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35.文字を覚えるのも大変です。

 私は頭を抱えた。

 術語を覚えるためにも勉強しなくちゃいけない。勉強するには字を書いたり、読んだりしなくちゃいけないと思って、ごく自然にケインに教えてもらおうと思った。

 でも、字を覚える前に、私はペンをちゃんと持てない。そんな簡単なこともできないことに勝手に驚いて、落ち込んで……私はガッカリした気分で俯いてしまう。

(もっと、簡単に考えてた……)

 自分が2歳だという自覚はあったが、一方で二十歳まで生きた記憶がある私は、出来ることと出来ないことの境界線がどこか曖昧だ。勝手に暴走して、勝手に落ち込んで……ふぅ、駄目だな、私。

「あ、リナ、待ってて」

 不意にケインは立ちあがり、そのまま部屋から出て行った。どこに行ったのかと思ったがすぐに戻ってきて、その手の中には白くて細いものが握られている。

「に~ちゃ?」

「これ、俺が前に使っていた石筆。これなら小さくていいだろ?」

(石筆?)

 初めて聞く名前に内心首を傾げながら、私はケインからそれを受け取った。

 ぱっと見た時はチョークかと思ったが、よく見てみるとチョークではない。どちらかというと柔らかい白い石といった感じだろうか。

「にゃに?」

「これで、ちゃんと字が書けるんだ。俺は薪にする木とか、裏の石畳に書いて遊んでた」

(石筆、かぁ)

「文具は学校からの支給だから、リナの遊び道具には出来ないんだ」

 学校の支給か。個人で用意できない人もいるだろうからってこと?

何となく、この世界は紙が高いんだろうなって思う。実際、ケインのノートは少し黄色味がかっていて、ざらついていて、私の良く知っている白いノートではなかった。

 そんな大事なノートを、私の字の練習で使うことはできないよね。だったら……あ、さっきケインが言ってたじゃない。

「に~ちゃ、こっち!」

 私はちゃっかり石筆を握り、もう片方でケインの腕を引っ張った。


 店に下りると、ちょうど接客が終わった母さんが声を掛けてきた。

「どこに行くの?」

「おしょと!」

 私は裏口から外に出ると、ちょうど家の裏側にある薪置き場に向かった。

 パンを焼くのに毎日竈を使ううちの店は薪もすごく使う。細い枝はケインが森で拾ってきて、時々父さんが店が休みの時に大きな木を切ってきて備えているみたい。

 その、父さんが切ってきた大きな木は三十センチくらいの長さのものが多いんだけど、これを縦に切ったら私の字の練習にちょうどいい大きさの木板になる気がしたのだ。

「に~ちゃ、こりぇ!」

「これ? ……どうするんだ?」

 私はさっき受け取ったばかりの石筆を見せる。

「べんきょー」

「……字が書けるように切れってこと?」

「あい!」

 ケインは困ったように私を見下ろし、次に丸太を見る。ん? ケインには切れないのかな?

「だめ?」

「……でも、リナ、欲しいんだろう?」

「ほちぃ」

 紙やペンが高くて簡単に使えないのなら、タダで練習できるものを使うしかないでしょう?

 ケインは勉強するのが早いって言うけど、私だって難しいことが出来るとは思っていない。少しずつ、この世界のことも含めて勉強したいだけなんだよ?


 ケインはふうっと息をついて、大きめの丸太を取ってくる。そして、もう一度家の中に入ってから、今度は斧を持ってきた。

 8歳のケインの手には少し大きめな斧に、私は大丈夫かなと心配になった。

「に~ちゃ、らいじょぶ?」

「父さんの手伝いをしてるからな」

 おぉっ、頼もしい!

 少し離れているように言われて素直に下がった私は、ワクワクした気分でケインを見る。

「がんばりぇ~」

 私の応援の声を背に、ケインは斧を振りかぶる。そして、

「よっ!」

 掛け声と共に斧を振り下ろすと、それは惜しくも薪の端を掠り、その衝撃で薪が裏口のドアへ飛んで行ってしまった。


 ガツッ!!


 思いがけない大きな音がして、私はびっくりして固まる。

 ケインも斧を振り下ろしたまま止まっていたら、

「何をしているんだっ!」

 いきなり裏口が開いて、怖い顔をした父さんが大声で言った。




 それから、ケインは勝手に斧を使ったことを父さんに叱られてしまった。

 私は、私が頼んだからって言ったんだけど、父さんは年上の方が悪いって。斧を使っていたケインだけじゃなく、私も怪我をしたかもしれないからって言った。

 ケインは使ったことがあるようなことを言っていたけど、それも父さんが見ている前でしていたらしいので、一人で扱わせるのは不安だったかもしれない。

「……ごめんしゃい……」

 私はケインに謝った。すぐに石筆を使いたがった私のせいで、ケインが叱られてしまったのだ。

「いや、あれは俺が悪かった。リナが怪我をしたら大変だもんな」

「に~ちゃ……」

 大好き、ケイン!

