37.美味しいものの効果は絶大です。
どう見たって丸太に座って食べる姿も、ましてや立ち食いなんて絶対に似合わない二人だ。
食べるよう勧めた自分を後悔してしまい、私は籠の中と、エルさんとシュルさんの顔を順番に見てしまった。
(どうしよう……)
でも、私が悩んでいる間に、エルさんは覚悟を決めたらしい。
さっきまで私が座っていた丸太に腰を下ろしてしまった。フード付きのマントを着ているので服が汚れることはないだろうけど……やっぱり似合わない。
「……」
私が内心オロオロしていると、エルさんのアイスブルーの目が向けられる。そこに怒った色がないことに安心して、私は思い切って籠を手渡した。
「どーじょ」
「先にいただくね」
でも、先にパンを手にしたのはシュルさんだった。シュルさん、お腹空いてたのかな?
彼はパンを目の前に持ってきて、じっくり観察するように見ている。
「……柔らかいパンだね。それに、とても良い匂いがする」
どうやら、彼らみたいに良いとこの坊ちゃんたちも、柔らかなパンは珍しいみたい。
どこか飄々としている感じだったシュルさんの表情が子供っぽくなり、意外に大きな一口でハンバーガーもどきを口にする。
「……っ」
(あ……びっくりしてる)
私は思わず笑ってしまった。
柔らかいパンもそうだけど、今回のカツは結構自信作なんだもん。まあ、作る時はすごく大変だったけど。
(油で揚げるって意識がなかったし)
貴族はどうか知らないけど、庶民は油で揚げるという意識がなくて、そこから説明するのが凄く大変だった。どうやら、油自体が高いもので、大量に使う揚げ物など考えたこともないらしくて。
うちにも油はあまりなかったから、三軒隣の肉屋、ラウルの家からラードを譲ってもらって、それを融かして揚げ油に使ったんだけど、案外これがコクのある揚げ物を作ることができたんだよね。
「おいち?」
その表情と、見る間に減っていくパンを見れば答えはわかっていたけど、私はどうしても聞きたくて声を掛ける。
すると、残り三分の一ほどでようやく手を止めたシュルさんが、素晴らしい笑顔で頷いてくれた。
「こんなに美味しい料理は初めて食べた。……凄いな、平民はこんなものを食べているのか」
後半は小さな声だったので聞き取れなかったけど、シュルさんが満足してくれたのは伝わった。
私は今度こそと思いながら、エルさんに籠を差し出す。
エルさんはチラッとシュルさんを見てから、そっとパンを手に取った。
すると、無表情な顔の眉間に、少し皺が寄ったのが見える。エルさんはあんまり柔らかいものが好きじゃないのかなと私が首を傾げている間に、彼は綺麗な所作でハンバーガーもどきを口にした。
「……」
シュルさんほどあからさまな反応じゃなかったけど、エルさんの食べる速度も速くなっている。気に入ってくれたみたいで、少し安心した。もしかしたら、エルさんは食べないかもしれないって思っていたから。
その間に先に食べ終えたシュルさんが、にこっと笑ったまま私の前に屈み込む。
「とても美味しかったよ。このパンも柔らかくてすごかったけど、中の肉、あんな料理は初めて食べたよ。これは、君の父上が考えたもの?」
食べ盛りの男の子らしく、シュルさんはカツに興味があるみたい。作り方自体は簡単だから、油があれば作れると思うよ。
でも、私みたいな子供が詳しく説明するのはやっぱり変だろうし、何も知らないってことにした方がいいよね。
「リナ、ちらにゃい」
「……本当に?」
首を傾げ、ずいっと顔を寄せられる。美形のアップは耐えられるけど、あんまり追求しないでほしいよ。
私がへらっと笑うと、シュルさんは読めない笑顔のまま肩を竦める。……諦めてくれたのかな?
私が思ったよりもずっと早く、二人はハンバーガーもどきを食べ終えた。満足げな顔をしてくれているので、出した甲斐があるってもんだよね。
でも、私が食べる時はどうしたって口元が汚れちゃうのに、この二人は食べ方ももちろんだけど、その後の口もすごく綺麗。これが上流階級ってものなのかなと感心する。
「リナ」
立ち上がったエルさんが、じっと私を見下ろしてきた。
「素晴らしいものを馳走になりました」
う……硬いよ、硬い。ここは、「ご馳走様~」で終わるとこでしょ。
「リナも」
それに、これは私が一方的にご馳走したわけじゃない。あ、食べてもらいたいなって思っていたのは本当だけど、その前に私の方がエルさんにお守りを貰ったんだもん。……これ、お守りだよね? 何かあったらわかるって言ってたんだから。
(別に、何もないと思うけど)
生まれてから今まで、私は全く危険な目に遭ったことがない。だから、何かあったらっていう仮定はあまりピンとこないけど、彼が私のことを心配してくれているのはすごく伝わってくる。
私はエプロンのポケットに入れていた小さな水晶玉を取り出した。
「こりぇ、ありあと」
「……できるだけ、肌身離さず持っているように」
「あい」
ずっと持っていることは難しいだろうけどね。
秋も深まり、風も冷たくなった。
「準備できたか?」
「あい」
私はワンピースの上にコートを羽織る。ケインのお下がりだからあまり可愛くないし、ちょっと草臥れた感じだけど、着ているとやっぱり温かい。風邪をひいたら大変だからと着せられたけど、雪も降っていないのに今から厚着してたら大変じゃない?
