32.調味料も手作りできます。
思ったよりも早く家に帰ると、父さんの方が先に帰っていた。
案の定……叱られた。南の森は魔物(魔物っているんだ)がいない安全な森らしく、子供達でも行っていいらしいけど、さすがに2歳の私が子供だけで行くのは危なすぎるって。
ある意味父さん不在の隙を狙った私は叱られても当然だけど、ケインまで叱られるのは可哀想で、私はケインに抱きついてずっとごめんなさいって言い続けた。
父さんも、次は父さんがついて行くからと約束して許してくれた。
早めの夕飯を終えた後は、父さんがパン屋の会合の話をしてくれた。
「リナが言っていたように、酵母を譲るか、作り方を教える代わりに何某かの権利を貰いたいってグランベルさんに伝えたんだ」
父さんみたいな下町の店の主人が、貴族とも繋がりがある大店の主人相手に要求を突きつけるなんてすごい勇気が必要だったと思う。それくらい、父さんは白パンの作り方を教えた私を守ってくれる気持ちと、パン作りの職人としてのプライドが強かったのかもしれない。
「それで? 向こうは何て言ったの?」
心配そうに聞く母さんに、父さんは少しだけ表情を和らげた。
「明日、一緒に商業ギルドに行くことになった」
商業ギルド? ……って、何?
「父さん、商業ギルドって?」
おぉっ、私の疑問をケインが口にしてくれたよ。
私というよりもケインに説明するように、父さんは商業ギルドというのは何か話してくれた。
商業ギルドは北の広場にあって、この領地、ベルトナールで商売をするものは皆登録をしなければならないらしい。そこに、月々店の規模に合わせた登録料を支払って、それがギルドの運営費になるみたい。
ギルドの仕事は登録の管理と、問題があった場合の対処が主らしいけど、それぞれの商売上の特殊な技量や商品などを登録する制度もあるって……それって、やっぱり特許の制度と同じだよね?
もちろん、前の世界のようにきっちりとした取り決めがあるのかはわからないけど、せっかく考えたものに対する補償がいくらかでもあるのなら安心だ。
「と~しゃん、とうりょくしゅりゅ?」
「ああ。グランベルさんもその方が良いだろうと言ってくれた。俺が教える分の料金もくれるって言うしな」
(なるほど……さすが大きなお店の主人だな)
父さんが白パンの作り方を登録したとしても、何も知らない人間が酵母の扱い方がわかるはずがない。そうなると、唯一作り方を知っている父さんをいち早く確保することは必須だもんね。
「うちはどうするの?」
「しばらくは少し早めに店を閉めてから教えに行くことになるな」
「体を壊さないでね」
「アンジェ……」
いきなりラブラブな空気を醸し出した二人を置いて、私とケインは自分の部屋に行く。私はまだ小さいので、母さんたちと同じ部屋だ。
とにかく、一応グランベルさんとの話が上手くいって良かった。
「……ふぅ」
ベッドに仰向けに倒れ込み、私は大きな深呼吸をした。
(疲れたぁ……)
初めて森に行って、初めて魔法を使った。体力的にはまだ大丈夫だと思うけど、精神的に疲れちゃった。
(2歳児が精神的にって……)
自分で考えて思わず笑ってしまうが、これも2歳児の中に二十歳の《佳奈》の記憶がある弊害かもしれない。
自分で考えても子供らしい子供じゃないけど、それでも家族は変わらず愛してくれているから不安にはならない。
それよりも、私は自分の手を目の前に翳した。
「ちしゃい……」
こんなに小さい手だというのに、本当に魔法が使えたのか今でも信じられない。だけど、寝室で水を出すわけにはいかないので、確かめられなくてムズムズする。
「……あ」
ふと思い出し、私は片足を上げる。擦り剥いたはずなのに、ヴィンセントが治してくれた足。今見てもまったく傷跡はない。
(あの時、何て言ってたっけ……オー……サ? オーサ)
「おーしゃ」
試しに口にしてみたが、まったく何の異変もない。
(ちゃんと、その術語の意味を知っていなくっちゃ駄目だっけ……)
パトリシオが話してくれたことを思い出してちょっとがっかりした。魔法を使う時の術語は聞けばわかるけど、その意味は習わないとまったくわからない。ヴィンセントが言っていた《オーサ》という言葉も、今の私はただの音としか認識できないし。
学校に行くようになったら習うって言ったけど、まだ何年も待たなくちゃいけないんだよね……ん~、そういう資料があるところ……図書館みたいなとこってあるのかな?