 私は、私のことを考えてくれるケインに感激して腰に抱き着く。すると、ケインは笑いながらポンポンと頭を軽く叩いた。

「ほら、勉強するんだろ? 父さんがせっかく木板を作ってくれたから」

「あい」


 父さんはケインを叱った後、私が何を欲しがったかを改めて聞いて、丸太を縦に薄く何枚か切ってくれた。 少し濃い色の木だったので、石筆で線を書いてみたら結構見える。

 もちろん、斧で切った断面は凸凹で、滑らかとは言い難いけど、幼児の練習ならば今はこれで十分だ。

「リナの、おにゃまえ」

「リナの名前か。……え~とリ、ナ」

 ケインが名前を言いながら書いてくれた字をじっと見る。

(……全然知らない字だ……)

 当然、日本語でも、英語でもない文字だ。イメージだけで言えば、アラビア文字みたいかなとも思うけど、それよりはもっとカクカクした感じかな。

 ただ、私の中にはまったくない雰囲気の文字なので、覚えるのに時間が掛かりそう……。

「リナ、書いてみたら」

「……」

 私は石筆を握る形で持ち、ケインが書いてくれた文字の下に同じように書いてみる。ただ真似をしているだけなのに、こうしてみるとまったく違うようにしか見えない。

「ちあう……」

(……先は長いよ……)






 それから毎日、私は文字を練習した。

 何度も何度も自分の名前を書いて、ようやく満足すると次に母さんの名前。

 アンジェ、ジャック、ケイン。家族の名前はちゃんと書きたかった。今の私に書く機会なんてないだろうし、ただの自己満足だけど。

 でも、こうして字を覚えれば、パンのレシピとか書き残すことが出来る。言葉が遅くても、読んでもらえればわかるなら十分だし。

 私が文字の練習をしているのを見て、父さんは何枚も木板を作ってくれた。

 私は一人遊びのように木板に覚えた文字を書き、またケインに教えてもらって、覚えるまで書いた。


 今日も天気がいいので、裏庭に出て椅子代わりの丸太に腰を下ろすと、木板を膝に乗せて文字を書く。

 もう、家族の名前はばっちりだ……と、思う。

(日本みたいに、あいうえお表とかあったら便利なんだけどなぁ)

 単語で覚えるのはなかなか大変だ。

「リ……ナ、アン……ジェ……」

 ゆっくり言いながら石筆を動かしていた私は、

「?」

 不意に、木板に影が落ちたのに気づいて顔を上げた。

「あ……」

「何をしている?」

「びちょーねん!」

「……びちょうねん?」

 そこにいたのは訝し気な表情も綺麗な、プラチナブロンドの綺麗な髪に、少し暗いアイスブルーの目の、あの美少年だった。




(な、名前、何だったっけ?)

 この暑いのにフードを被ってはいるが、顔はちゃんとわかる。この美少年の顔を忘れるはずはなかった。

 私は焦って考える。顔はすぐに思い出せた。神殿で私に助け舟を出してくれ、次にうちに来てフレンチトーストを食べた美少年。

 確か、名前はちゃんと教えてもらったはずだ。ただ、ちょっとだけ覚えにくかっただけで……。

「字が書けるんですか?」

 同じようにフードを被っているものの、そこから綺麗な水色の髪が覗いている少年が後ろから顔を覗かせた。

「あ……おちゅきのちと!」

 美少年の後ろから顔を覗かせたこの人の名前も、確かに知っているのに。私はうんうん唸ったものの、焦れば焦るほど名前が出てこない。

 助けを求めるようにチラッと水色の髪の少年を見たが、楽し気に口元を緩めたものの名乗ってはくれない。

(……ケチ……)


 リナがじとっと見ていると、プラチナブロンドの髪の美少年がリナの手から石筆を取る。何をするのかと見ていれば、木板にサラサラと文字を書いた。

 見たことがない単語だが、それぞれの字の中に読めるものがある。

「エ……ベル……」

 その後は……ハ……?

「読めるのですか」

 少し驚いたような声に、私は落ち込む。

「……じぇんぶ……ちぁう」

 ここで全部読めたら完璧なので、こんなに途切れ途切れじゃ意味がない。

 でも、これって何を書いているんだろう? あ、名前? エベル?

「! えりゅしゃん!」

 不意に、頭の中にその単語が浮かんだ。

 すると、水色の髪の少年がぷっと噴き出すのが見えた。

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