私、すごく健康になったんだし、今まで風邪もろくにひいていないんだよ? それに、子供は風の子だって言うし、まだコートは早いと思うんだけど……。
今日は、いよいよグランベルさんの店で白パンの発売が始まる。父さんはその売れ行きが気になってしかたがないらしく、こっそり見に行かないかと私を誘ってきた。もちろん、私も気になるのですぐに頷いたけど、どうだろ、お客さん、来てるかな?
父さんが白パンとマヨネーズのレシピを商業ギルドに登録してから、60日。ようやくここまで来たって感じ。
「と~しゃん」
「行こうか」
私は父さんに抱き上げられる。本当は自分の足で歩きたいんだけど、最近仕事が忙し過ぎてスキンシップが少ないと嘆く父さんへのサービスだからしかたない。それに、がっしりとした体格の父さんに抱き上げられているのは安心できて、楽ちんなのも悪くないし。
「おきゃくしゃん、いるかな~」
「どうだろうな」
「ちろパン、うりぇりゅかな~」
「売れたらいいな」
そういえば、私最近、言葉数がぐっと増えた。これは、ケインの友達とよく話をするようになったから。家族って、どんなに拙い言葉でもちゃんと意味を考えてくれるけど、よその人はそんなわけにはいかないでしょ? ケインの友達も、特にラウルなんか結構ズバズバ言ってきた。でも、そのおかげで鍛えられたんだよね。
意外に思うのは、ヴィンセントが世話好きだったってこと。初対面でのそっけなさはどこに行ったんだって思うほど、私の世話を焼いてくれるようになった。……ケインが焼きもちやくくらい。
でも、私はヴィンセントと仲良くなって嬉しかった。私と同じ水の加護持ちのお姉さんの話もしてくれたし。春になったら、そのお姉さんとも会わせてくれるって言ってる。春になったら私は3歳、今より話せるようになってるといいなあ。
(あ……綺麗……)
三十分近く歩いただろうか。町の雰囲気が少し変わってきた。一軒一軒の家が明らかに綺麗になっているのだ。
(空気も違うみたいに感じる……。この辺りはもう、大きい店が多いみたい)
以前、一度だけ父さんにここに連れてきてもらった。でも、あの時は父さんとグランベルさんの話し合いがどうなるのか気になってしかたがなくて、あまり周りを気にしていなかった。だから、今初めて目にした感じの南の町は、私にとってまさに別世界だ。
下町の、小さな店がひしめき合っているのとは違い、この辺りは一軒が大きいし、窓ガラスも幾つもついている。ガラスって高いから、それをふんだんに使っているお店は、かなり裕福だと思う。
あとは、歩いている人たち。皆綺麗な服を着て、髪もきちんとセットされている。下町では滅多に見ない馬車も行きかっているし、とにかくすごいっていう印象しかない。
(父さん、こんなところに通ってたんだ……)
普通なら、下町の人間が大店が並ぶ西側や、貴族街に隣接する北の広場に足を踏み入れるなんて、緊張してしかたがないと思う。そんな中、60日間も通っている父さんはすごい。
またしばらく歩くと、大きな噴水のある広場に出た。
(あれ? ここが北の広場?)
どこからか、パンの良い匂いがしてくる。私がキョロキョロと辺りを見回していると、父さんが軽く私の体を揺すりながら言った。
「リナ、あれがグランベルさんの店だ」
父さんが教えてくれた先を見てみて驚いた。
「しゅごい……」
前見た時は、店にはそれなりに客はいたけど、それだけだった。でも、今目の前に広がる光景は、ずらっと並んでいる人々の行列だ。
「うわぁ……」
少し離れたところには、何台かの馬車が停まっている。御者が店を行き来しているので、あの馬車もパンを買いに来た人のものだろう。
「と~しゃん……」
「まさか、ここまでとはな……」
白パン……柔らかいパンは、ここまで熱狂的に受け入れられたんだ。
私にとって、自分の食生活が少しでも良くなるようにと父さんに伝えただけなのに……もちろん、美味しいパンが広まればいいなとは思ったけど、こんな光景を見てしまうとちょっと動揺してしまう。
(……良かったん、だよね?)
この世界の常識を曲げたわけじゃない。私はそう自分に言い聞かせながら、長い行列を作る人々を見つめていた。