(明日、ケインに聞いてみようかな)
そこまで考えて欠伸が出る。
私はそのまま目を閉じた。
翌日、私は昼ご飯に昨日作ったハンバーガーもどきを父さんに食べてもらった。
これは今朝ケインが、美味しかったとさんざん自慢したからだ。小さな白パンを作った父さんはそのまま食べたと思っていたらしく、そのままで主食とおかずが食べられる方法が気になってしかたがなかったらしい。
塩抜きしたベーコンも残っていたので、昼は三人でハンバーガーもどきを食べた。
初めて食べた父さんも、作ったけど食べていなかった母さんも、どうやらその食べ方を気に入ってくれたらしい。
「ベーコンと野菜とチーズ……いつも食べているものばかりなのに、こんなに美味しいなんて……」
ふふ、そんなに褒めてもらうと照れちゃうよ。
ただ、あれは完璧なものじゃないんだよね。ソースもないし、せめてマヨネーズくらいあったら……。
(……マヨネーズって)
手作りできるじゃん!
「と~しゃん、おいちーの、おいちーのつくりゅ!」
「なんだ、リナ、また何か思いついたのか?」
私がいきなり何か言い出すことに多少は免疫がついたのか、父さんが笑いながら聞いてくれる。きっと、またパンのことだろうと思っているんだろうけど、違うの、調味料なの!
卵はある。油も、少しだけなら使ってもいいらしい。塩も大丈夫。
「あ……」
のおぉぉ! 酢! 酢がないよ!
高級な砂糖が手に入り難いものだとは知っているけど、酢も今まで見たことがない。もしかしたらあるのかもしれないけど、うちには無いのだ。
(酢がなくちゃマヨネーズできないよ~……酢、酢の代わり……酸っぱいもの……)
「と~しゃん、ちゅっぱいの、ありゅ?」
「ちゅっぱ?」
「ん~、こりぇ」
私が顔を顰めて酸っぱい顔をしてみせると、さすが父さん、意図を読み取ってくれた。
「酸っぱいものか?」
「あい!」
本当は酢があれば一番なんだけど、確か柑橘系ならその代用になったはず。
私が期待に胸を膨らませて父さんを見ていると、母さんが立ち上がって店に下りて行った。
「か~しゃん?」
すぐに母さんは戻ってきた。
その手にあるのは、ジャガイモのような形なのにピンク色の不思議な物体だ。ぱっと見ただけではどんな味なのかまったく想像できなかった。
「これ、酸っぱいわよ。リモン」
「……リモン……」
私は噴き出すのを堪える。やっぱり、一文字だけ違うんだ。ここまできたらもっといろんなものを探してみたくなっちゃう。例えば、前後の音が同じ《トマト》とか。あ、トマトソースを作っても面白いかも。
頭の中にぶわっとやりたいこと、欲しいものが浮かんでは渦を巻いていく。今の私は自分で作れるのはほぼないけど、助けてくれる人の手はたくさんあるもの。
(便利な生活じゃないけど、今の生活ってすごく楽しい)
「リナ?」
リモンを手にしたままニヨニヨ笑う私を、母さんが心配そうな顔をして見ている。
(いけない、ちゃんと子供らしくしないと)
私は取り繕うように笑った。
厨房に入った私は、父さんに卵を割ってもらった。今回は卵黄だけを使うと言ったら、勿体ないと苦笑された。まあ、白身は後で料理に使えばいいしね。
「えっとぉ」
(ここに、塩とリモンの汁を入れるんだけど……分量がわかんないや)
酵母を作った時みたいに、分量を替えて幾つか作ってみるしかないか。
とりあえず少し薄めくらいで作ってみよう。
「こりぇ……こりぇ、いれて、ぐるぐる」
「混ぜるのか?」
「あい」
父さんは器用に木の匙でかき混ぜているが、泡だて器があったら簡単だったのにな。
「リナ、これいつまでかき混ぜるんだ?」
器の中を見せてもらうと、かなり綺麗に混ざっている。私は油を少し入れてもらった。
「にゃんかいか、ちゅこち」
「何回かに分けて入れるんだな?」
「……うわぁ」
器の中の卵は、混ぜれば混ぜるだけトロッとした液に変化していく。私の言葉を忠実に守ってくれる父さんのおかげで、間もなく卵液はつのが立つほどしっかり泡立てられ、見た目は少し濃いクリーム色のマヨネーズもどきが出来上がった。
マヨネーズ自体を知らない父さんは、これが成功か失敗かわからないんだろう。手を止め匙についたマヨネーズもどきの匂いを嗅いでいる。
「少し、酸っぱい匂いがするな」
「ちょうらい」
私は匙をくれと手を伸ばした。
(まずは、私がちゃんと味見をするからね)
リモンと油の量がどうだったのか、私は渡された匙についているものをペロッと舐めてみる。
「……」
「リナ、どうだ?」
「……んまい!」
少し酸味がきついし、塩気は足りないけど、ちゃんとマヨネーズみたいな味になっている。これなら材料の適量をちゃんと見つけたら、立派なマヨネーズになるはずだ。
(うわっ、うわっ、すごい!)
何だか急に、食生活のレベルが上がってない?
「リナ?」
「ちぇいこー!」
私は自信たっぷりに、父さんにマヨネーズもどきを匙ですくって差し出した。




