31.魔法が使えました。
私は一つずつパンを手渡した。どの顔も期待にキラキラと輝いていて、食って大事だなとしみじみ思う。
ケインなんか受け取るとすぐ齧りついて、
「なっ、これっ、美味い!」
口の中にまだ残っているというのに、興奮したように言った。
「リナ、これ、いつ作ったんだ? 俺、知らないよ?」
「きょう、ちゅくった。おいち?」
「うん! リナの作ってくれるものはどれも美味しい!」
ケインの素直な感想に思わず笑っていると、大きな口で食べ進めていたラウルが首を傾げる。
「このベーコン、すごく美味い。うちのじゃないよな?」
「ラウルのおうちの。おいち?」
「本当に俺んちのベーコン? まったく違うものとしか思えないけど……」
ラウルはしきりに首をひねっていた。
でも、本当にこのベーコンはラウルの家のベーコンなんだよね。ただ、一日塩抜きをしたものなんだけど。
ラウルの店のベーコンは、元々が煮込むのを前提にして作られているのでずいぶん塩辛かった。とてもベーコン単体じゃ食べられないくらいに。だから、試しに塩抜きをしてみたけど、案外これが上手くいったみたいで、つまみ食いに焼いたベーコンの味に母さんも驚いていた。
ちなみに、ベーコンをつけていた水は今日の夜のスープに使ってくれるように頼んでいる。塩味ももちろん、ベーコンの旨味もたっぷり溶け込んでいるからね。
私以外の四人はあっという間に食べ終えた。
でも、私は三分の一くらいでお腹いっぱいだ。昼ご飯も食べているし、私の小さな胃にはとても入りきらなかった。
ふうっと息をついた私は、ケインに言った。
「リナ、おなかいっぱい」
「え、じゃあ、それ俺が食べてあげるな?」
「ま、待てよ、俺が食ってやる」
「ケインはいつだって食べられるんじゃない?」
「……俺も、食ってやってもいい」
道すがら聞いていたら、三人の中でうちの白パンを食べたことがあるのはラウルとパトリシオの二人で、ヴィンセントは噂に聞くだけだったらしい。
食べた二人も、せいぜい一度か二度みたいで、白パンが庶民にはまだ少し高い買い物なのだと思い知る。私としては誰もが手に入るくらいの値段に抑えたいんだけど……。
三時のおやつにしてはボリュームがあると思ったけど、食べ盛りの少年たちには足りなかったらしい。
誰が勝ち取るかはわからないけど後は任せて、私は泉の側に座り込んだ。
(確かヴィンセントは、清らかな水が出せるって言ったよね)
水の女神様の加護に他にどんなものがあるかわからないが、聞いてみたことは確かめてみたい。だって、せっかく魔法が使える世界にいるんだもん。
でも、水かぁ。今まで私が見てきた他の人の魔法は、使う時に何か呪文のようなことを言っていたっけ。じゃあ、水を出す時も何か言わなくちゃいけないんだよね。
私は泉に手を翳した。すごい水量が出たら危ないし。
「……みじゅ」
試しに、一番短い言葉を言ってみたが、まったく何の変化もない。
(これじゃないってこと? ん~)
身近に、水の女神の加護を持った人っているんだろうか?
「……しぇーしゅい」
あ~、これも駄目か。私はむうっと口を尖らせる。
せっかく森に来たのに、力を試すことができないなんて当初の目的が達せられないじゃない~。
私が一人悶々としている間に、ハンバーガーもどきの争奪戦は終わったらしい。
「あんまり泉に近づくと危ないよ」
パトリシオがそう言いながら横にきた。どうやら彼は争奪戦に敗北したようだ。でも、そんなに悔しい表情はしていない。ケインやラウルだったら、絶対に文句言って騒ぎそうだけど。
歳に似合わず穏やかな雰囲気の彼を前にすると、私もつい我が儘を言ってしまった。
「リナ、おみじゅ、だちたい」
「お水って……あ、ヴィンが言ったから?」
ヴィンセントに言われたとかは関係なく、もともと森にきたのは自分の魔法を試してみたかったからだ。でも、呪文を知らない私には無理そうだと思い知ってしまった。
(せっかくここまできたのに……)
落ち込んだせいか、身体が重く感じる。その場にペタンと座り込む私を見たパトリシオが、苦笑しながら頭を撫でてくれた。
「美味しいパンを食べさせてくれたお礼に、一つだけ教えてあげるよ」
え? パトリシオ、水の加護持ちだったの?
