪我をしないよう、あの鼻を切り落とせばいいってことか?
父さんと甘大蜂の距離は半分以上縮まった。後2メートルくらいだろうか、父さんは緊張した表情を崩していないし、甘大蜂の方も警戒したように鼻を上げ、尻尾もピンと張っている。
太いアレに刺されたら、どうなっちゃうんだろう。
(ケンカしないで、頼んだらくれないかな)
「リナッ?」
私はトコトコと父さんの側に駆け寄った。目の前の獲物に集中していた父さんも、私が側にきたことにすぐに気づいてくれて、慌てたように甘大蜂に背を向けて抱きしめてくれる。
「危ないだろうっ、ケインの後ろにいるんだっ」
「リナ、おねあいしゅるっ。みちゅ、ちょうらいっ!」
自分の鼻を切られるんだから甘大蜂にとったらとんでもない頼みかもしれないけど、蜜を集めるほど甘いもの好きな虫なら、後でお礼として甘味を持ってくるよ。
「おねあいっ」
私は父さんの腕の中から必死に顔を覗かせて甘大蜂に頼む。つぶらな目と視線が合ったような気がした。
「あ!」
その声は、ケインだったのか、ラウルだったのか。
私は振り向いて確かめることができなかった。だって、目の前の甘大蜂が、まるで切り落としていいよとでも言うように鼻を真っ直ぐに伸ばしたからだ。
私はじっと甘大蜂を見た。甘大蜂も、私をじっと見ている。
(……いいの?)
声に出さずに言った言葉に頷いてくれたのが見えて、私は父さんに言った。
「と~しゃん、くりぇりゅって」
「甘大蜂が言ったのか?」
「あい」
父さんは私と甘大蜂を交互に見ていたが、やがて持っていたナイフを握り直すと慎重に足を踏み出す。相手が反撃したらいつでも逃げられるような、そんな足の運びの後、父さんは一瞬だけ躊躇った様子を見せて、すぐに手を伸ばして鼻を掴んだ。
それでも、甘大蜂は動かない。本当に鼻をくれるのだとわかった父さんは、一刀で鼻を切り落とした。
「……っ」
血は、出ていない。でも、アンバランスなその姿がとても痛そうに見えて、私は思わず手を伸ばしていた。
「リナッ?」
「ぱてぃ」
(私のお願いを聞いてくれて、ありがとう)
甘大蜂も甘えるように私に鼻を伸ばしかけたが、切り落とされてしまったことに気づいて鼻を鳴らす。それが可愛くて、可哀想で、私は半泣きになった。
私たちは、動物の肉を食べる。卵も食べるし、搾った牛の乳も飲む。それは生きていくうえで大事な糧で、頭のどこかでは当たり前のことだと思っていた。でも、ちゃんとありがとうって思わないといけない。
だから、目の前の甘大蜂だけを助けてあげたいって思うのはおこがましいかもしれないけど、私は何かせずにいられなかった。
(あの時、ヴィンセントは何て言った……?)
家での練習では上手く言えなかったけど、落ち着いて、ちゃんと言葉の意味を考えて。
(傷を癒してくれるための言葉……)
「治癒」
言葉と共に甘大蜂の切り落とされてしまった鼻の部分に手が触れた瞬間、淡い金色の光がほのかに輝いたかと思うと、
「!」
見る間に鼻が元通りに生えていた。
(……え?)
私は慌てて自分の手を見る。別に温かくも痛くもなってない。
私のために鼻をくれた甘大蜂に痛みがないように、どうにかしてあげたいって思ったけど、まさか私がヴィンセントと同じ魔法を使えるとは思わなかった。
「……リナ……」
自分が引き起こしたことに驚いていた私は、呆然とした呟きにハッと顔を上げる。そこには、目を瞠った父さんが私を見ていた。
しばらく、時間が止まってしまったかのように感じたけど、フォ~ンという甲高い鳴き声に私も父さんも反射的に顔を向けた。そこではすっかり元通りの姿になった甘大蜂が、まるで礼を言うかのように鼻を上げて鳴いている。
「……ありあと」
ブオ~ン
一際大きく鳴いた後、数メートル走った甘大蜂が飛び上がった。
「おぉ!」
一見、とても重そうに見える体が、何の苦も無く空を飛んでいる。すごい……私くらいなら乗れそうな感じもしてしまう。甘大蜂は何周か私たちの頭上を回りながら飛んだ後、森の奥の方へ消えていった。
「甘大蜂だ!」
「いたぞ!」
あちこちから声が聞こえる。あれだけの大きさだもん、飛んだら絶対に見つかっちゃうよ。
(もう、誰にも捕まらないように……)
私はそう願った。自分勝手かもしれないけど、そう思う。
甘大蜂がいなくなってしまうと、急に父さんの存在が大きくなった。……どうしよう。あんな魔法、どうして使えるんだって問い詰められるかもしれない。
教えてもらったわけじゃないし、私が勝手に使っただけだし。
(……っていうか、本当に使えるなんてびっくりなんだけど)
どっちにせよ、父さんには絶対に何か言われる。今の魔法のこともだけど、言うことを聞かないで飛び出してしまったことも怒られるだろう。私は覚悟して向き合おうとした。
「あ! 硬くなった!」
「ホントだ、すげぇ!」
沈黙の中、ケインとラウルのはしゃぐ声が響く。
……あ、この2人の存在、忘れてた。
いつも誤字報告ありがとうございます。とても助かっています。
あと、時間がある時にちょこちょこ設定がおかしいところは直しています。ご了承ください。