「シオ、みじゅ、ちゅかえる?」
絶対にパトリシオと言えない自信があったので、私は名前の最後だけを呼んでみる。すると、パトリシオは違うよと言った。
「僕の父さん、教師をしているから。いろんな属性の基本術語は知ってるんだ」
パトリシオの話では、彼の父親はケインや彼らが通っている庶民の学校の先生らしい。
それぞれの属性の基本術語は学校に入学してから教えられるもので、私みたいな幼児が知らなくても当たり前だって。
それは、幼い時は皆魔力が安定しなかったり、稀に途中で加護が変わったりすることもあるらしく、学校に入学するまでは基本的に魔力を使うことはないらしいと聞いて、私は少しだけ納得した。
「清水」
「りーきぇ?」
ちょっと疑問文になりながら言ったけど、特に変化はない。首を傾げる私に、パトリシオに発音が正しくないと駄目だよと言われた。
今の私にとって、それが最大の問題だ。小さな舌はまだ上手く回らなくて、どうしてもたどたどしい物言いになってしまう。
この先成長すればちゃんと話せるようになるとは思うけど、それがいつになるかはわからない。でも、私は今確かめてみたかった。
(リーケ、リーケ……)
発音はちゃんと聞き取れているはずだ。後はゆっくり……。
「それと、頭の中でちゃんと水が湧き出るのを想像しなくちゃいけないよ」
想像か。昔テレビで見た山奥の湧水の様子を思い描いてみる。
(リーケ……)
不意に、私の耳に水が流れる音が聞こえた気がした。
それが目の前の泉の音なのかはわからない。でも、私は今ならちゃんと言えるような気がした。
「清水」
「!」
翳した私の手から……いや、手に触れるか触れないかの空間から、まるで水道で一番搾ったくらいの水がチョロチョロと流れ落ちた。
「す……ごい」
パトリシオの驚いた声に我に返った私は、慌てて自分の掌を見た。
(……別に、いつもと同じ……)
掌が切れているとかはないし、そもそも濡れてもいない。それなのにちゃんと水が出た証拠に、手の下の草は濡れて滴を滴らせていた。
「……おみじゅ、でた」
「……すごいよっ、リナ!」
興奮したパトリシオの声で、他の三人まで駆け寄ってくる。
ケインは真っ先に私の近くを陣取って顔を覗き込んできた。
「どうしたんだ?」
「聞いてよ、ケイン!」
私が答える前に、パトリシオが今の現象を説明した。私にとっても、どうしてこんなことになったのかわけがわからないので説明してくれるのはいいが、あんまり褒められ過ぎるのも困る。
(どうして急に使えるようになったんだろう……?)
イメージをちゃんとしたからか、それとも術語を言えたからか。
「清水」
私はもう一度術語を口にしてみる。すると、やはりさっきのように空中からチロチロと水が出た。
私って、すごいんじゃない?
庶民の魔力はそれほど大きくならないので、一日に何度も魔法は使えないらしい。
ケインは早々に家に帰ろうと言い出した。
「に~ちゃ……」
大丈夫。なぜだかわからないけど、私はまだまだ魔法を使えるって感じる。だけど、初めて魔法を使った私を心配してくれるケインは超過保護だった。
せっかく友達と森へ来たのに、私のお守ばかりで本当にごめんなさい。
せめて兄弟で帰ろうと言ったが、他の三人も家に帰るって言いだした。
あぁ、本当にごめんなさい~。
絶対にこのお詫びとして、近いうちに三人に差し入れをしよう。
「でも、すぐに加護が使えるようになるなんてなぁ」
歩いていると、珍しくパトリシオが饒舌に話し始めた。
「僕、こんなに小さな子が使えるなんて驚いたよ。リナは水の女神ガレンツィア様に愛されているのかもね」
一見冷静に見えるパトリシオが、こんなにも興奮するなんで私の方がびっくりだ。
でも、来た甲斐はあった。私もちゃんと魔法が使えるってわかったし。それに、あのくらいの威力なら、わざわざ森にまで来なくても、家の中で実験するには十分だ。
(ちょっとショボいけど……ね)
それぞれが森で集めた果物や薬草、そして枯れ枝をいっぱい手に持って帰った。
「お、早いな」
「ただいま」
門番の人は出る時と一緒の人で、リナはまたにっこりと笑って挨拶をする。
「たらいま」
「お帰り。危ないことはなかったか? ちゃんと兄ちゃんたちの言いつけを守ったか?」
小さな子に……今の私は十分小さいけど、そんなふうに心配してもらえるのは嬉しい。
門の近くで別れて、私はケインと手を繋ぎながら家に向かう。
「父さんと母さんにも教えないとな」
ケインは楽し気にそう言うけど、私はまだ言わない方が良いと思うな。そもそも、小さい子は使えないはずなんだし、心配されたりしそうだもん……特に、父さんに。
「……ないちょ」
「え~?」
「ね?」
私が首を傾げてお願いすると、ケインは渋々ながら頷いてくれた。
たぶん、ぽろっとしゃべってしまいそうではあるけど、しばらくは秘密にできそうだ。
(その間に、もっといろいろ試してみよう)




